建築家、歌一洋・元近畿大学教授「徳島県のヘンロ小屋とプロジェクトにかける思い」

 《「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会第15回総会兼記念講演会=徳島市・あわぎんホールでで2022年4月2日=ヘンロ小屋の映像を映しながらお講演です◇読みやすいように中見出しをつけ、写真も入れました。》


◇1万人以上の方々と一緒に57棟

 「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を始めまして約21年ぐらい経ちました。その間に本当にいろんな方に一緒に作っていただきました。特にここにいらっしゃる役員の方々は、2006年からずっと変わらずプロジェクトの中心になってやっていただいています。この人たちがいなかったら、私ひとりではほとんど小屋は建たなかったような気がします。

 他に会員の皆様方、そして特に地元の方々に多大な力をいただきました。皆さんボランティアで、協力いただきました。さらに企業の方あるいは団体の方、市町村、メディアの方、延べにしましたら1万人以上の方々に関わっていただいて、この小屋が今57棟完成しました。本当にありがとうございました。またよろしくお願いします。


◇海南駅前に第一号

 それで今日は時間があまりありませんので、細かい説明できませんのでダイジェスト版で、徳島でできた小屋15軒と、あともろもろの話を少しさせていただきます。1つずつ説明しますと時間が足りませんので、15棟の小屋のポイント、特徴といいますか、そういうことを話させていただきます。

 ヘンロ小屋はは全体で57棟ですが、最初にできたのは海南駅(海陽町)の前の小屋(ヘンロ小屋1号・香峰)です。野村(カオリ)さんが私費で作ってくださいました。材木とか石とかを周りの人たちが寄付をしていただいて、そういう人たちが中心に作ってくださいました。倉庫があったりトイレがあったり一番充実した小屋です。

 この方は88カ所を40回以上回っています。この小屋を作るまでは弁当を持って、道端でお遍路さんをお接待されていたんです。そんな敬けんな遍路信奉者の方が作ってくださったんです。


◇土地の特徴を活かして設計

 席に(ヘンロ小屋プロジェクトを説明した)プリントが置いてあります。それにに書いてありますので、よかったらまた見ていただきますと分かると思うんですが、小屋はお遍路さんが回る88か所の途中の道にあります。世界の巡礼地に比べると、特に地元の人の方々のお接待が非常にありがたい。また、お大師さんと歩くき、ずっと循環して気のすむまで何十回と回るということが、他にはないものです。

 私は18歳まで徳島で育ちましたので、お遍路さんにお接待してたんですよ。お米とかをあげて。その原風景が残っていて、お遍路文化の希少さに気が付いて、小屋づくりを始めたわけです。

 小屋作りは基本的にはボランティア、地元の方々が中心になってやっていただいてます。私たちはサポートという形でかかわらさせていただいています。

 設計は私がプロですからどういうことないんですが、できるだけその場所場所にある特徴を取り入れ、この小屋の空間、あるいはデザインに活かすようしております。材料なんかもできるだけ安い木材で作るようにしております。一つ一つの小屋の形が違いますが、物語があるわけです。物語性を重視しております。物語性を作りますと、お遍路さんも休んでいただく時に少しは楽しさを感じていただくかもしれませんので、こういう考えで進めています。


 ◇自由に休んでもらい、コミュニケーションができるように

 また1号・香峰に戻りましす。(小屋の写真を示して)この真ん中のおばさんがここのオーナー・野村さんです。横におられるのは近所の方で、手伝いに来てくれているんです。お遍路さんとコミュニケーションができるだけ取りやすく話やすいように、小屋の中の空間を構成しております。
 ヘンロ小屋3号・阿瀬比(阿南市)は、ムラの真ん中に作ってもらったんです。これは村の縁側ふうという意図です。昔は誰でも割に自由に家に入って来て談笑してましたね。そういうイメージで作って、気軽に地元の人に自由に休んでいただいて、お遍路さんもそうですが、ここで触れ合ってもらったらと思ってます。村の縁側というタイトルをつけています。こういう感じですごい狭い敷地ですよ。そういうところでもできるということですね。

 4号・鉦打は(阿南市)福井というところなんですけど、瓦の産地なんです、昔から。地元の瓦屋さんが寄付してくださり、葺いてくださいました。ここにはお大師さんの伝説、尻なし貝という伝説がありまして、中のベンチはその貝のイメージでデザインしております。お大師さんにまつわる物語、あるいはそれをデザインしたり、地元のなんかの物語をデザインしております。

