海老塚和秀・31番竹林寺住職「四国発信! これからの時代、これからの生き方」

 《2017年2月4日、高知市、高知県立舞の植物園・映像ホールで開かれた「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会第11回総会兼記念講演会での講演です。読みやすいように、中見出しなどを入れました》



 「◆幸せ」と「仕合わせる」



みなさん、こんにちは。海老塚和秀でございます。五台山へようこそ。また、これ(講演)が終わりましたら、竹林寺をご案内させていただこうと思っています。

 今年もはや1カ月。正月から面白いことがありました、竹林寺では。正月の2日の日でしたか、お子さん連れのまだ若いお母さんが突然に「お寺さん、握手してください」と言うんです。何のことかわからんけど、「僕もよう来たね、お嬢ちゃんもよう来たね。でも、何で握手なんですか」と聞いたら、「お坊さんと握手したら1年間、けがをせん」。まあ、この人は何を言うんやと思って、「何でですか」と聞いたら、「坊さんは坊主頭で、毛がないです」って。やられたと思いました。どうも、その若いお母さんは、友だちから聞いたんやね。それを真に受けてしもうたんでしょうね。それはおもろいなあ、と思って聞いたんです。

 昨日は節分やったんですね。さきほどの歌(一洋)先生=ヘンロ小屋プロジェクト主宰者=のお話とも通じるところがあるんですが、あるお嬢さんが「幸せに良い、悪いがありますか」と言うんですよ。「良い幸せ、悪い幸せがありますか」と。

 普通、幸せといったら、自分が思っていること、願っていることがかなうのが幸せであるかもわからない。そこで、「どういうことですか」と聞くと、「しあわせが悪い、という言葉を聞きました。何で幸せに良い悪いがあるんですか」といことだったんです。

 今申し上げたように、願いがかなったりとか、何か手に入ったりすると、私たちは「幸せ」と言うかもわからん。実はもう1つ「しあわせ」というのがあって、昔の人は「仕合わせる」と言いました。その「仕合わせる」が「幸せ」になった。

 「仕合わせる」はどういう意味か。高知の方々でご年配の方やったら、「仕合わせが悪い」と言ったら分かる。例えば「結婚したけど、うまくいかんかった」となると、「あの人は仕合わせが悪かった」と言うわけですね。どういうことかと言うと、自分がすることと、誰かがすることが、うまく合わさった、その状態が仕合わせる、ということですね。うまく合わないから、「仕合わせが悪い」ということでありました。どうも幸せというのは、ただ自分だけが、ただ1人だけでは幸せになれんで、っていう、そういうことでもあったんだろうと思います。


 ◆「さきあう」と「さちあう」と「幸い」

 同じように、「さきあう」という言葉があります。これはどういうことかと言うと、幸福の「幸(こう)」は「幸(「さち」)」で、私たちは「(さいわ)い」と言う。でも、大昔の日本人は「幸い」と言わずに、「さちあう」と言ったんですね。

 私はそれを聞いて、こういうイメージだと思ったのは、みなさんも多分お分かりだと思うけど、いろんな花がいっぱい咲き合う、その様子、状況のことを、「咲き合っちゅうねえ、うれしいねえ、心がウキウキしてくるねえ」という思い、それが「さちあう」で、後に「幸い」という言葉になったということです。

 その「仕合わせる」がどういう意味か。高知の方々でご年配の方やったら、「仕合わせが悪い」と言ったら分かる。例えば「結婚したけど、うもういかんかった」というと、「あの人は仕合わせが悪かった」と言うわけですね。

 どういうことかと言うと、自分がすることと、誰かがすることが、うまく合わさった、その状態が仕合わせる、ということですね。うまく合わないから「仕合わせが悪い」ということでありました。どうも幸せというのは、ただ自分だけが、ただ1人だけでは幸せになれんで、っていう、そういうことでもあったんだろうと思います。

 同じように、「さちあう」という言葉があります。これはどういうことかと言うと、幸福の「幸(こう)」は「幸(「さち」)」で、私たちは「(さいわ)い」と言う。でも、大昔の日本人は「幸い」と言わずに、「さちあう」と言ったんですね。

