シンポジウム「交流の場としてのヘンロ小屋〜次世代への『お接待文化』の継承〜」



 《2012年3月11日に香川県善通寺市、総本山善通寺で開かれた「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会第6回総会及び記念シンポジウムでのシンポジウムです。読みやすいように、中見出しを入れました》


【パネリスト(敬称略)】
今津福人(ヘンロ小屋42号「宇多津・蛭田池」アダプションプラン長)
別所紘(ヘンロ小屋24号「高松・一宮」施主)
尾崎美恵(香川短期大学講師)
歌一洋(ヘンロ小屋プロジェクト主宰者、近畿大学教授、建築家)
亀山啓司(「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会香川支部長)
◇司会 梶川伸(「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会副会長)

  

    原点に戻って

  
【梶川】毎回、総会の後に、記念シンポジウムをしています。総会は面白くないですからね。今回は司会からもあったように、テーマは「交流の場としてのヘンロ小屋〜次世代への『お接待文化』の継承〜」しました。何でこんなテーマにしたんかいなということです。じつはこのプロジェクトを歌さんがスタートさせたのは2001年です。10年以上たちました。そして、歌さん1人でやっているのは大変やといって、私たち支援する会ができたのが2006年でして、もう5年以上たちました。じゃあ、この機会にもう1回、私たちがやろうと思った原点に戻ってみようやないか。それは、お遍路さんの文化というものを伝え合う、あるいは私たちも体感するということです。それと、1つの区切りになっていますから、今度どうするのかいなあ、ということをみなさんにお話してもらうことにしました。
 最初にパネリストのみなさんを紹介します。1番右手にヘンロ小屋42号宇多津・蛭田池のアダプションプラン長という、非常に難しい名前ですが、今津福人です。

【今津】ご紹介いただいました宇多津・蛭田池ヘンロ小屋、それとアダプションプラン、いわゆる里親制度を申しますけども、それを担当しております宇多津町の今津でございます。よろしくお願いします。

↓写真=今津さん(左)


【梶川】まず、私の方からみなさんのご紹介をしておいて、それから自己紹介をお願いします。続きまして2番目、さっきは42号だったんですが、今度は偶然その逆の24号高松・一宮の小屋の別所さんです。

【別所】高松・一宮の24号の別所と申します。

【梶川】続きまして、香川短期大学の講師をされています尾崎美恵さんです。

【尾崎】尾崎と申します。よろしくお願いします。

【梶川】こちら、プロジェクトの主宰者の歌一洋さんです。

【歌】私、建築、設計が本業ですので、大学の教授も一緒にやっています。

【梶川】私の隣が私たちの会の香川県の支部長をやってくれている亀山啓司さんです。

【亀山】亀山です。よろしくお願いします。

【梶川】では、これからシンポジウムに入ります。1番最後にみなさの意見も聞きたいと思っていますので、いろんなお考えもお聞かせください。いま簡単にパネリストの紹介をしましたけど、それぞれの方が小屋とどういうかかわりをしておられるのか、お招きしたのはなぜなのかを、話していただきます。最初、別所さんから自己紹介を兼ねて、プロジェクトへのかかわり合いをお願いします。



    当然のようなお接待

  
【別所】お遍路さんに関しては、小さい時からなじみがありました。ひょんなことから、こちらの亀山さんが持っているNPOの団体にたまたま私方の遠い親戚になる方のところが建設業の人がかかわっていました、この小屋ができる年、(平成)18年くらいに、この方にお会いした時に、こうこうこういうプロジェクトがあるんやけどと話し、「おたく、ちょうど、一宮(八十三番一宮寺)の通り道にあるから、ちょうど条件が合ってんじゃ」と言うんです。「よう考えたら、(一宮寺は)うちの家から5分のところじゃ」と言うたんですが、「それでも、絶対にいいからやろうじゃないか」ということでした。うちの嫁さんと相談したら、嫁さんがお接待に関しては近所中で有名でしたから、「そら、ええわ」と。ただ1つ条件があるんですよ。もともと歌先生は敷地内に建てようというのですが、うちは1つ家を挟んでいるから、遍路道のすぐそばではないんだ、と。ただし、すぐそばではないんだけど、遍路道沿いに私の駐車場が使えなくなって、崩れかかっている、そんな土地があるんだ、ということを離したら、「それはいい」ということで、トントントンといきまして、小屋ができたという次第でございます。同じやるなら、香川県で1番にやりたかったんですけど、それは亀山さんの方に譲って、(香川県の第1号が)丸亀の方にできました(ヘンロ小屋18号丸亀城乾)。たまたま、丸亀も私の生まれ故郷ですから、これはいいとします。
 うちの小屋や、全くの正方形の土地だったんですよ。歩かれた方は分かると思いますが、根香寺(八十二番根香寺)から一宮寺まで歩くと、そのづまり、あと10分ほどのところで迷うんです。とんでもないところを歩いて、迷い迷って、私方の東方にヘンロ小屋があるんですけど、西の方にまあまあの庭がありまして、その庭の方に迷い込んで、お遍路さんがウロウロ、ウロウロしている。そこで、母親がいつも接待していたのを見ていたんです。だから、お接待するのは、当然のような気持ちであったわけです。そんないきさつもあって、それじゃあ(ヘンロ小屋を)つくろじゃないか、となったわけです。
 (歌)先生は、正方形を四角にするのは大嫌いですから。まん丸にしたらいかんですから、ちょうど4分の1円にしてよ、と言うたら、先生は「扇方やで」と言われたんです。出来たのが、この建築で(ヘンロ小屋の写真が写る)、自慢の建物だと思っています。

