辰濃和男・「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会会長「利他のこころ」



 《2012年3月11日に香川県善通寺市、総本山善通寺で開かれた「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会第6回総会及び記念シンポジウムでの講演。読みやすいように、中見出しを入れました》


 みなさん、こんにちは。
 今日は「利他」というお話をします。利他というのは難しくて、私もよく分からないのですが。「利己」というのがありますね。利己主義というのは自分勝手というとです。自己と利他とどっちがいいかというと、利己の方がいいとおしゃる方が多いかもしれませんが、残念ながら今日は利他の話です。
 だいたい想像はつきますよね。利己に対して利他というのは。日本には、いや仏教にはいい言葉があって、慈悲という言葉がありますね。あれも利他に近いんじゃないでしょうか。それから慈愛という言葉があります。それからもっと日常的な言葉でいいのは、思いやりという言葉があります。キリスト教の方では愛という言葉があります。そういうものを全部ひっくるめて、利他ということを私は使っています。


   3.11は利他と利己の相克の現場


    何といってもこのごろ新聞を見ると、利他の心だな、と思わせるのが多くないんですよ。すごい世の中になっているんだな、と私も思います。
 この前、自衛隊が撮影した3.11の現場のフィルムがテレビで放送されましたね。ご覧になりましたか。初めてフィルムをテレビで流したというわけで、あれを見ておりますと、自衛隊の人は大変ですよね。冷たい海に何時間もつかって、遺体を1日でも1刻でも早く遺族に対面させてあげたいと。5時間、6時間つかっていると、本当に大変らしいですね、体はね。それでも一歩一歩踏み固め、しかも同じところを何回も何回もやっている。
 それが一方であるかというと、そんなに離れてないところの写真が、家がみんな倒れている、軒並み倒れている。よく見ると、地震で倒れたところばっかりじゃないんですね。人が倒してるんです。倒して、その中の金目のものを盗んでいく。すごいなあと思いました。一方で自衛隊の人たちが一生懸命遺体を捜す、何時間もかかってやっている。一方では、倒れた家に入って金目のものを、どんどんどんどん盗んでいく。その盗んだ跡があるんです。金庫壊ししたり、いろんなものを壊したりして。まさに3.11の大災害は、利他と利己というものの相克というんでしょうか、葛藤というんでしょうか、そういうものが渦巻いている、ものすごい現場だなと思いました。
 利他というのはよく分からないものですが、本能なのか。本能というのは生得的に、生まれた時から持っているものですが、そうであるのか、ないのかちょっと考えたいと思います。


       アーミッシュの村で


 1番最初に、こんな話、みなさんご記憶あるでしょうか。6年前になりますけど、新聞に載っていた、ほんの小さな記事ですけどね。アメリカのペンシルバニア州にアーミッシュという人たちが住んでいるんです。ご存知の方もいらっしゃると思いますけど、宗教団体ですね。キリスト教の非常に古い伝統的な形を、アメリカに来てもそのまま身につけてやっている。
 今でも電気を使わない、水道も使わないんじゃないかな。車に乗らない。ですから畑も馬と牛ですいてやっている。文明の利器を一切拒否している団体です。それから、戦争に反対して、徴兵があると、それを拒否するんですね。良心的参戦拒否とアメリカでは言ってますけども、徴兵に行かない、逃れる。戦争に行っても事務的な仕事、医療的な仕事には参加するけれども、戦場に行って人を殺すことはしない。そういうアーミッシュの人たちが、自分たちで村をつくっているんです。アーミッシュの村。ランカスターという所にあります。私も取材に行ったこともあります。
   