 私はそれを聞いて、こういうイメージだと思ったのは、みなさんも多分お分かりだと思うけど、いろんな花がいっぱい咲き合う、その様子、状況のことを、何か「咲き合っちゅねえ、うれしいねえ、心がウキウキしてくるねえ」という思いというのが、「さちあう」で、それが後に「幸い」という言葉になったということでした。

 どんなに高価な1本のバラがあっても、例えば1本何万円もするバラがあっても、それは決してさちあっているわけではない。バラの花もあれば、当然ランの花もあるかもしれないし、チューリップもカスミソウがあるかもわからない、ユリもあるかもわからない。でもいろんな花が精一杯に命の限り咲き合っている、その様というのが咲き合うといことかもしれないねえ。
 そういう意味で考えたら、「仕合わせる」と一緒に、私たちはただ1人では幸いにはなれん。いろんな人が支え合い、いろんなつながりの中にこそ、幸いなものがある、幸せってものがある、そういうものやろうと思うんです。


 ◆姉の思い、妹の思い

 こんなものがあるんです。ある葬儀屋さんが作品集を作ったんです、「ありがとうの本」という。肉親を亡くして、その悲しみがある、そんな人たちが亡き人に感謝の気持ちを込めて贈ったその文章ですよ。だから、決して著名な人が書いている本じゃない。そんなものを集めたのが、「ありがとう」という言葉。

 5つの時、5歳の時に母が亡くなった。その日から13違いの姉が、「母ちゃんになってくれました」と書いとるね。その母ちゃんも3年前に亡くなりました。しばらくたった寒い朝、母ちゃんの日記を見つけた。私のことばかり書いてある。「ちよこ、入学式」「ちよこ、高校入学」「ちよこ、結婚」「ちよこ、女の子出産。おひなさまも買いに行く」「ちよこ、男子誕生。小さなこいのぼりを買いに行く」。「母ちゃんありがとう。生きている時に言いたかった」と書いてある。

 たくさんの兄弟がおって、1番下の妹を、自分は大きくしなければいかんのやと、1番上の姉は思った。姉はそりゃあ、言いたいこともあったやろうし、夢もあったやろう。でもそういったことはすべて犠牲にしてまでも、1番小さな妹のことを一生懸命やって生きてきた。多分、独りやったんでしょうね。そして、3年前に亡くなって、家を整理する時に日記が出てきた。その時に、自分のことばかりずっと書いて残してくれておったんだ、ということですね。

 そこに仕合わせ、という状態があったんですね。そんなお姉さんの思いなんかちっともわからなかった。でも、日記を見た時に、自分のことばかりたくさん書いてある、その瞬間、お姉さんの妹への思い、そして、13違いの姉への思い、というものがピタッと仕合わせた。そんな幸せのありようというのもあるんかなあ、と思いもしました。


 ◆ブンタン5つのお接待

 さきほど歌先生がヘンロ小屋の話をたくさんしてくださった。素晴らしいことやなあ。これは1200年の歴史の中で、またこれからの遍路の歴史で、必ず残る大きな大きなお勤めやったと思いながら、お話を聞かせていただきました。

 私も歩いた経験があります。こんな休憩する場所は本当にありがたい。歩いておったらですねえ、「お遍路さん、ご自由にお休みください」という小屋がある。コンビニのところにいすが置いてあって「お遍路さんお休み処」と書いてあるんですね。こんなのがとってもありがたい話です。

 あめ、バナナ、ポカリスエット、お茶、おしぼり、おむすび、いろいろいただいた。100円玉もいただいた。1番つらかったのは、ブンタンを5つ持たされた時。歩き遍路だから、なるべく重くないようにと思うんですが、でも道中でみなさんと分けて、これもありがたくいただいた。


      ↑講演の模様


 ◆「四国の人はうるさい」

 ニートというか引きこもりというか、そんな人を何とか社会復帰させようというボランティアのみなさん方と一緒に歩いたこともありました。ある時に私の所へ、引きこもりであった人がたった1人で訪ねてきたことがありました。お四国をずーっと回ったんです。私に何て言ったかというと、「四国の人はうるさい。僕を1人にしてくれませんでした」と、こういう風に言ったんです。