↓写真=別所さん(中央)


【梶川】ありがとうございます。まあ、1番になりたかったという気持ちも分かるんですけど、一宮と「1」がついているからよろしいじゃないですか。さっき、お接待を当然のようになさっていた、と話がありましたが、私も遍路に行くと、よう感じるんですよ。みなさん、当然のようにしてはるんですね。そういう血を引くいてるわけですね。

【別所】そうそう、当然ですね。当たり前のようなことで、やっております。

【梶川】続きまして、今津さんのプロジェクトへのかかわり合いを。また、アダプションがなかなか難しい言葉なので、その辺の説明もお願いしたいと思います。



   アダプション制度で四季折々の花


【今津】私たちの町、宇多津町は坂出市との境界にあります。宇多津町というのは今は、少子高齢化の中でも、人口が増えています。昔は塩の町、寺の町として有名でございまして、お遍路さんやお参りの方がたくさん、坂出の島の方から船で来て、そして歩いてお参りしていた町でございます。蛭田池というんですけど、県道33号線にございまして、北側を埋め立てまして、今は蛭田池公園となりました。私たち坂下東自治会が公園に花を植えました。四季折々の花を咲かせて、道行く人、また近くの人をなごましていこうじゃないかと。
 アダプションというような難しい名前ですけど、これは里親制度ということでございます。町が親、私たち自治会が子ということで、町ができないこと、または公園整備でできないことを、私たち子がやる。町はどんなことをするかというと、花の提供とか、農道具とか、肥料とかを、いると言えば供給してくれる。それを私たち自治会の人が寄り集まって植樹し、四季折々の花を咲かせます。この4月は桜がたくさん咲く。花見もできる。桜についてはライオンズクラブが植樹をしたり、宇多津桜の会の方が桜を植えまして、今は20何本の桜が植わっています。河津桜、それとソメイヨシノで立派な花見ができる公園ができております。お近くへおいでの節は、ぜひ見ていただきたいと、このように思います。

【梶川】今、写真が出ています。私も寄せてもらいましたが、花がきれいに整備されています。この公園の中に、ヘンロ小屋があるわけです。花の力はおおきと思うんです。私事ですが、たまたま団地の中でちっとした空き地があるのでそこに花を植えてるんですよ。ちょうど、そこが子どもたちの集団登校の集合場所になってるんです。花を植えているだけで、子どもたちはあいさつをしますね。おもしろいですね。「おっちゃん」とか、うちの女房には「おばちゃん」とかね。花の力は大きいですわ。
 次に尾崎さんです。さきほどちょっと、お昼ご飯の時にお話を聞いてましたら、なかなか素晴らしいことなんですが、大変なことをやってはるんですよ。そのお話を聞かしてもらおうと思います。

  

   外国の人が母国の言葉で四国、遍路を紹介


【尾崎】尾崎と申します。私はお遍路に関してはほとんど素人なんです。フランス語の教師をやっていまして、四国の文化をヨーロッパの方にぜひ紹介したいという気持ちがありまして、2010年度から国交省のVJ事業として、パリの方で紹介させていただいています。私のコンセプトは日本の文化を日本人が外国で紹介するのではなくて、外国人が外国語で日本の文化をその国の人に紹介するのです。従って、お遍路の紹介はすべて外国人がそこの国の言葉で紹介するということです。
 2010年1月にまず、デビット・モートンさんというカナダ人の方ですけど、徳島文理大でお遍路の研究をされております。彼を呼びまして、外国人から見たお遍路の文化がどういうものかということで、香川県にいる英語の教師、この方も外国の方ですけど、そういう方とのパネルディスカッションという形で、外国人が見たお遍路文化という講演を、2010年にさせていただきました。
 私がこういうことをしている関係で、行政も少し動き出しまして、遍路のマップなんですけど、八十八カ所巡りの大きな地図を、四国ツーリズム機構にフランス語バージョンを作っていただきました。それを持って、2010年の7月にパリに行きまして、ジャパン・エキスポという日本のサブカルチャーという祭典で、遍路の紹介をさせていただきました。その時も、日本人が遍路の紹介をするのではなくて、歩き遍路を経験したフランス人がブースで、お遍路というのはこういうもんですよと4日間にわたって、フランス人に紹介していただきました。私がこういうことをしているということで、遍路のグッズを作っている方が、尾崎さんも好きなだけパリに持っていっていいよ、というので、20キロ、30キロくらいの納経帳などさまざまなものを持っていって、紹介させていただきました。それが下の段(会場で写された写真)ですね。
 私はお金も経験も知識もありませんので、みなさんにご協力いただいて、国の支援、お遍路さんであればお遍路関係者にお願いをして、商品を出しました。ブースにもこちらの善通寺の五百羅漢の映像を、プロの写真家が撮ってくださって、それを四国工業写真株式会社というところが、パリのブースに合わせた大きさに作ってくださいました。それを持っていって、張らせていただきました。商品も後にあるディスプレーも、みなさんのお接待というか、善意でさせていただきました。もちろんフランス人も善意で4日間にわったて、自分たちの遍路の経験をフランス語でフランス人にしていただきました。
 その後、10月には実際、フランス人に来ていただいて、遍路がどういうものか体験していただきたいということで、5名のフランス人をこちらに呼びました。ちょうどその時は瀬戸内芸術祭がありましたので、2名は瀬戸内芸術祭に行って、3名はこちらの善通寺さんに泊めていただき、2週間にわたって20カ所のお寺を私もともに回っておりました。すべて宿舎が提供していただいて、お寺さんが宿舎を持っているところは提供いただき、JRもすべて無償で乗せていただくという夢のツアーをさせていただきました。
 みんなブロガーですので、私がやっているのは、ブログ、ブロガーを通して、ネットを通して遍路の世界をみなさんに知っていただくことをさせていただきました。彼らにとっても全く初めての経験でした。やはり、東京や大阪、そういうようなところの情報はたくさんあるんですけど、四国の紹介はフランスでは皆無に近い中で、こんな素晴らしいところが日本にあるという、トトロの世界というのが日本にあるんだな、と皆さん感動して帰られました。