 (小屋の中の写真を示し)これはその小屋に掛けてある札ですね、右側の「お遍路さんへ」というのは私の文章ですね、左側には私の設計の趣旨を書いて、左下にはいろんな方々に寄付していただいた方々の名前を書かせていただいています。こういう名前があったりなかったりするのは、地元の方のご意思ですので、書いてないところもありますし、書かれているところもあります。


 ◇物語性を大事に  宍喰町に作ったヘンロ小屋6号・宍喰です。国道よりちょっと下がってますので、海が見えるように2階に上げまして、太陽が見えるようにしております。作る時はは私の大学の学生も参加して、ベンチを作ったりしました。

 非常に風が強いところで、前にあった建物が風で飛ばされたこともあるというので、柱を斜めにして支える形にしています。これであれば風速60mでも問題ないように、強力な支えをしております。

 勝浦町の11号・勝浦です。皆さんご存じのように勝浦は昔はミカンの大産地でしたので、ミカンのイメージです。ベンチも丸い背もたれにしました。屋根のミカンのオブジェは地元の役員の皆さん方に作っていただいて、飾っております。ここはよくお遍路さんも寝泊りもしております。

 徳島駅(徳島市)から眉山の方に向かい、眉山の下に作ったのが12号・眉山です。ロータリークラブの70周年記念だったんでしょうか、みなさんがお金を集めて作ってくださいました。

 屋根デザインは阿波踊りの女性の鳥追笠をそのまま形にしております。小屋は二つあって同行二人。後ろが眉山ですので眉の形にしております。全部デザインは物語性を持つようにしております。


◇休んでいい気をもらって元気になるように

 これは神山町に作った36号・神山です。非常に眺望のいいところで遠くに鮎喰川を見まして、非常に美しいところなんです。ここ(総会)にいらっしゃる鍛谷幸一・支援する会徳島支部長さんを中心にして大勢の方々の寄付、あるいは土地を貸していただいて作りました。

 小屋は神の鳥が舞い降りて、また飛び立って行くという意味で作っております。神の鳥はすなわちお遍路さんですよね。ここにはトイレもありますし、充実した二階建ての雰囲気のある小屋になりました。右は鮎喰川でしょうかね、非常に眺望のいいとこで、休んでいてもいい気をもらって元気になるような感じです。

 39号・NASA(海陽町)は私の出身の昔の海部町で作りました小屋です。宇宙船みたいになってます。海陽町には大ウナギがおりまして、大ウナギの胴体のイメージでデザインしております。丸太は北山杉です。200本、私たち友達3人でもらいに行って、2tトラックいっぱいに積みました。徳島の私の実家とか他にも置いてまして、それがちょっとずつ使っております。

 その丸太は床柱に使う杉なんです。「小屋を作るんだったらあげましょう」と言われ、それだけの本数の寄付をいただいたんです。小屋の中はうねうね、くねくねして流れるような形にしております。ウナギのイメージで作った小屋です。

 美波町・日和佐は、ウミガメが来るとこで有名です。40号・日和佐はウミガメのイメージをデザインしました。地元の木材屋さんが費用を出してくださって、その土地に2階建ての小屋をつくってくださいました。「かめへんろ」という名前もあ、り建設の時にNHKの朝ドラ(ウエルカメ)は何ですかね,そのときの主人公に近い方が亀遍路という名前がついてましたので、その名前をいただいて名前をつけさせてもらいました。NHKさんですから断りがないといけないので,断った上で使わせてもらいました。快く[使ってください]と言われました。


◇自分たちの手作りも

 44号・神宅(上板町)は、10センチ角の木材を積み上げて作って、柱は全然ないです。山から風が吹いたり光が入ってきて、良い雰囲気になりました。

これを作ったのは私たち、役員さんの方々、あるいは大阪の方と私と10人ほどで一晩で完成させました。1日目の昼からと翌日の昼までに作りました。支援する会の会費と寄付で、工事費は賄いました。

 5番・地蔵寺さんの敷地なんです。地蔵寺さんの飛び地がありまして、そこは遍路道で、そこに作ってもいいと言われて作りました。工事は素人ばっかりの人で積み上げました。お金がなければ私たちでもできるということで、その後何軒かう、役員の皆さん、お手伝いの方々と一緒に作っております。