   小さい子の代わりに差し出す命


     そこにある日、若い賊が鉄砲持って入ったんです。銃を持って振り回しているんですね。たちまち、警備の警官隊に包囲されて、学校を占拠して、女の子だけ残して、先生や男の子を排除した。鉄砲を構えていると、女の子の中の1番年上の子どもが進み出て「小さい子を殺すのなら、私を殺しなさい」と言うんですね。男は殺しちゃうんです、本当に撃って。そして、2番目に年上の子、年上といっても12か3でしょう。小学校ですから。12にもならないのかな。その年上の子が出て「小さい子を殺すんなら、まず私を殺しなさい。あの子たちを助けてやって」と言うんです。男はまた、2番目の子を殺しちゃうんです。3番目、4番目、5番目、みんな殺しちゃうんです。後でわかったんだけど、その時、殺される子がみんな、自分を殺す代わりに、小さい子を助けてくれと男に懇願したけれども、男はきかなかったというんです。BR>  最後に自殺しちゃうんです、この男は。何ということかと思いますけど、結局6人死んで、5人が病院に担ぎ込まれたという事件がありました。これはすごい事件で、人間の利他、慈悲、または仏心、こういうものが極限のところに行くと、そういうことがあるんだなということを、しみじみ思いました。アーミッシュの人たちだからこそ、そうなのか、私たちはいったいどうなのか。銃を突きつけられた時に、「この子の代わりに自分を撃て」と言えるかどうか、というぎりぎりのことを私たちに問いかけてくれる事件だったと思います。


   利他は本能なのか
   

 新聞はそんなに大きく書いていない。ほんの小さく書いていたですけど、これはやっぱりすごいことだなと思って、私はすぐにアメリカのニューヨーク支局に問い合わせて、資料など送ってもらった記憶があります。それは本能だけじゃない。後で言いますけど、利他主義は人間の本能だというのが通説です。生物学者の私の尊敬する柳沢嘉一郎さんという方が書いています。本能と言っていいだろうと。
 ただ、本能だけでは、「この子の代わりに、私を殺してくれ」と言えるかどうか、ということですよね。私はそれができるかどうか、いつも問い詰めますがね。だから、本能であるけれど、本能だけではない。生まれてからの、いろいろな環境ですね、そういうものがあって、原石のダイヤを磨いていって、だんだんとダイヤにしていくという形で。生まれつきの利他の遺伝子みたいなものも、磨かないと、眠ったままになっちゃって、利己主義だけの人間いなっていってしまうじゃないか。今の学者がだいたい言うことですけど。

   
   利他の心の強さ

   
 3.11というのは、本当にそういう意味では、大きな出来事でした。人を救おうと思って、津波がさらっていくその人を助けようと思って、助けようとしたけれども、手が離れて津波に巻きもまれてしまった、そんな残念だという気持ちがある。
 助けようと思って、たくさんの人が助けられたこともあります。利他が成功した例もあるし、成功しなかった場合、苦い思いを胸に持っている方も沢山いらっしゃるとおもますね。救おうと思いながら救えなかった、おばあさんを救えなかった。手を握って引っ張ろうとしたけれども、手が離れて津波にまきこまれちゃったという方がたくさんいらっしゃいました。
 私はね、すごいと思いますね。3.11のために、人間の持っている利他の心というものが、こんなにもすごいものかということを痛感しました。学校の先生が、自分たちの水泳部の部員たちが、遠く離れた所にいる。それを、あんな所にいたんじゃ大変だといって救いに行って、それで津波に巻き込まれて亡くなった方もいます。
     それから看護師さんたちです。車いすの方が多い高齢者の方がたくさんいらっしゃるとこで、エレベーターが止まっちゃうわけですね。5階、6階まで車いすをみんで抱えて上げます。でも十人もの人を運べないです。そういう状況設定をして訓練をしているのかもしれませんが、半分くらい亡くなっちゃうんでうす。看護師さんたち、一生懸命5階に運ぼうとして、ついに力つきて、津波に巻き込まれて、何人もの方が亡くなっている。そういうことをたくさん聞きまして、新聞読むのがつらい時期でしたけど、あの出来事ほど利他というものは一体何なんだと、私たちの中にある利他心というものは一体何なんだと、みなさんお考えになったんだと思います。