   小屋づくり、何回も足を運んで


【梶川】ありがとうございました。おもしろいですね。外国の方が自分とこの言葉で四国を紹介してくださる。僕は興味を持ちました。次は亀山さんなんですが、香川県の支部長をしてもらっています。支部長は何やってるの、とみなさんが思われるでしょうから、支部長は何をやっているのかということと、これまでなさっていきたことを簡単に紹介をしてください。

【亀山】私は支部長になりまして、丸亀城乾という香川県の第1号をつくることになりました。丸亀市内に候補地が10カ所あったんです。丸亀市の行政の方、そして私が日曜日ごとに、どこがいいんだろうか歩いてみてみたんです。そして今後、この小屋管理をしてくださる方があるんだろうか、ないんだろうかというようなことを、20回くらい会合を重ねて、よしここの土地にしようと、こういう出発点をとっています。
 同じようなことをするのですが、丸亀城乾は2年かかったんですが、宇多津の方は4年かかっています。これは、歩きお遍路さんがここがいいんです、というのを聞いてからのスタートです。土地をどなたがお持ちなのか、この土地の区画はどうなのか。実は私は県立高等技術学校丸亀校とこの4月から名前が変わるところに所属していますから、建築面的な立場も考えます。またNPO法人泥んこ広場というグループにも属していますが、地域のいろんな子ども会、老人会、婦人会、あるいは新しくできているNPO法人とかの交流をしつつ、どの土地がいいかを考えます。
 また、将来的にお接待文化をどうつなげていくか、あいさつするのもお接待でしょう、あるいは教育委員会との話でもお接待が出てきていますが、それらをどうつなげていくかということを考えて、小屋づくりを進めています。いざ、ここであれば1つの大きな団体ができた。そうしたらスタートしていこうとなります。
 香川県内の小屋は建築確認がいります。そうすると各役所に行って、建築確認申請前の土地の区画、土地の登記をしていないところもありました、そういうことを確認しつつ、歌先生と相談しながら進めていく。これがスタート地点です。そして、進めていく時に、どうやってその地域のいろんな団体を1つにしていくか、それが鍵だと思うんです。やっぱりいろんなところに、10回、20回足を運んで、夜間の会合も開いて、みなさん「これはやっていこう」「どうやって続けていこうか」と話し合い、そうやって進めています。これが1つの方法です。
 建物つくる時、必ずその土地にはお子さん、中学生、次の世代を担う方がいます。この子たちに、何か建物をつくる上で、協力していただけないかなと考えつつお話をしていって、建物ができあがっていきます。建物ができたら、私たちが何もしなくていいというわけにはいきません。3年ほど前でしたが、チャリティーコンサートというのを、丸亀城のお城まつりと一緒にみなで進めたことがあります。すべてチャリティーの金額は4棟の小屋の維持管理、屋根をつけるとか、塗装をするとか、そちらの方にすべて回させていただきました。
 これから、先々建物としては残っていきます。そうすると、今度子どもたちに、お接待文化というのを分かりやすく伝えるものはないかなと、歩くこと、そこでイベントすることも同じなんですけど、こんなことを考えながらやっています。
 NPO泥んこクラブというのは、さまざまな団体の方とすごい交流をしています。東北大震災の方も5回くらい、有志の方を派遣しています。損得いうのは関係ない。自分のためになるんかというたら、そうではない。やりたいからやる。山があるから登っていく、それと同じようなことで、そういうことがお接待文化という同じだと思います。子どもたちは、あいさつをよくしてくれるようになりました。



   プロジェクトのすべてはボランティア


【梶川伸】これで一通り、自己紹介が終わりました。1つ追加して説明しておきますと、プロジェクトの基本的な部分なのですが、さっき土地という言葉が出ました。実はこのプロジェクトはすべてボタンティアによるものです。まず、土地を提供してくださる方がいる。そこに建てることに協力してくださる方がいる。そうすると、歌さんがその土地に合わせたデザインを考えます。そうすると、労力奉仕をするか、お金がかかるので寄付金を集めるかなのですが、すべてボランティアです。実は土地を探すというのは、結構大変なことではあるのです。それは前提のお話として置いておきます。
 これから本題に入るんですが、今日このようなテーマを設定した1つの重要なことは、歌さんがいつも言っていることがあって、それが今日のタイトルです。歌さんがヘンロ小屋というものを設計していますが、どういう思いで、どういう気持ちでつくっているか、まず話をしていただいて、そこからみんなで話し合っていきたいと思います。