 45号・空海庵・切幡(阿波市)も、ここの席におられる鍛谷支部長さんが中心になって、10番・切幡寺の近くに作っていただきました。2階建てになってまして、ここは電気がついております。他は全部電気が付いてないんですが、ここはソーラーを屋根に乗せて電気を起こして電気がつくようになっています。トイレもまた近くにも作ってくださいまして、非常に充実してお遍路さんには特に喜ばれております。2階に上がると眺望も当然いいですし、割と充実した小屋になりました。

 前に白い鉄板を立たしていますが、あれは切幡寺にまつわるをストーリーをモチーフにデザインしたんです。一言で言いますと、空海さんがちょっと怪我して困った時に、地元の娘さんが介抱とか、治療してあげて治ってと言う物語がありますので、それで切幡という名前がついたようですが、その物語をこういう風に形に振り替えたんですね。4本の柱は木曽の知り合いが寄付くださいました。木曽ひのきです。非常にしっかりした木でした。

↑思いを語る歌一洋元教授


◇地元の方々が手作りで

 阿南市の大根(おおね)というところ、47号・大根に作りました。この時、東北の大震災がありましたので、その復の強い願いをデザインし作りました。費用は私の知人の東京のコンサル会社の方が百何万円も寄付してくださいまして、あとは地元の方のお金と、地元の住民の皆様方の30名あまりで手仕事で積み上げてくださいました。

 これも10センチ角の材料を横に積み上げていくだけですが、横の材料は人に見立ててやってます。バランスの一つでも壊れると調和がしなくなって、うまくいかないという事を表現しているわけです。人々の支えあいの大切さですね、遍路文化の根幹みたいなものを表現しました。

地元の方は農家の方が多かったので、だいぶ時間もかかりました。最初これを全部積んで持って行ったんですが、その時地元の方々が「素人が全くできないから、こんな塔なんて無理だ」とだいぶ言われて難しかったんですが、色々お話しているうちに地元の方々も「よーしやろうか」となり、こうやって頑張って作りました。大工さん一人の指導は受けました。少しですけどね。

 真ん中にあるのは五重塔でいう心柱です。心柱というのはみなさんご存知のように、地面にくっついてないで浮いてるんです。この心柱は地震が来た時に揺れて、建物のバランスを保つので倒れないんです。そのことが分かってましたので、地元この土地にあった木を切って、その木を一番肝心な心柱に使わしていただいてます

 ここも光と風がたわむれるので、中に入り上を見上げる、とだんだん光の状況が変わっていって、特有の雰囲気を醸し出しております。小さな小屋ですが、中に入った時、外よりもできるだけいい気の流れを作りまして、お遍路さんが元気にまた出てきていただくような、空間構成あるいは形にしております。


◇小屋の看板は支え合いを示す「人」型

 19番・立江寺さん(小松島市)の飛び地が遍路道沿いにあって、そこに作ってくださいました。120万円余りの寄付をいただいてます。これは祈りの形、単純な手を合わせた形です。ここにも言い伝えがあります。お京さんという方がいて不祥事があって追われて立江寺に来て助けられたんです。立江寺に髪の毛が祀ってありますが、ここで救われて、ここで生活をしていたということです。前はこの場所に庵があったんです。その土地に作らせていただきました。

 古い庵を壊して今は桜を植えたりして周りが非常に明るくて、ちょっとミニ公園になっていい感じになってます。奥にはお京さんの位牌が祀ってあります。小屋にはこうしたのをあまり祀ってはいないのですが、そういう経緯がありましたのでここには祀らせていただいてます。

 50号・牟岐(牟岐町)は、私の友人の会社社長が200万円ぐらい出してくださって、そして地元の方のお金も入れ、牟岐のちょっといい場所にに作らせていただきました。ここは元々お接待が盛んで、小屋ができたすぐ前に警察ぐあるんですが、お遍路さんを接待する会が警察署の広場にテントを張っておもてなししてたんですね。いろんなもんを差し上げてたんですけど、それだったらということで、警察の敷地に小屋を作るという案もありましたけど、最終的には何とかここ(警察署前)で作れるようになったわけです。