   動物にもある利他の心

   
 そういう風なことばかり言うと、利他というのは人間の専売特許なの、動物はどうなの、ゴリラはどうなんだ、ゾウはどうなんだ、となります
 ゴリラが人を助けたという話はよく聞くんです。例えば動物園で、子どもさんが何かのはずみで落こっちゃった。ゴリラの遊び場と柵の間に空堀というんですか、水は入っていないけれども低くなっている所、ゴリラが外に出られないようにしておく所に、小さい女の子が落ちて傷しちゃうんです。みんな大騒ぎになって、助けようとするんですけど、どうしようもないんですね。あいにく係の人が昼ご飯か何かでいなかったというんで、みんなどうしたらいいか大騒ぎで右往左往していました。
 雌ゴリラがそれを見て、不思議に思ったでしょうね。少女が気を失って倒れている。そしたらゴリラが階段みたいなのを伝って下まで降りて、女の子をそっと抱きかかえて、また上っていって、係員が出入りする出口にそっと置いてやった。帰ってきた係員が無事に外に出すことに成功したという話があります。これは一例じゃなくて、何回かこういう話を聞きました。ゴリラが小さい子を救ったという話を。
 じゃあ、ゾウさんはどうか。ゾウもまた人を救うんですね。タイで大津波があったことがありました。スマトラ地震のときですか、何年か前です。タイのリゾートの所にも津波が来たんですね。津波が来るかなり前から、ゾウたちはゾロゾロ逃げていったんですね。ゾウといっても、リゾート地で飼っていて、みなさんを乗せて遊ぶためのゾウです。そういうことではしょっちゅう、人間を背中に乗せることには慣れているゾウなんですが。その時にはどんどん、どんどん、ゾウが逃げていくわけですね。まだリゾート地の人はそのまま、平然としてその場にいた。避難しようとする人は何人かいて、そうするとゾウは止って、鼻でグッと人間を巻いて背中に乗せて。知らない人ですよ、ゾウ使いでも何でもない。そうして人を乗せて逃げていき、その人は無事救われたという話を聞きます。
   

   原型は母性愛
   

 人間だけじゃないんですね。利他の心というのは不思議なことに、集団生活を送ってきたライオンとこゴリラとサル類、それからゾウもそうですね。そういうのが長年たって、遺伝子の中にどんどん入っていく。集団で生きていくとルールが必要で、思いやりのルールですね、それが必要だ。サルだって、子どもが亡くなって、残された子どもを別の雌が面倒にてやるということがあるそうですから、人間だじゃないですね、利他の心は。
 でも、人間の利他の心というのは格別、違うところがあって、さっき言った銃で撃たれようとした時に、その子の代わって自分の命を差し出すという劇的な利他の心があるわけです。いったい利他の心の発祥はどこにあるんだろう。いったい利他の心の原型というのは何だ。学者の説を私は知るほかないんですけど、やはりこれは母性愛ではないかと。人間の持っている利他的な遺伝子の原型は母性愛じゃないかと、いう風にいわれて、私はだいたいその通りじゃないかと思っています。
 母性愛。赤ちゃんが生まれた時に、私も経験がありますが、抱きかかえると、赤ちゃんは笑っているんです、ような顔をしているんです。常にじゃないかもしれないけど。泣いてるような顔をしている時に、お母さんがニコッと笑ってやる。お父さんでもいいいんですけと。そうすると、赤ちゃんが笑う。そうすると、またお父さんが笑う。笑顔のコミュニケーションです。
     赤ちゃんが非常に小さい時、1歳から3歳の時、人間の重要な神経系統のネットワークを、赤ちゃん自身がつくるのに奮闘しているんです。その時に、ニコッと笑ってくれる人がいると、この人が自分を守ってくれる、この人が自分を支えてくれる、この人がおっぱいをくれる、あったかい大きなものが自分を包んでくれるということが、だんだん、だんだん、赤ちゃんの神経系統のネットワークを利他的なものに変えるというか、育てていく。