   大切なのは人と人の触れ合い、助け合い


 【歌】亀山さんが今話をしてくださったように、小屋自体は本当に2、3坪から4、5坪の小さな、小さなものなんですが、ボランティアでつくっていただいていますので、かなりの時間を要しています。亀山さんもおっしゃったように、土地が見つかっても、なかなか調整とか、一緒にできるだけ大勢の方々にかかわっていただきたいという思いもありますし、それを支部長さんやいろいろな方々が頑張ってまとめてくださるんです。ですから、小屋といっても1カ月、2カ月ではなくて、1年から2年、時には数年かかることもあります。そおこと自体も、私は非常に価値があると思っています。いろんな人たちが話しをしながら、よくなったりまずくなったり、いろんなことがあると思うんですが、そうすることによって、1つのものがまとめ上がられていく、小さいものでも。その過程自体が、人と人との触れあいが生まれると思いますし、大事に思っています。
 小屋の形自体は、小屋は全く方便ですね。要するに手段です。小屋という形をつくった方が人間は分かりやすいと思います。しかし、最も大切なのは、その人と人との触れ合いといいますか、助け合いといいますか、思いやりといいますか、そう思っています。小屋ができまして、後々小屋もりもしてもらうわけですが、お遍路さん同士、お遍路さんと地元の方々、いろんな子どもたち、世代いっさい関係なく、そこで触れ合っていただく、それが1番大切なことだと思っています。それには、ちょっとした空間があった方が、仕掛けとしてはいいと思いますので、小屋をつくったわけです。
 それと、もう1つ大切なのは、人と人の触れ合いも大切ですが、小屋を使うことによって、辰濃先生がよくおっしゃってますが、歩くことによって風に吹かれたり、雨に打たれたり、潮風を浴びたり、空気に触れたり太陽を浴びたり、自然と話をしていると思います。私も小屋入った時に、外を見ながら、あるいは中でもいいんですが、自然との触れ合いをしてほしいと思っています。当然、人間も自然の一部ですから、自然と一緒やという感覚を持ってもらいたいと思います。ありがたい、といことも当然ありますが、自然というのはありがたいことばかりではないと思っています。とにかく、どんな災害に遭っても、それは自然の一部だと、人間も自然も、自然の摂理だということもあると思っておりますので、できるだけ自然との触れ合いも大切に、少しでも感じていただけるようなベンチの構成だとか、空間のつくり方、あるいは風景を取り入れながらという思いでつくっております。



   「ハ」の字の意味するもの


【梶川伸】歌さんの設計の中に、必ず入ってくる形があります。人というような字といいますか、その形といいますか、それが入ってくるんです。これは何を意味しているのか、それを少し説明してください

【歌】それは、柱のことですね、「ハ」の字の。ハの字というのは、お大師さんの教えであります、人と人との支え合いをイメージしております。支え合えば、元気になるといいますか、ちょっと崩れかかっても崩れないという意味を込めています。建築学的には当然、風に対してだとか、地震に対して1本の柱より「ハ」の字、あるいは4本の柱の方が強いわけですね。両方兼ねて、誰にも分かる形で表現しています。

【梶川】いまのことを1番基本にして、話し合っていきます。歌さんは、触れ合いということと、支え合いということを、いつも言います。その典型的な例はお接待だと思います。別所さん、一宮の小屋で、お接待はどんなようなされているのですか。



   野宿の場所を教えることも


【別所】1つは、ひょっとヘンロ小屋に行って、(お遍路さんが)おるとかね、そういう時にお接待をします。(午後)4時前くらいに、「あと(一宮寺まで)5分だけど、それが耐えられない」といっておられる方とか、朝早く出ていく人が(小屋に)寄って出て行くこともあります。歩き遍路ツアーというのがはやってますから、そういう情報が知り合いから入ることがあり、通りかかる時間帯に、たいしたことはできないけど、大勢の人たちのお接待をします。こういうのが年に2、3回あります。
 宇多津の郷照寺さん(七十八番郷照寺)のそばに最近できている善根宿(お接待で宿を提供する家)の人が友だちです。善根宿は宿泊できるんですが、若い人たちが寝袋を持って一宮寺を出た時にどうしても野宿をしなければならない時があります。そした時に善根宿の人から「別所さん、こうこうこういう人が行くから、野宿するとこ案内してよ」と連絡が入ります。ちょうど近くに公園がありまして、市の農村公園で、ため池をグラウンドにしてますから、お水もあるし、トイレもあるし、それから休憩所もあるので、そこを教えます。一宮の住職さんが「お寺では泊められないから、そこがいいよ」と言って、そういう人に教えたことがきっかけになりました。
↓写真=シンポジウムに聞き入る聴衆





   お接待に特製の甘酒


【梶川】どういうお接待をしているのですか。何か声をかけるのですか、それともお茶を出すとか。

【別所】お接待は声もかけるけど、暑い時であれば冷たいもの、冬であれば、うちの特性の甘酒ですね。甘酒は飲んだら、少しお腹にたまるんですよ。すきっ腹にはちょうどいいんですよ。大勢で来た時は、冬の寒い時は、友だちと集まって、熱い甘酒をしてあげたりしていますね。

【梶川】宇多津の方な間もないわけですが、現状はどうですか。小屋はどんな使われ方をしていますか。



   隣近所に絆を大切に


【今津】私のとこは、42番目ということで(2011年)8月に完成しました。最近まで寒かったですが、歩き遍路の方は時々見かけます。あいさつは、私たちの方から「おはようございます」「ご苦労さんです」とか、「大変ですね」とか、声かけをしている程度です。今後については、あそこには桜がいっぱい咲くので、満開になると近辺から花見に来るということもあります。歩き遍路さんの休憩も今後は増えると思っております。特に、私たちは隣近所の絆、歌先生もおっしゃいましたが支える力を大切にしようということの中で、今後は遍路の精神を大切にして、じょじょにではありますが進めていこうと思っています。