 ともかく自分はこのままではだめである。今からもう1度社会復帰をせないかん。その時に、人に相対するのがどうしても苦手なもんだから、自分はどうしたらいいんだろう。じゃあ四国遍路をたった1人で黙々歩けばいい。夜寝る時とか、旅館でご飯を食べる時はちょっと話さなあかんけど、後は自分1人で歩けばいいだけのことや。だから今の自分には1番いい。そして自分を見つめ直したい。

 こういって歩いたところが、「お兄さん、そっちやない、こっち行きなさい」「これ食べなさい」と、かまってくれるわけです。「そっちの道やない、こっちや」ってね。たった1人で歩けると思ったところが、かまわれて、そこで「四国の人はうるさい。僕を1人にしてくれませんでした」と、こういう具合になる。そのおかげで、ちゃんと世の中に着地ができた。


 ◆ダーナと布施

 お接待というのは地元の人が、お遍路さんに対してもてなす、ねぎらう。お接待の大本には、実はお接待する側に「布施」という精神があった、そんな風に私は思います。

 インドの言葉で「ダーナ」といものがあります。これはインドの言葉。例えば瓦というのは「カバラ」というインドの言葉からきている。香川県の金毘羅さんというのは「クンピラ」というインドの神様だったりとかね。奈落の底の「ナーラ」というのは地獄のこと。そういう風にして、元はインドの言葉が今は日本語になっている、そんなことがたくさんある。

 その中に「ダーナ」という言葉がある。玄奘三蔵のような中国のお坊さんがインドのお経を持ってきて、そのままだったらわからないから、とにかく漢字に訳すわけです。その時に漢字に当て字をしたのが「檀那」と言葉です。「ダーナ」とい言葉の音を音訳して檀那。「右や左の旦那さん」「一家の主の旦那さん」というのは、ダーナという言葉であるわけです。

 私などはお檀家さんとこに行きます。面白いのは、耳っていうのは前を向いてついているけども、前を向いて拝んでいても、後の声は結構聞こえるもんですね。祭壇に向かっていると、時々聞こえてくるわけですわ。「今お布施っていったい、どのくらい包まなにゃいかんと」というように、親戚にお布施の相場を尋ねているわけですね。「そんなの、お経が始まって言いよったらいかんやないの」と思うわけです。そうしたら「そんなのお寺によって違うやないが。お寺さんに聞いてみたらいいやないが」と聞こえるわけですよ。それで後で、お経が終わったら、旦那さんが申し訳なさそうな顔でおいでなって、「いったいいかほど」と言われるのが1番つらい。そりゃあ、多いにこしたことはないけど。そんなこと言えへんから、「お気持ちで」というわけです。

 で、布施といとうことですね。ダーナという意味を訳して、布施としました。それは布を施すというか、あまねく施すことのできる人のことを「布施」「檀那」といことですね。一家の主は施すことができる、だから檀那であったわけですね。そして、お檀家さんもお布施していただけるので、檀家というのです。

 施すというのは、何もお金だけではなくて、思いでも言葉でも表情でも、いわば無財であっても、お布施ということはできるんです。例えば、ここから高知のはりまや橋の方までバスで行こうとする。ここは始発ですから、ゆうゆう座っていける。やがて、たくさん人が乗ってきて、満席になる。そこに、ヨボヨボのおじさんが乗っかってきて、自分の前に立った。「しょうがない、年寄りには席を譲らないかんな」というのが、道徳、モラルの次元の話でした。

 でも、そのおじいさんに「どうぞ座ってください」と言って席を譲る、そして譲った私たちの方が、おじいさんに対して「ありがとう」ってお礼をする。これが布施の意味合いです。それはどういうことかというと、満員のバスの中に、あなたが乗っかってきてくれて、私の前に立ってくれた。そして、あなたに席を譲ることによって、心を清めることができた。神さんのような思いさせてもらった。ちょっと仏様のまね事ができた。「そういうきっかけを与えてくれたおじいちゃん、どうもありがとう」と言ったのが、そもそも布施といったことだったわけですね。