 小屋は細い板を積み上げていってるんです。近くにサンゴ礁、サンゴがあるんです。平たい普通のサンゴではないのですが、何とかサンゴの形になりました。  テントで使っていたベンチを持ってきて。小屋でも使わせてもらいました。テーブルもそうですね。小屋の看板は「人」という形になっておりまして、人と人との支え合い、お大師さんの言う人と人との支え合いですね。全部小屋にはこれだけはこういう看板がついております 。


◇周囲の自然や地域性を活かして

 美波町・日和佐に海賊丸までというレストランがあって、その敷地に作らせてくださったのが52号・日和佐海賊舟です。建設費は企業あるいは個人の寄付で、それで形は船をイメージしました。西側は眺望がいいので、西方浄土に向かう船のイメージで作っております。

 周りとの関係で、背もたれがあがっていってます。後が国道になります。車が見えると落ち着かないのでそちらを高くして、西を低くしています。西の夕日が見えるように。細かいデザインは地域の人たちと相談して作ってるんですが、自然や周辺のことも計算して設計をしています

 57棟の最後の小屋が、おとどしできた57号・土成(阿波市)です。三木元首相のゆかりの土地に作らせてもらいました。三木元首相の親族の方々はこの土地を阿波市に寄付されたんです。おもてなし公園を作るという話が出まして、徳島県の役所の方から紹介を受けまして一緒に作らせてもらったんです。そして市の土地ですか、今は市に寄付をしております。

土成というと、いうどんが有名な土地で、たらいうどんのイメージで桶が二つあります。その中はベンチになっています。

 屋根を支えている柱は片方で8本、8本重ねますと88というモチーフにしております。後ろに木材がありますが、阿波の山並みをデザインしています。地域性を活かして、後ろにたくさん丸太が立っています。あれが山並みのイメージです。隣に迷惑をかけないよう、壁を兼ねてそういうふうにしたわけです。。


◇四国の方々の優しさ、温かさ、親切さ


 ヘンロ小屋を作るとなると、お大師さんの偉大さを感じます。そのためにお大師さんと一緒に作りました。単なる小屋だったら進みません。お大師さんの偉大さは単なる一宗教人、お寺にこもってお経を唱えたり、布教をちょっとしたということではなく、実際に1000年以上経っても地域の方々に生活に寄与している。今もこれからもと思うんですが、一宗教人を超えた超人かもしれませんが、強靭性を感じます。総合性とか社会性とか、ありとあらゆる宗教性とか布教とか。特に今の時代に支え合いをしたり、優しい言葉とか心がなくなっていっているので、生きとし生けるものを大事にするというお大師さんの思想が今こそ大切になったというのを強く感じております。

そんなことでこの四国のお遍路文化は、四国にできた宝だと思う。世界中にないようなシステム。心のつながりあるいは形が少しずつ日本から少しずつ広がっていけばいいなあという感じではおります。

 今の世の中が変になって戦争だったりいろんなことが起こってるということがあるんですが、共感性とかするとか関係性とか想像性とか物語性をですね、ほとんどなくしていっているんじゃないかと私は思っております。こういうこのことを考えたり取り戻すことによって、もうちょっとましな世の中になるのではないのかなと思っています。小屋の作り方は、これらを体現していると思っております。それで最終的にはヘンロ小屋のような利他の精神性によって、今の世の中が良くなっていったらいいなと思っております。


◇少しは社会に受け入れられたもか

 このプロジェクはが色んな賞をいただきました。それはやっぱり社会に少しは受け入れられたということかなあとか思っております。賞は作ってくださった1万人以上の方々に与えられた賞です。受賞の文面を読みますので、再認識をしていただければと思うんです。

 四国遍路という巡礼の構図の中に、現代的に解釈されたお堂を地域で入手できる素材と地域のデザインをモチーフに展開している現在茶堂−−ご存知のように四国にはたくさん昔ありました−−。地域と遍路のいわゆるおもてなしの文化である。歴史的に見て1200年以上続く宗教的慣習。また札所周辺の風土とどう向き合うか建築ということで形で示したもので、国内に類を見ない取り組みは特出している。

 これはまた違う賞です。構想以来20年以上の歳月をかけて、一つ一つの地域の人々に呼び掛けて紡ぎだされるようにして生み出された。行く先々でお遍路さんをサポートする小屋を、全てボランティアで作り出すという行為そのものが現代の参加型アート、ひたすら脱帽をさせられる。