   もっとヘンロ小屋プロジェクトの情報発信を


【梶川】今のお話はヘンロ小屋42号の宇多津・蛭田池の小屋のことなんですが、その後に43号しんきん庵・秋桜(こすもす)というのが、愛媛県四国中央市にできています(2012年1月27日落成式)。今日、お遍路さんも来られているんですが、何と偶然に43号のヘンロ小屋ができた時に、1番に来てくださった方がたまたま来られているんです。ちょっとご紹介しますのと、その時の印象を一言お願いできますか。

【聴講していた男性のお遍路さん】私は長野県から来てまして、去年の年末から先月2月の頭まで通しで(遍路に)行ったんです。ちょうど、1月の27日ですか、四国中央を歩いていましたら、横断幕があるので行ってみたら、ちょうど除幕式がある日で、寄ったらお接待していただきました。見てて街中にヘンロ小屋があるというところが少なくて、街中で休むところが少ないんで、そういう意味でいうと、休むところができていいのかなと思います。
 あとは、ちょっと要望なんですが、私も今、ヘンロ小屋というにたくさんの人がたずさわっているんだというのが、これに参加して初めて分かる。四国外から来ていると、こういう感じでヘンロ小屋ができているんだということが全く分からないもんですから、寄って休憩する、それだけになりますので、こういう感じでつくってますというのを、もうちょっと発信してくれるといいかなと思いました。

【梶川】力足らずなんやあ。今日はどうしてこられたんですか。


   偶然の出合い


【聴講していた男性のお遍路さん】ちょうど、結願してお礼参りで一番の札所に行った時、このシンポジウムがあるという絵はがき(はがき型の案内パンフ)をお寺の方からいただきまして、1番最初に(ヘンロ小屋43号に)行ったというのもありまして、来させていただきました。

【梶川】ありがとうございます。何と、その絵はがきを持っていった人が、(マイクをお遍路さんに渡した)後の人。彼女が置いていってくれたのです。

【会場のマイク係をしていた柴谷宗叔・「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会役員】私がお寺に絵はがき置いてください、といって回りましたら、ちょうど一番さんに、私の(高野山の)兄弟弟子が勤めていまして、やっぱり同じ尼僧なんですけど、これはというお遍路さんに配ってくださいね、とお願いしていたんです。彼は見初められた、ということになるかと思います。

【梶川】今、日本でのお接待の話をしています。続いて、尾崎さんに、フランスや外国の方が四国に来る意義だとか、外国の方たちがどんな印象を受けるのか、といったお話をお願いします。その辺は非常に知りたいことですから。



   「世界で1番優しい人が住んでいる四国」


【尾崎】四国の情報というのが、ヨーロッパの方にはほとんど行っていないようで、少林寺とかALTで英語の教師で来るとか、特別なことがない限り、東京や関西や九州や北海道と違って、観光で遊びに来るということはほとんど皆無と、彼らは言っています。彼らは、四国の情報がないので、行く動機づけが全くないわけです。我々の企画に入ったから、この四国の素晴らしさを知ったということです。こんな素晴らしいところがある、世界で1番優しい人たちが住んでいるのが四国じゃないのか、と言っております。こんな素晴らしいところを何でみんなはもっと発信しないのかと、本人たちも言ってますので、微々たるものですが、これからもどんどん発信していただきたいな、と思います。
 私はたまたま、外国人の遍路の方と連絡をとることが多いんです。若い人の間では、日本の文化、サブカルチャーを含めて日本の文化は非常に熱くヨーロッパで広がっているんです。日本の文化や日本人を知る手段として、遍路を通して日本の文化を知りたいという人もいます。年配の方は病気だったり、人生の苦しみの中で、コンポステーラ(サンティアゴ・デ・コンポステーラ=スペインの巡礼道)と同じような遍路が日本の四国にあることを知って、来てみたんだという人もいます。
 肺がんで余命1年だと言われていたけれども、歩き遍路じゃなかったんですけど、帰ったらすごく良くなって、お医者さんが「奇跡が起こった。この世にいる人じゃないのに、あなたはすごい」と驚いた人もいます。2度目は歩き遍路で去年来られまして、お会いしたら、本当にお元気そうでした。奇跡が起こった、と言われているので、私たちが気がつかないとこで、すごいパワーを与えているんじゃないかと考えています。

↓写真=尾崎さん(中央)




   お遍路こそ外国人にピッタリの旅


【梶川】四国の人にとってもうれしいだろうし、私たちにとってもうれしいことですが、「世界1素晴らしい」というのは、どういう点が素晴らしいのでしょうか。

【尾崎】お接待じゃないかとお思います。景色とか、自然もあるんでしょうが、一期一会いいましょうか、全く知らない国に来て、知らない人から優しい声をかけられるということは、外国人の旅をしている人にとって、こんなに心強いものはないんじゃないかと思います。どんなおいしい料理よりも、どんな素晴らしいホテルに泊まるよりも、全く知らない人からおミカンをいただいたり、おにぎりをいただいたりすることの素晴らしさは、何物にも代えられないと言っています。
 では、四国のお遍路も海外に知ってもらい、1人でも来てもらいたい、と彼らに話をすると、「尾崎さん、たくさん来てこらったら困る。お接待は(来る人が)少ないから、僕たちは非常にいい環境にいる。外国人がバスツアーで遍路なんかしだしたら、終わりだから、絶対広めないでください」と言うぐらい、彼らにとっては宝物、宝島のような感じでいるなと思います。私は、バスツアーなどは絶対、外国人にしたくありません。
 日本人は団体で、ツアーを組んで回るというのがパターンなんですけど、彼ら名基本的に個人で、自分の中で新たな発見をするということの中でしか、旅の醍醐味がないような気がしますので、お遍路こそ外国人にとってピッタリした旅行じゃないかという気がしています。そういった意味で、日本知りたければお遍路に来てくださいと、日本の素晴らしさがここに凝縮されていると、自信を持ってPRしていく所存です。