 お遍路さんの白装束というのは、お大師さまの姿そのものであって、そのお大師さまに対して、何らかを施すことによって、その時だけでもこの世で功徳を積んでいくんだ、その機会を与えてくれたお遍路さんありがとう、とやっていったのが、そもそもの布施ということでありました。

 本来は四国の私たちが、お遍路さんをもてなすことによって、自分たちの心を高めていく、人間をもう少し深いものにしていく。そのきっかけが布施というものである。

 今、ボランティアだとかサービスだとか、おもてなしという言葉がありますけどね、そういう言葉の原点というのは多分、四国の人がお遍路さんに対してもてなした「接待」にあるんやろうと、私は思います。



      ↑講演する海老塚住職


◆四国ははぐれてみることができる

 今の時代にお遍路の魅力というのは、4つあるんじゃないかなと思います。この会の会長である辰濃(和夫)先生もおっしゃっているように、四国は日本人が安心して回り遂げられる、そういう所やろ、とそんな風に思います。あるいは安心してはぐれてみることができる、そんな場所やなあ、と今のお遍路さん、お遍路人を見てそんな風に思います。

 あえて迷子になる、あえて群れからはぐれることによって、新しい世界に気づいていく。そして、「安心して」というのは、四国の人のお接待というサポートがあるからですね。歩いておったら、車が止まって窓が開いてドアが開いて、「乗っていきませんか」。今、親が子どもに「そんな車に絶対乗ったらいかん」と言わないかんでしょ。その真逆の世界が四国にはある、そういうことやと思います。


 ◆四住期という生き方

 四住期という生き方はインドの考え方です。ヒンズー教の世の中で、理想の生き方というのがあって、それは四住期というんです。人生を4つのライフステージに分けたのです。

 まずは「オギャー」と言って生まれて、これは学生期(がくしょうき)。とにかく学びの時であるということです。親に育まれ、さまざまな勉強、学問をしていく。人生の基礎を築く、それが学生期。

 やがて家住期(かじゅうき)、これは例えば一家の主になって、奥さんをもらい、やがて子どもたちができて、それを養い、生計を立てていき、商売もやってとか、世の中のこと、家のことだとかに、一生懸命頑張るその時期である。

 そして家督を後の子どもたちに譲る。それからどうなるかというと、林住期(じんじゅうき)。ご臨終じゃないですよ。どういうことかというと、精神の修養に努めていくということですね。林に住み、近所のお坊さん、グルがいるわけで、そのヒンズー教のお坊さんから精神の学びというものを聞く。今まではお金のことであるとか、家族のことであるとか、そんなようなことに一生懸命であった。これから一線をリタイアして、今度は自分の精神を充足していく。

 そして最後は家も捨て、家族も捨て、一切のもの捨てて遊行期(ゆぎょうき)に入っていく。それはインドの場合だったら、聖地の巡礼であるわけですね。はてはガンジスのほとりでとうとうくたばって、そこで火葬にしてもらって、その自分の骨、骨灰をガンジスの川に流してもらう。そうすれば天に生まれることができるんだ、というような宗教観です。

 そういうような四住期という宗教観に照らし合わせると、四国遍路をしている人々というのは、日本人の林住期の姿だろうな、そんな風に思います。第一線を退いて、お遍路をする、歩き遍路をする。その中で、何か自分というものを求めていく。あるいは自分の魂というものを充足していく。それは林住期の姿だろうかな、そんな風に今のお遍路を見て感じます。

 日本人は、日本は人生は1つ、レールは1つなんですね。オギャーと生まれて、やがて就職をして定年になると、余生になってしまうじゃないですか。ところがインドのヒンズーの生き方はレールが4つあるわけですよ。ここで失敗したかもわからないけど、次に乗り換えたレールでは成功するかもしれない。それが幸せなんじゃないかなと思います。

 そして遊行期に入った人たちが、サデゥーという人たちですね。全く無一文であって、人々からちょっとしたお布施をいただいて、そんなことをして最期を迎えていく。ネパールとかインドだとかは、そういう人を阻害はしない世の中なんですね。