       お母さんと一緒にいる時間


 その時に不幸なことですが、施設に入っていると、何人か看護師さんがいるんだけども、数が足りなくて面倒みれないことと、お母さんと常に一緒にいて、面倒見てくれるのと、どう違うのか。戦後の調査があるんです。ヨーロッパで戦争孤児がたくさんでき、戦災孤児のための施設ができました。ものすごく死亡率が高いんです。2年間で37%もの人が亡くなったという記録があるんです。
 それじゃあ、違うとこはどんなんだ。例えば刑務所があります。受刑者がいます。母親の受刑者がいます。その時に、乳児を預かる施設があるんです。これはアメリカの話ですけど。その刑務所の子どもの死亡率を調べると、4年間で2%。正確な数字は勘弁してください。いったいこの違いはどこにあるうんだということを学者が調べたところ、刑務所の中にある育児施設は、日本ではどうか知りませんけど、アメリカでは州によっては、お母さんが一緒にいられる期間があるんです。
   

   笑顔のコミュニケーション
   

 一緒にいて、よく面倒をみてやって、おっぱいも与えてやって。笑えばお母さんも笑うという、笑顔のコミュニケーションがそこにはあるわけでしょうね。ところが、不幸にも残念ながら、戦災孤児たちの収容所ではお母さんはもちろんいませんね。何人もの面倒みてくれる人がいますが、1人で10人とか10何人とか大変ですからね。ミルクをやる、何やかやをやる、いろんな仕事がありますから、1人の赤ちゃんのために時間をさくわけにはいかない。クルクル、クルクル一生懸命働いていらっしゃるけれども、いつも赤ちゃんそばにいて、赤ちゃんが起きて笑えば笑い返してやるという笑顔のコミュニケーションの機会がない。


       心の飢え


 笑顔のコミュニケーションがない場合、例えば赤ちゃんが目を上げると、怒った顔の女の人がいる、イライラ、イライラしている男の人がいる、笑顔が帰ってこない。いくら赤ちゃんが笑っても、笑い返してくれる人がいない、これは心の飢えですね。おっぱいを他の人に飲ましてくれるとしても、心の飢えに対しては適切な対策をとらないと、心の飢えがいつか、体の飢えになってしまって、いつか病気になって、死亡率が上がるという因果関係があるんじゃないか。
     仮説ですけれども、こういうことをアメリカの学者が言っています。私は想像がつきます。乳幼児のころに、父親と母親がけんかばかりしていてね、時には暴力ざたがあって、赤ちゃんに対する暴力みたいなもの、みなさん最近お聞きになるでしょう。1歳から3歳まで非常に重要な時期に、そういうようなところで育った赤ちゃん、特に人と人との接触、思いやりのあるコミュニケーションをとることができなかった赤ちゃんには、非常に不幸なことが起こるんじゃないか、ということがあるんだと思います。

       笑顔のお接待


 では、どうしたらいいんだ、ということになります。私は笑顔のコミュニケーションということを考える時に、すぐ思い出すのは、四国の道を歩いている時の笑顔で、「お遍路さん、ご苦労さんだね。今度どこに行くの」と、話しかけてくれるおばさんがいました。ニコニコ笑ってね。それから「お遍路さん、だめだよ」って言うんで、フッと振り返ると、商店の2階にいるおばさんが、「そっちの道はだめだよ、間違ってる。こっちに行きなさい」というようなことを、笑顔で言ってくれる方がいた。
 それから、さっきの管長さんの話にも出ましたが、車が止って、トラックの場合なんかもあるんですけどね、「おじさん、よかったら乗っていけよ」って笑顔で言ってくれる。ありがたいですね。「私歩いていて、本当に申し訳ないですけど、歩く修行してるもんですから」と断ると、「そうかい、まあともかく、頑張って行ってくれよ」なんてことを言ってくれる。それだけの会話ですけど、それはありがたいですね。笑顔のお接待というのは、非常にありがたい。だから人間にとって、笑顔のコミュニケーションというのは、どんなに大切かということを感じます。
   