   ヘンロ小屋ノートの書き込みにも外国人増える


【梶川】ヘンロ小屋という休憩所には、お遍路さんに自由に書いてください、というノートを置いているところが多いんです。それを見ましても、最近外国の人が多いです。一定程度、支援する会のホームページに入れているんですが、僕は外国語がだめなんで、その部分は飛ばしているんですよ。ホームページの中ではほとんど出てこないんですが、非常に多いんです。それだけ、喜んではるんでしょうね。別所さん、先ほどお話を来ていましたら、外国の方との触れ合いもあるんだけど、外国に住んでいる日本人で方のことに触れておられましたが、どういうケースだったんですか。

【別所】私たち夫婦と同じくらいの人がウロウロしているんですよ。どうしたんかな、と思って「どちらに行こうとしとるの」と聞いたんです。そうすると、「遍路道探しとる」と言うんです。この人、日本人ですが、アメリカから来た人でした。話を聞いていたら、1回来たことがあるんだけど、一辺アメリカに帰ってきて、また歩きよるんですよ、という夫婦だったんです。私方の一宮付近の道もさっぱり分からん、というのです。先ほどに尾崎さんお話のように、その人も遍路道が良かったというんで、また進めているんかも知れません。
 尾崎さんの話の中で外国人がバスツアーを好かないというのは、理由があるんです。スペインの巡礼の道をバスツアーしていることありますか。みんな歩いているんです。1年ほど前に、2人のスペインの夫婦を、(一宮寺への)行きと帰りだけでいいから見てやってよと頼まれたんですよ。出る時はいいんですけど、なかなか帰ってこないんです。結構楽しんで、お寺だけじゃなくて、寄りもって寄りもって、暗くなるまで楽しんでいる。日本人だったら、絶対ないですよ。



   循環、お接待、同行二人


【歌】私は30カ国近くをちょっとだけ旅しましたが、これだけ親切な国民性は外国では少ないと思います。その中で四国の方々はもっと素朴で、親切で、おもてなしの気持ちが、お遍路さんおおかげで、昔からずっと保たれていると思います。
 先ほど、スペインの話が出ましたが、あれは単純に直線的に行って、それで終わりです。こっちに来て回りますと、1カ月以上かかります。それで物足りなかったら、また回る。3回でも4回でも、100回でも回れる。心ゆくまで回れるという形が、世界にない形だと思います。結局、循環ですよね。
 それとお接待、おもてなしですね。地元の方がさりげなく、お餅あげたり、柿あげたり、100円あげたり、1000円あげたりする。さりげなく、日常生活の中に溶け込んだ形で、さっと、何のてらいもなく、ゆったり行動する。そのお接待の形も、なかなか外国にはないと思います。スペインでもちょっとあるような気がしますけど、それだけ徹底していないと思います。お接待の形が素晴らしいし、ちょっとしたことで元気づけられます。力をもらって歩いていく。目に見えない人間と人間の触れ合いによって元気になっていくと思います。
 最も世界でもない形ですが、同行二人という考え方があります。一般的には杖がお大師さん、1人で歩いてもお大師さんと一緒に歩いているというイメージですかね。で、お大師さんに助けられているという形がありますが、わたしはもう少し膨らまして考えます。自我の心、自己実現の気持ちといいますか、先ほど辰濃さん(辰濃和男・「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会会長。シンポジウムの前に 利他のこころ」と題して講演。会場にいる)がおっしゃっていましたが、利他の心一方で、日常生活の雑多で、迷ったりするような俗の世界とを、行ったり来たりするんですよね。歩くことによって、できるだけ利他の心が増えていく。本能もあるかもしれないんですけど、磨くことによって、利他の心が増えていくとおっしゃっていましたよね。小さいころから亡くなる前まで、利他の心も増えていく、そういう思いも同行二人の中にあるんじゃないかなあとか、思ったりしてもいます。単純に言えば、その3つ、循環のシステム、お接待のシステム、同行二人というイメージが、世界に誇れる文化だと思います。

↓写真=歌さん(中央)




   お遍路と人生は何度でもやり直せる


【梶川】今の言葉の中で、心行くまで回れるというのはおもしろいですね。実は今マイクを持っている方も、心ゆくまで回っています。ここで、ちょっと辰濃さんに聞いてみたと思います。辰濃さんは何度も回っておられますが、よくお四国病院という言葉を使いますが、これは何なんですか。なぜ何度も回ろうと思うんですか。

【会場の辰濃さん】歌さんがおっしゃる通り、円だからですね。西洋は直線で行って直線で帰るのが多いですね。日本の場合、円環でしょ。人生1度きりだけど、お遍路と人生は何度でもやり直せるんですよ。1回目はうまくいったけど、2回目は失敗したと。3回目をやってまたうまくいったけど、4回目また失敗したと。何回でもやり直せるという、いまい具合にできていますね。これを考えた人は天才ですね。

