ちょっと歩き 花へんろ

  

              梶川伸・毎日新聞旅行「ちょっと歩き花へんろ」先達(「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会副会長)

              

   ◆◇ちょっと歩き花へんろ(3)◇◆
(毎日新聞旅行「ちょっと歩き花へんろ」の先達メモ)


 毎日新聞旅行の遍路旅「ちょっと歩き花へんろ」の先達を務めている。おおむね1カ月に1回、1泊2日の日程で四国八十八カ所霊場を巡拝し、計17回で結願となる。
 今回のシリーズは、遍路としてのお参りを続けるとともに、季節ごとに咲く霊場の花や、遍路道に近い花の名所も訪ねるように、計画を練った。花の時期に合わせての遍路なので、参るのは順序通りではなく、あっちへ飛び、こっちへ飛び、となる。
 毎回、午前8時に大阪市北区梅田の毎日新聞大阪本社前をバスでスタートする。移動はバスが中心だが、一部良い遍路道を歩くことにした。また、地元の食べ物を味わい、年配の遍路が多いことを考慮して、宿は温泉を選んだ。ここでは、各回の模様を、花の写真とともに紹介する。


   ◆第11回(48番西林寺〜53番円明寺)
    ◇テーマの花=紅葉(2013年4月26日〜27日)


【淡路島ハイウェイオアシス】
 春の心地良い時期の2日間だった。両日とも天気に恵まれ、特に2日目は晴天で、日焼けでほおがヒリヒリするほどだった。
 淡路島ハイウェイオアシスで休憩する。この時期は楽しみな休憩だ。裏の庭園「花の谷」には、花があふれるからだ。今回はツツジが満開に近かった。今年は花お開花がおかしくて、ツツジも大分早い。次回の花へんろは、ツツジも行程に組み込んでいる。しかし、この分では来月まで持ちそうにない。ということは、今回のフジとボタンも気になる。そんなことを考えながら、休憩時間を花の谷の散策に費やした。
 キリシマツツジの赤が目立つ。コバノミツバツツジはほぼ終わっていたが、ピンク系のツツジも花の区域を広げ、白ツツジと競っていた。ほかにも、キクモモ、ハナズオウもまだ花をつけていた。


      ↑花の谷はさまざまな色のツツジが見ごろだった


【昼食】
 車窓からの花も良い時期だった。上りフジが木にからみつきながら伸びている。同じ紫なら、キリの花も見える。所々にレンゲ畑が広がる。水を張って、田植えを待つ田もある。麦は穂をつけている。まだ緑色だが麦秋となって黄金色に輝く時期が近づいている。高速道路に沿った植栽のアカメガシワが、その名の通り赤い新芽と葉を出して、赤の帯と作っている。
 昼食は、瀬戸大橋のたもとで、橋上を走る車を上から見る場所にある結婚式場「さん・アンジェリーナ」の中にあるカフェ「クローチェ」を用意した。眺めが良い場所にあること、遍路と結婚式場のギャップを狙って選んだ店だ。地元の食べ物というわけではないが、結婚式場らしく上品な料理がワンプレートに乗り、スープとパンがついていた。
 店の外は、桂由美さんとタイアップして「恋人の聖地」の演出がされている。瀬戸内海と橋を眼下にしながら、南京錠を手すりにつけて、「離れることがない」愛を誓うのだという。最近はやりではあるが、ここも固い結びつきの南京錠が鈴なりになっていいた。


      ↑南京錠がいっぱいの“恋人の聖地”

 サン・アンジェリーナの前は積石塚古墳だった。土ではなく、石を積むように盛っていく古墳時代前期の造り方で、なぜか讃岐に大半があると、説明版にあった。ここのものは聖通寺山の山頂にあり、4、5世紀の築造だという。古墳はピンクと白のツツジに覆われていた。


      ↑積石塚古墳を覆うツツジ


【禎祥寺】
 今回の花のテーマの1つはフジ。霊場参拝の前に、愛媛県西条市上喜多川のフジの寺、禎祥寺を訪ねた。小さな寺だが、樹齢400年を誇るフジの木があり、狭い境内いっぱいの枝を広げている。フジ棚は東西12メートル、南北16メートルに広がり、山門の外にまで張り出している。香りは高い。
 品種は野田フジと、説明板にあった。野田は大阪市の野田のことで、私が勤めていた毎日新聞の大阪本社からそれほど遠くはない。江戸時代には「吉野の桜、野田の藤」と並び称されたという。その後、野田フジはすたれ、今は下福島公園に移植され、15ほどのフジ棚で育てられている。花へんろに出る数日前に、下福島公園をのぞいたが、ほんの咲き始めだった。
 禎祥寺の野田フジは見ごろだった。それどころか、今年の1番良い日に訪ねたようだ。ビデオを回していた地元のNHKの人が、そう言っていたし、他のテレビ局の取材も、この日に集中しているとも話していた。