 今、日本でこんな人がおったら、「なんや」て感じになっていく。灰を体中に塗たくってね。真っ裸でね、人の遺体を焼いた骨灰を体に塗りたくって、といったおっちゃんもおるわけです。でも、そういった人を異端視するわけではなく、ちゃんと世の中に「あってよし」と受け入れていく。こういう風な社会が、ネパールであったり、インドであったりするのかな。そういう風に考えたら、どちらが幸せなのかな、と思います。


 ◆心のチャンネルを変える場所

 そして2番目は心のチャンネルを変える場所だと思います。私の存じあげる方で、こんな方がいます。定年を迎えて、それまでとにかく趣味は釣り、釣り三昧ですよ。休みになったら釣り、釣り、釣り。それが定年を迎えて、友だちに誘われて初めて、その時はたった1人お四国遍路を始めた。

 その途中です。その人が何と言ったかというと、「遍路は楽しい。こんな楽しいとは思わなかった。自分は人生で1番楽しいのは釣りやと思ったけど、それどころじゃない。道中楽しい」です。「何が楽しかったですか」と聞くと、その人いわく「鳥の声が聞こえる。遍路道の道端の名前はわからないけど、小さな花が一生懸命咲いている、その有様が目に飛んで来る」。

 鳥の声は私たちも聞いてます。花だって見てるわけですね。でも真剣に鳥の声に耳を傾けたか、道端に咲いている花をちゃんと見たことがあるのかというと、決してそうじゃないわけですね。とにかく先へ先へ、もっと速く、先を急ぐわけですね。先を急ぐあまりに、鳥は鳴けども聞こえない。花は咲けども、目に入らない。

 でも心のチャンネルが変わるんですね、お遍路というのは。見えなかったものが見えてくる。聞こえなかったものが、輝きを持って耳に飛び込んでくる。こういう世界があるだると思うんです。


 ◆アサンガと弥勒菩薩

 実はお経にこんなエピソードがあります。アサンガというお坊さん、これは無着と言われる人です。インドのアサンガが若いころ、自分は弥勒菩薩さまに出会いたい、そうして弥勒菩薩さまからいろんな教えを請いたい、こう思って、ただ1人山の中にこもったんです。3年間の瞑想修行をする。たった1人で山の中にこもってひたすら瞑想に明け暮れる。そうすると、やがて弥勒菩薩さまが姿を現し、自分がわからないところをちゃんと教えてくれるんじゃないか、こう思ったんです。

 3年間すんだけど、どうしても弥勒さまは1回たりとも、アサンガの前には出てこなかった。あきらめた。もうやってられへん、もうやめた。で、山を下りようとしたんです。ふもとにさしかかった所に1軒の家があって、中をのぞくとおじいさんが布で棒を一生懸命磨いとる。その棒は何かというと、大きな鉄の棒だったんです。

 「あなたは一体何をやっているんだ」と聞くと、「自分の家には針がない、縫い針がない」と言うんですよ。縫い針がないもんだから、この鉄の棒を布で磨いて短くして、縫い針を作ろうとしている。アサンガは「何と愚かな、何とばかな。こんな鉄の棒を布で磨いても、何百年たっても針1本なんかできるわけないやんか」と思った。「でも待てよ、このおっさんは一生懸命に針にしようと思って何年も何年も磨いている。でも自分はたった3年であきらめようとしている。まだまだ修行が足りんかったなあ」と言って、また山へ登っていくわけです。

 そして3年が過ぎました。でも弥勒さんは1回たりとも現れない。「もうやめた」。また山を下りようとする。そうすると、山の中腹に大きな岩があって、その岩を1人の男の人が鳥の羽を束ねたほうきのようなもので、一生懸命なすっている。「何をしているの」の聞くと、「自分の家は山のふもとある。でもこの大きな岩が日を隠してしまって日陰になっている。だから岩を削ろうと思って、サッサとやっている」と言うんですね。愚かな、こんな柔らかい鳥の羽でなすったって、岩がちびるわけないやんか。でも待ててよ、自分は6年ではやあきらめようとした。まだまだ自分の修行は足りんかったなあと思って、再び山にこもるわけです。