【梶川】辰濃さんは80代で歩いて回ると言っていますからね。今まで、空間的な広がりといったものを話してきました。サブタイトルにもありますけれども、今度は継承という面です。さっき、亀山さんの話の中で、子どもさんたちに参加してもらうんだということがありました。亀山さんは世代を超えての継承を何度も言うんですが、どういう大事さがあるのか、なぜそうしなければいけないのか、その辺を説明してもらいましょう。



   テーマがあれば、感じるものがある


【亀山】私はこの近辺、仲多度郡の子ども会の副会長をさせていただいとったんです。香川県全体の子ども会ともかかわっていました。その中で、お遍路さんという言葉、お接待ということについて、大体小学校の3年生、4年生に聞いてみても、6年ぐらい前の話では全く分かりません。じゃあ、言葉として表せないんだったら、絵をかいてみてくださいというと、その絵も描きません。私は52歳ですけど、残念ながら、私どもの年齢と子どもたちの間でものすごい差異があったのです。
 多度津町のヘンロ小屋に、小学校3年生約70人ですけど、タイル画をつくってみませんか、という話を持っていきました。先生にご相談して、1人ひとりがスケッチしてくれました。そのスケッチから1つのタイル画をみんなでつくっていくんです。しかし、子ども会という学校とは離れた地域の活動の中と、教育委員会という学校の中の活動を見ると、やっぱり一緒だったのです。そこで、今は小学校3年生の先生方も、ヘンロ小屋の周りの掃除とかを考えて、何とか伝えていこうということを考えております。大事なのは、その子たちのおじいちゃん、おばあちゃんが掃除などをしてるんです。老人会、婦人会が。そうすると、ようやく子どもたちは、お接待文化といわれるものが、ほかにはないんだなと、感覚でみんな感じてきています。
 これと同じようなことを、今度は宇多津のヘンロ小屋に関連して、高校生に聞いてみました。お接待って何なんでしょうかと、坂出の方の高校生に。まず、みんなインターネットで調べるんですね。お遍路とか、お接待を。立派なイラストレーションとして絵を描いてきました。例えば、うどんの絵を描いてきた人もいました。これはおかしいかな、と言いよったら、その中で11名ですけど、みんなで話し合ったそうです。そこにはお寺さんも出てきていません。私が良かったのかなと思ったのは、祈りでした。宇多津の小屋の天井にはハスの絵が描かれているんですが、手で拝んでいる祈りというのを、みなさんが導き出したんです。
 これ、ひょっとしたら、テーマを与えれば子どもたち、小学、中学、高校生なんですけど、私たちが言わなくても、何か感ずるものが出てきてるのかな、と思います。みんな通常はあまり考えない。だけど、ヘンロ小屋と言われた時に、それってなあに、と原点に帰った時に、一生懸命考えているんですね。世代の継承の1つの方法かもしれない。子どもらは、僕らがやっていること、みなさん方が地域でやっていることよく見られています。お接待は形もあれば、心もあると、ちょっとでも伝えられればと思いますし、ヘンロ小屋をつくってきて伝えられているのかな、と思います。
 本来なら、みなさん方の話を若い人たちに聞いてもらえばいいんでしょうが、今日は別の所の祈りとか、山整備に行っていて、失礼している人たちもいます。

↓写真=亀山さん(中央)


【梶川】次回以降は、若い人たちにも聞いてもらえるようなシンポジウムに「しなければいけませんね。私は歩いたりしていると、子どもたちが「お遍路さ〜ん」とか「頑張って」とか言ってくれる場面にはよく出会うんですけどね。でも、それが地域によって差があったりするでしょうかね。その点、大学生の方はどうですか、お遍路さんとか、お接待の文化に関心があるんでしょうか。



   四国の国立4大学が遍路を単位認定しては


<【尾崎】県外の人はよくそういうような関心を持っている方に私もよく会うんですけど、県内の人はそういうお遍路の文化に興味を持っている方と会うことはまずないですね。私が思っていることは、大学として単位認定をして、4年間の在学中にお遍路を1回周ってくるということを、4つの国立大学が提案して、そういう形でやると、先輩から後輩へ情報交換、サークルでの情報交換で、どんどん広がっていく。そういう形で四国にいる大学生から経験をして、その人たちは県外から来られている方もたくさんいるので、地元へ帰っていろんな形でやるというのが、決してむだではないし、これこそ教育の根幹ではないかと思います。私が学長であれば、絶対単位認定をします。香川大学学長になることがあったら、香大生は4年間の間に遍路を回ると、回れない人は卒業させないというぐらいの気持ちでいるんですけど。BR>
【梶川】楽しみにしています。

【会場の男性】香川じゃないですけど、今治短大はやっていますよ。

【尾崎】各大学には、お遍路の専門家といわれる先生がいっぱいいらっしゃるんですね、論文書いたり。しかし、アクティブな形でやって、初めてお遍路が活かされるので、これからは本を書かれたりするだけじゃなく、外にアクションを持っていくというのを、ぜひやっていただきたいと思っています。それが、次世代に受け継がれていく。私は就職支援活動の授業をさせていただいているんですが、学生は非常にひ弱で、どうやって社会に順応させていくかな、という学生がほとんどです。そういう学生にとっても、2カ月あまりの非常に厳しい環境の中で自分と向き合いながら、1つの目的に向かって達成することというのは、就職活動でもPRできる大きなポイントになると思っています。