グッドデザイン賞をいただきました。何よりも2001年からボランティアで作ってきたという事実に圧倒される。しかも場所それぞれの特性をデザインに活かし、地元産の素材によって生まれた56カ所の小屋。これまでどれだけ多くの人が利用し、この場で何を考えそしてどのような交流が生まれたのだろう。支えあう精神、無償の愛が結実した素晴らしい取り組みに心から拍手を送りたい。ほかにもいっぱいあるんですが、簡単ですがこの三つだけ読ませていただきました。これは単なる自己満足だけではなく、少しは世の中に受け入れらているのかなと思っています。
◇小屋のノートに感謝の言葉

 最後にお遍路さんの言葉を読ませていただきます。一番最初はお遍路さんの小屋を作ってくださった方の完成後の言葉です。この方は高知である工場を経営する方です。自らかなづちを持って作ってくださいました。  「私は今まで頑張、り経済的に最高のときもありましたが、ヘンロ小屋を作ったおかげで人に喜んでもらえることは、いかに自分自身の幸せにつながるかを感じました。今はこの幸せを得ている最高の時です」

 次に阿瀬比の小屋を作った大工さんから、完成後にあるものをお送りしましたら、その手紙に書いてある文面の一部です。「私はこのヘンロ小屋を建設して、改めて人と人との支えあう大切さを感じました。人を支えることにより、自分も支えてもらえている。この当たり前のことが今の世の中に欠けるている一番大事な大切なことだと思います」

 ヘンロ小屋にはノートを置いてありまして、そのノートにお遍路さんがいろんなことを書いてくださってます。ほとんど感謝の言葉です。何本か読ませていただきます。

 「こんな立派な休憩所で疲れを癒すことは有難いことで、思ってもいませんでした。関係者の方々に感謝します。この方々に報いるためにも頑張らなきゃと思います」

 「建物を見て思わず立寄りました。遍路道を守ってくださっている皆様の気持ちが、またこのような心のこもった休憩所など遍路をしている時、痛いほど響いてきます。本当にご苦労様、ありがとうございます」

 「霊山寺への道の途中で休ませていただきました。助かります、ありがとう。町の皆さんへ、小学生中学生が挨拶してくれるだけでもありがたいお接待です、元気が出ます」

 「今日で5日目。こんな休憩所のおかげで何とか回れることに感謝。町の人々優しさが嬉しい。今日も残りわずか頑張ろう。自己の為でなく利他のため。人のおかげでお遍路ができていると思っています」

 「歩き遍路を始めて9日目です。この休憩所で休み、両方の足が痛くてたまらないのでぼちぼち歩いています。今日はお店であったおっちゃんにコーヒーをいただき、道の途中であったおばちゃんにちくわとはんぺんをもらいました。こんなにお接待していただいて涙が出そうです、本当にありがとうございます。この旅で素直に感謝することができるようになれそうです」

 「月夜の下、手押し車のおばさんから100円いただきました。小銭やけどと。お礼を言って別れましたが、そのおばあちゃんのことを思いながら歩いていて、胸がいっぱいに、、おばあちゃんお幸せに」

 「地元の多くの方々の善意をいただいてここまで歩いて来ました。人ってこうまで親切になれるものなんですね、改めて人間を強固に信じたい、これからも先頑張ります、みなさんありがとう」

 かなり重い文章です。「私は無期刑の仮釈放中の身です。私は法務省の許可をもらって、四国遍路中です。過去の罪を忘れたい、報われたい、ただそれだけのことです。私はもう25年も服役していますのでもう歳です。死ねば地獄です。でも今は極楽です。お金を持っているのですが、四国の方々のお接待に感謝しながら歩いております。今夜は薬王寺の山門で野宿です」。俳句が書いてありまして、「灰色の壁に嬉しい雪化粧」。

 「さっきお茶をいただきました。受けて忘れず施して語らず 」

 日本中の人が遍路するならば、もっと住みよい社会になるような気がいたします。

 最後です、「報いたり ヘンロ小屋に礼拝 遍路立つ」

 どうもありがとうございました。ヘンロ小屋のノートに書かれているような言葉は、皆さんにお配りした資料の中にも載っております。これ以外にもいろいろとホームページの方で記載しておりますので、興味のある方は見ていただければと思います。

↑歌元教授の講演



戻る