   どこからともなく現れるおばあさん
   

 みなさんはむしろ、お接待をしてくださる側にいてくださるわけですけど、そのお接待が、みなさんが想像する以上に、2倍も3倍も何倍も大きく、いただく方に伝わってくるんですね。いただく側としては、される方が思っている何倍もの強さで、それが伝わってくる。
 私は本当に経験があって、40代と60代と、そして70代と3回歩いたんです。70代になって歩くと、ちょっとこたえるんですね。一生懸命歩いていて、夕方になると、もうヘトヘトになっちゃって座り込んじゃって、また立ち上がって、10歩歩いて、また座り込んで、そういう疲れ方になるんです。足の場合ですけどね。
 こういうことを繰り返していると、どこからともなく現れるおばあさんがいるんです。みんな違う方ですよ。違う方だけど、現われるおばあさんが。なぜ、おばあさんか分かりませんけれども。それで、「お遍路さん、大変だね」って言って、がま口出して、100円玉を3つも4つも出して、「お接待させてください」と言って、合掌してくださる。こちらは恐縮して、お互いに合掌して、合掌のコミュニケーションでしょうか、笑顔で合掌し合う。
   

   母性に包まれたお接待
   

 それで別れて歩きだすと、これは不思議なことで、足が軽くなっているんです。「そんなことないだろう」と、みなさんに言われるんですが。これから4時間、5時間かからなければ宿に着けないと思っていたのに、アッという間に宿に着いてしまいます。アッいう間というのも変ですが、1時間半ぐらいで宿に着いてしまうというような勢いで歩いていくことができるんです。奇跡的にそういう力がわくんです。
     その力は何だろうと思うと、やっぱり僕は、そういう時にくださる笑顔、しかもそれはおばあさんであれば、私も男ですから、そこにどこかに亡くなった母親の面影みたいなものがちらつくのかもしれませんが。そういう温かい母性に包まれているんだという、それが100円玉に込められていんじゃないかと思うんです。


   四国のあちこちで奇跡

   
 私は、そういうことが何回もありました。その時の、300円、400円いただいた時の、あの温かさ、あの強さは、人間を奮い立たせるものすごい力があるんです。単なる300円、400円じゃないんですね。ういう素晴らしい力があるんだと思います。これも私は、利他の極地、思いやりの極というか。ある日すれ違った遍路びととお接待をくださる人の間にある素晴らしいコミュニケーションだと思います。それは、今日も明日も、いつも、千何百年の間、四国の道のあちこちで、そういう奇跡が行われていて、それに勇気を得て、みなさん歩いている。


   歩いて体得することが大事
   

 私は二十歳くらいまでの間にぜひ、誰も彼も四国を歩いていただきたい。歩いて笑顔の コミュニケーションに触れていただきたい。自分でも本を書いていて恐縮ですけど、本を読むのもいいですが、体で味わう、体得するものが大事です。八十八カ所全部でなくてもいいですから、10カ所でも20カ所でも、歩くことが大切じゃないかなと思います。
 たくさん離したいことがあるんですけど、時間になってしまったので、これで終わります。私の結論はともかく歩け、四国を歩いてみようよ、ということです。それで、お接待というものをいただく時の、笑顔の相互コミュニケーションみたいなものを体験することによって、それがうんと広がれば、私がさっき言った母性というものを、抽象的にとらえることができるんじゃないかと思います。同時に自分のいる環境というものを、抽象的にとらえることができます。空風火水地という五つの宇宙お原則に触れ合うことができる。
   

   自然に包まれていることを知る


     空風火水地という五つの宇宙の原則に触れ合うことができる。千何百キロ歩いて、毎日毎日歩いていると、空のものすごい大きさ、風の心地良さ、それから太陽の光のまぶしさ、それから土の非常にいいにおいのする土、水の飲む時の快さ。空風火水地という五つの要素と、いかにたくさんの力を得ることができるかということを、これは言葉でいくた説明しても、最終的には自分が自然に包まれている、自然の暖かさに包まれている、厳しさもありますけども、自然と自分との距離感というものをつかむということが大事ではないかと思います。
 利他の話があちこち飛んで、お聞き苦しかったかもしれませんけど、私が言いたいことは、そういう結論でございます。今日はどうもありがとうございました。


↓写真=講演する辰濃和男・支援する会会長
=2012年3月11日

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