   小学校の授業でお接待を学ぶ


別所】私ところの小屋のところは、文京地区なんです。小、中、高、幼稚園がある文京区なんです。そこにヘンロ小屋があって、お遍路さんに接待をしているわけです。小学校3年生で、お遍路さんの学習があるんです。お寺に行って、四国八十八カ所はどなもんか聞いてくる。その後、「お接待のお話を」言うたら、「お接待はお寺がするものじゃない。別所さんという人にお願いをしなさい」と、一宮の住職が先生に言ったそうです。私は夫婦で話に行き、この間2回目を行ったんです。11月ぐらいにそのお話をしたら、2月に発表会をするんです。素晴らしい研究をして発表をしてくれます。案内を受けて聞きに行くんだけど、大したもんだなと思います。私どもの小学校については、お接待というのが分かっていると思います。うちの小屋お掲示板にも時々、手紙書いている子どももいますし。



   高知は日本のブータン 所得は低いが心は1番


【梶川】モデルケースですね。今日、高知からみえた方がいるんです。ヘンロ小屋28号松本大師堂(高知県香美市)の依光栄さんら3人の方です。松本大師堂ではどうですか、次世代というか、若い世代への継承はどんな感じですか。

【会場の依光さん】若い世代は、私らやけどねえ。

【梶川】そうか、(60歳前後が)1番若い世代ですか。

【依光】私たちが思っているのは、高知というのは日本の中のブータンです。所得は最下位ですけど、心は1番です。まず、地域に下ろしてますね。地区をあげて、おヘンロ小屋の取り組みをしていますので(毎月21日には、ヘンロ小屋でお接待をしている)。これから、いろんなことをやるんですけど。さきほど、尾崎先生の話で感心したんですけど、フランスのお遍路さん、多いですね。

【尾崎】そうですね。文化に関しては、ヨーロッパの中ではフランスが1番が高いような気がします。

<【依光】けど、全然言葉がわかりませんけどね。けど、外国人の方がおヘンロ小屋で休憩しましたら、必ず書いていってくれますね。ものすごくマナーがいいんで、感心しているんです。私どもはそれなりに、継承して、それなりにやっております。BR>
【梶川】また、いい言葉が出ましたね。



   愛媛大学との連携も


【会場の男性】松山から初めてきて、お話うかがっているだけなんですが、1つ申し上げたいことがあるのは、愛媛大学は中世史の教授、そらから近世史の先生が、愛媛大学内で遍路文化について研究会、シンポジウムンも何回かやっておったと思います。愛媛大学にはそういう熱心な方がおられますんで、連携をお願いします。私も会う機会があれば、このことについては申し出たいと思います。

【梶川】お願いします。

【柴谷】愛媛大学では毎年11月の初めには、お遍路シンポジウムをやっておりまして、私もほとんど参加しています。単位認定しています。鳴門教育大学も単位認定をしているんじゃないかな。ちなみに私は高野山大学にいまして、つい先週学生を連れて歩き遍路しました。先ほどの松本大師堂にも寄らしてもらいました。通のお接待の日でもないのに、わざわざ出てきてくださって、お接待をいただきまして、学生は非常に喜んでいました。ただし、高野山大学はまだ単位認定できないんです、残念ながら。



   とりあえず歩く、お接待をする、体で感じてもらう


【梶川】最後に、プロジェクトの主宰者である歌さん自身は次の世代に何を伝えたいのか、ということを一言お願いします。

【歌】利他の心を、できるだけ本能を高めていって、人を思いやる気持ち、優しさ、他人と自分の壁をできるだけなくしていく。そういう形になればいいなあ、と思っています。形というものは必ず消えますが、そういう心は無限につながると思います。見えない形なんですが、亀山さんは子どもたちが感覚的に分かってきたんじゃないか、とおっしゃていいました。小屋を通じて、最初は分からないんですが、何となく分かってくる。祈りというものが分かってくる。
 私は祈りというのは、頼むんじゃなくて、感謝することだと思っています。子どもさん、いろいろな人たちと一緒につくることによって、そういう心が芽生えてくることが非常に大切だと思っています。その手段としては、四国でしかできない教育、それはさっきおっしゃったように数校がやっとするようになりましたが、もっともっと、小学生の学習に取り入れていただきたいです。四国中の小学生にやていただきたい。そうすれば、どんどん思いが日本中、あるいは世界中に広がると思います。単位もいいんですが、とりあえず歩く、お接待をする、体で感じてもらう。それは四国でしかできない、貴重な文化だと思います。

【梶川】ありがとうございました。下手の司会でしたが、私自身はこの場に来させてもらって、良かったと思います。まあ、司会としては、自分が喜んではいかんわな。例えば、(シンポ前の講演で)辰濃さんが言ってはった、利他お心は母性だ、といことは、なるほどなあと思いました。その話を聞いた後で、依光さんが、最近はやりではありますが、GNH(ブータンの幸福度の考え方=国民総幸福量)を出してくる。やはり女の人から出してくるんですね。これから女の人やな。しかし、平安時代から連綿と続いてきている遍路やお接待の文化というのは、継承しなければいけないわけですけど、これだけ継承しているということは、するだろう、と私は思っています。しかし、そのためには、1時期私たちが地球に住まわしてもらっている時間帯に、バトンリレー役をやらなければいけないな、ということ今日、教えられました。今日はみなさん、ありがとうございました。


↓写真=講演やシンポジウムには約100人が聞き入った
=2012年3月11日