 そして、さらに3年がたちました。でも弥勒さんは出てこない。もう、いよいよあきらめた。「もう、やってられない。もうあきらめた」と言って、山を下りようとする。そうすると、山の中腹でふっと見ると、大きな1匹の犬が横たわっている。よく見ると、足に大けがをして、もう一歩も歩けない瀕死の状態である。足にパックリと傷口が開き、たくさんウジムシがわいておる。そんな死にかけであった。

 アサンガは急に、「ああ、かわいそうに。ちょっとでも楽にさせてあげたい」と思った。でも、傷口をつかんでしまうと、ウジムシは柔らかいものですから死んでしまう。で、彼はどうしたかというと、自分の腕の肉をそぎました。そして、指で押さえてしまうとつぶれてしまい、殺生を犯してしまうからといって、唇でウジを吸って自分の腕の肉に置いてやる。そしたら、犬も楽になるし、ウジだって死ぬことはないだろう、とって、いざ傷口のウジに口をつけようとしたその瞬間に、アサンガの前に弥勒菩薩が現われた。

 アサンガは言います。「なぜもっと早く現れてくださらなかったのですか。私は9年もあなたを待っておったのに」と。その時に弥勒菩薩さまが言ったのは、「私はあなたのそばにずーっといたよ。あなたのそばにずーっといたじゃないか。なのにあなたは、自分の修行、自部の悟りのためだけで、慈悲の心をおこすことはなかった。今あわれな犬を見て、初めてあなたの心にいつくしみ、慈悲の心が起こった。慈悲の心をおこしたから、私を見ることができたんだ」、こういう風に言ったんだというエピソードがあるわけです。

 そういう風に考えれば、仏さまというのは、この世の中に満ち満ちているわけなんです。でも私たちとのチャンネルが合わずに、ずーっと見過ごししまっている。そういう風にとらえることができるかもしれません。


 ◆お四国病院、お四国大学

 そして3番目は、「お四国病院」「お四国大学」。これはみなさん、よくお聞きになるでしょう。88の札所、それに至る遍路道、そこにお接待の人情がある。そして豊かに残る自然がある。すべてが心身ともの総合病院でありました、とい声はよく聞きます。体も元気になる、心も、メンタルな部分も癒されて元気になっていく。そういう天然の総合病院であった、とおっしゃる。あるいは年齢、性別、学齢、国籍、宗教、いっさい関係なくて、どんな人でもここに入っていったら人生の巻き直しができるお四国病院でありました、ということは、よく聞きます。

 私は昨年、島根に用があって、車で行きました。車についていたナビが古かったもんですから、高速道路をずっと通っていきゃあ早かったんですが、高速をおりるということになって、初めてだったので不安だったもんで、ナビ通りに行ったわけですね。そうすると、えらい山の中を経由して何とか着いたわけです。

 で、「なるほど、情報というのは旬のもんやな」と思いました。昨日の情報、去年の情報やったら今に役に立ちません。ナビも新しくないと間違ってしまうわけですね。情報というのは、旬のもの、鮮度が命なんです。

 じゃあ、100年前のこと、1000年前のこと、2500年前のことが今に通用しないかといったら、決してそうではないんでしょうね。だから、情報の反対は何かというと、私は智恵と思っています。それは1000年前も100年前も、これからも通用するもの、それが智恵というものだと思います。そういうことが分かってか分からないでか、歩き遍路が多くなったのも、そういうところに人間の本能というものが求めて行っているんじゃないかなと思ったりします。

 ◆心のGDP

 最後はちょっとかっこよく、「心のGDP」と言います。国内総生産のことをGDPって言うじゃないですか。四国はそのパーセンテージは、日本の中では微々たるもんだと思います。大きな産業があるわけでもない。大きな企業、会社があるわけでもない。多分、全国の中では、四国の占めるGDPというのは、微々たるものであるかもしれない。でもそれは、モノを生産するお金の面での物差しである。

 でも、物差しを「心」という物差しで見た時にはどうか。お遍路さんは年間10万人とも15万人ともいわれ、その中の4000人、5000人という人が歩いている。それは決して、金もうけのために歩いているわけじゃないですね。ただ、自分を見つめて、自分の心を見つめながら、四国をたくさんの人が歩いている。そういう意味で考えれば、今の日本の中の四国というのは、もし心のGDPという物差しがあるんだったら、相当高いものがあるんじゃないのかな、とそんな風に感じるところであります。


 ◆見方を変える

 レジメの方にも書いてはございますが、これはインドのシャンティデーヴァというお坊さんのものです。いい言葉がたくさんあります。その中の1つです。

 天空のように無数に存在する敵を、私はすべて殺すことができるのだろうか。ただ私の怒りの心が殺されれば、すべての敵(という概念)は殺される。

 大地をすべて覆うことができる皮が、どこにあるのだろうか。それはどこにもありえない。ただ皮の靴をはくことによってのみ、大地はすべて覆われる。

 これと同様に、私は外界の存在物を制することはできない。私は自分の心を制しよう。どうして他を制する必要があるだろうか。=シャンティデーヴァ「入菩薩行論」

 自分の憎たらしいもの、嫌やなあと思うものがいっぱいですよ。そんなに無数に存在する敵をすべて、亡き者にすることができるだろうか。できるはずがないやんか。ただ、私の怒りの心を制することができれば、すべての敵という概念は自ずからなくなってしまうよ、ってことでした。わかりよいですね。

 同じように、大地をすべて覆うことができる皮がどこにあるだろう。それはどこにもあり得ない。ただ皮の靴をはくことによって、大地はすべて覆われるということですね。

 例えばある高慢な王様で贅沢三昧で、城の中はフカフカのじゅうたんで、外に出て行きたくない。なぜかというと、足が痛いから、土の上なんか歩きとうない、石の上なんか歩きとうないと言う。じゃあ外に出るんだったら、お前たち、全世界を皮のじゅうたんで敷き詰めろ。そしたら城と同じように、どこを歩いても痛くない。そんな感じですね。

 でも、そんなことできるわけない。じゃあ、王様、足の裏に皮をはいてください、あるいは皮の靴をはいてください。そうしたら、全世界中、皮のじゅうたんの上を歩いていくのと一緒やないか。まあ、そういうことですね。

 これらと同じように、私は外界の存在物を制することはできない。私は自分の心を制しよう、どうして他を制する必要があるだろうか、というこういう言葉でした。

 まさにこれは、仏教の教えそのものですね。仏教は外側を変えようというのではなく、まず自分というものを変えていこうじゃないか。自分の心のチャンネルというものを変えていこうじゃないか。そうすると、物事の見方、とらえ方がガラッと変わってくる。般若心経で「遠離一切顚倒夢想」とありますけど、僕らはさかさまな見方をして本物やと思っている。でも、お前の見方というのは、そうじゃない。見方を変えなさいというのが仏教の言わんとすることであります。

 ◆金子みすゞのまなこ


 次は金子みすゞさんの詩です。これも有名な言葉です。

 朝焼小焼だ
 大漁だ
 大羽鰯の
 大漁だ。
 浜は祭りのようだけど
 海のなかでは
 何万の  鰯のとむらい
 するだろう。
    =金子みすゞ「大漁」

 今日は大漁や。たくさんのイワシが獲れた。やあ、良かった良かったと、人間は、漁師は喜んでいる。なのに、仲間を失った海の中のイワシたちは、仲間が亡くなった悲しみでいっぱいである、ということです。人間のまなこと、イワシのまなこということでした。そういった違いです。

 お母さまは 大人で大きいけれど、
 お母さまの こころはちいさい。
 だって、お母さまはいいました、
 ちいさい私でいっぱいだって。
 私は子供で ちいさいけれど、
 ちいさい私のこころは大きい。
 だって、大きいお母さまで、
 まだいっぱいにならないで、
 いろんな事をおもうから。
  =金子みすゞ「こころ」

 お母さまの心は小さい。どうしてか。我が子のことばっかり考えているので、ほかのことなんかちっとも考えられない。だからお母さまの体は大きいけど、心は小さいよ、ということでした。
 私は体は小さい、子どもだから。でも心は大きい。だって、お母さまのことだけじゃなくて、いろんなことを知りたい、いろんなことを思うからだ、ということでしたね。だから、母親のまなこ、子どものまなこ、というように物差しは違うんだ、とそういうこともあるんだろうと思います。


 ◆死ぬまで生きていく

 1つだけ例を申しますと、もう随分前ですけども、たけもとよしみつさんという方でしたか、当時は77、78歳ほどの方だったと思います。私が存じ上げているだけで、306回お四国を回っていました。60近くになって脳梗塞を患って、体半分は障害が残りました。

 その方は頑張り屋で、一生懸命リハビリに励んで、それからどうするかというと、お四国遍路を歩もうと思ったんです。幸いに体は右が大丈夫だったんもんですから、小さな車のハンドルを改造して片手で回せるようにしました。助手席は取っ払ってベッドのようにしました。そして、たった1人で88カ所を回ろうとしたんです。そういう方でした。

 最初は札所でお経を唱えておっても、腹が立ってしょうがなかったと言うんですね。悔しくてしょうがない。何で自分だけがこんな目に合わないかんのか、こう思った時に悔しくてしょうがない。やがて、1回が2回、2回が3回、4回になって、確か17、8年で306回と言ったと思うんです。

 ある時に私にこんなことを言いました。「僕は死ぬまで生きていく」って、ポロリと。言葉が不自由だったので、たくさんのことはお話にならないんですけど、ある時にボソッとお話しになった。「僕は死ぬまで生きていく」

 それがどういうことかというと、こんな障害の残ったできの悪い体でも、お四国の空気、お四国の水、あらゆるものが自分の体を今もなお生かし続けてくれている。それは元気な時はわかることもなかった。でも今、そういう思いに至ったから「僕は死ぬまで生きていく」とポロリとこぼした、そんな遍路人でありました。

 すべてお大師さまの計らいだと思って、自分の体のことも、電気店を経営しておった方なんですが、商売のことであっても、家族のことであてもすべて、お大師さまの計らいだと思って、淡々と受け止めて生きていく、そういう腹づもり、そういう勇気ができたんだ、と。私はとても素晴らしい小さな悟りの言葉だろうなあ、そんな風に思いました。

 障害が今まで苦しみと思っておった。その苦しみを苦しみと思わない、それを超えた気持ちになった。300数回お四国を回っても、障害がある。でも障害が苦しみと感じる心を超越することができた。だから、ありのままに受け入れることができた。それが「僕は死ぬまで生きていく」という言葉であったんだろうと思います。これもお四国の素晴らしいことだと思います。


◆遍路が日本を変えていく

 へんろ新聞というのがあるんです、皆さまもご存知だと思いますが。以前に先達さんから投稿がありました。「これからはお四国の出番」というようなタイトルでした。自分はたくさんお四国を回ってきた。でも最近は、観光遍路だとか、判取り遍路が多くなった。こんな風にちょっとなげいておるわけですね。これからはほんまもんのお遍路さんが1人でも多く生まれてこなければいけません。そして遍路は遍路で終わっちゃいけません。遍路が心を変える、社会を変える、時代を変える、その原動力になりえてこそ、本当の意味があります、とこう書いてあった。

 ああ、とってもええことやな。道中だけお遍路さんの格好であっても、それはいけない、ということですね。道中、確かにお大師さんと共に歩く。でも家へ帰ってきたら、不平と不満であったら、何のための修行か、ということです。

 遍路によって、その人の人間が変わっていく。人格が変わっていく。そしてその人が変わったら、家庭が変わっていく。家庭が変わっていったら、地域が変わっていく。地域が変わっていったら、世の中、日本が変わっていく。そういうような大きな目標に向かって、札所も先達さんも、そしてお四国のお遍路に関係あるみなさん方も、大きな目標を持って、これから四国というのは向かっていくべきだろうな、そう思います。四国から日本を変えていく、お遍路から変えていく。

 歌先生が最後におっしゃっておられたノート(ヘンロ小屋に置いてあり、お遍路さんが書くヘンロ小屋ノート)に、「日本を変えていく」というのがありましたが、それと一緒だと思っています。そういう意味で、私たちが高い思いを持って、自分たちはただの遍路じゃない、やがては日本を良い方向に変えていく、そういう風に思いながら一歩一歩進めていくことが大事だと感じます。

 この後、お寺の方を案内しますので、お付き合いください。



      ↑講演の後、海老塚住職の案内で竹林寺を参拝