      ↑樹齢400年といわれるフジ
 
 フジの房はそれほど長くはなく、せいぜい40センチくらい。それがかえって上品は印象を与える。手入れが良いのかよく揃っていた。フジを観賞し、写真を撮っていると、私を含めてメンバーの3人が、NHKの取材を受けた。その日のニュースで流れたのかどうかは知らないが。
 西条市は水に恵まれている。「打ち抜き」という言葉があり、地下水が豊富で、その水を使う。禎祥寺のそばも、観音水系と名づけられた場所があり、街中にありながら、澄んだ水が流れている。その水路はツツジに包まれているが、美しい水とのコントラストが良い。


      ↑水は澄み、ツツジは鮮やか
 

【法安寺】
 もう1つの花はボタン。「千本ぼたん」の寺として知られる西条市小松町北川、法安寺がその寺だった。ここは事前に添乗員が様子を聞いてくれていたが、寺の返事は「もう散っている」だった。しかも、「来てもらってもいいが、申し訳ないので、駐車料金はいらない」ということだった。ここまで言われていたので、覚悟の上で寺を訪ねた。
 小さな寺で、本堂の裏側は墓地になっていた。狭い境内いっぱいに、ボタンが植えてある。花は終わりかけていた。ただ、全くなかったわけではない。何十本もの株が花を残していた。色もさまざまで、アヤメも咲いていた。
 花には和傘がかけてある。ビニールの傘も、骨が折れたような傘も。和傘はあしらいで差しかけてあるのだと思った。足りなくなったので、ビニールの安物の傘を使ったと想像した。ところが、帰り際に住職の話を聞いて、恥ずかしくなった。
 傘は、花を長持ちさせるためのものだという。太陽に当たると弱るのが早く、風から守るためにも必要らしい。きっとボタンを愛し、参拝客に楽しんでもらおうという思いが、傘の裏に隠れていた。
 「ここのボタンは原種で、気温が18度以上にならんと、咲かん」と住職。今年のボタンは早かったらしい。1番花は3月30日で、平年よりも5日から1週間は早かったそうだ。しかし、花はよく持ったという。ただ、4月に入って、風の強い日が多く、苦労したとか。今年は梅と桜が同じ時期に咲いたということも教えてもらった。
 


      ↑石塔を背景にしたボタン
 

【48番西林寺】
 今回のお参りは、松山市の西林寺から。午後4時を過ぎてからの参拝となった。境内のピンクのハナミズキの木がよく目立つ。1本だけだが花をふんだんにつけ、ちょうど盛りだったのがうれしい。ほかには赤いツツジ、親の竹と子の竹が重なり合っているところから名づけられた「孝行竹」が、境内のアクセントになっていた。


      ↑ハナミズキが満開だった


【宿】
 宿は道後温泉のホテル八千代。「坊ちゃん湯」の愛称がある道後温泉本館から近いのがありがたい。着いてまず、坊ちゃん湯に出かけてひと風呂浴びた。
 夕食のメニューを書きとめた。豚が主役の夕食だった。まず、イモ豚のシャブシャブ。サツマイモで育てた豚の薄切り肉の1人鍋で、ポン酢とモミジおろし、それにミカンコショウで食べる。ミカンコショウは、ユズコショウの変形で、ユズを特産のミカンに代えたものだと説明を受けた。
 もう1つ豚料理があり、ビーフシチューのポーク版。角切りの豚肉1つを、ドミグラスソースで煮込む1人鍋。バゲッドと一緒に食べる。ほかには、カンパチとカツオの刺し身、アマエビ、塩辛、ヒジキなどの前菜、タイの1人釜飯などだった。


      ↑宿の夕食は豚肉がメーンだった

 夜はみんなで温泉街の商店街に繰り出し、六時屋でタルトを買ったり、アイスモナカを食べたり。砥部焼きの店をのぞき、私自身は煮物を入れるような大き目の器を1つ買い求めた。最後は足湯に入りながら、からくり時計を見て、宿に帰った。
 翌朝は朝食前、1人が温泉街をブラブラ。秋山好古の墓、湯神社、道後温泉公園を巡った。


      ↑道後温泉講演のヤマブキ


【円満寺】
 今回の「ちょっと歩き」は、ホテルから51番石手寺まで。途中で寄り道をしながらの歩き遍路だった。まず立ち寄ったのは、円満寺。境内もはっきりしないような寺だが、大きな地蔵が安置されている。朝の掃除をしていた寺の女性が「どちらから」と声をかけてくれ、水琴窟の音を聞くように言った。水が流れ落ちて瓶に落ちる音を、竹筒で聞くようになっている。寺の女性は「どんどん水を流して」と、なかなか大らかだった。


      ↑円満寺には、素朴だが大きな地蔵が安置されていた


【宝厳寺】
 次は宝厳寺。一遍上人が生まれた寺だそうだ、石手寺へ向かう道から、少しそれる。道を曲がって少し進んだところで、声をかけられた。「道が違いますよ」と。外見から私たちが遍路と分かり、道を間違えたと思ったのだろう。私が宝厳寺へ立ち寄ることを告げると、納得して去っていった。四国遍路では、時々経験する。四国の人たちはお遍路さんにとても親切で、しばしば声をかけてもらえる。「道が違いますよ」も、その延長線上の言動である。
 山門の外にはツツジがあり、満開間近だった。境内にはイチョウの大きな木があり、初々しい小さな葉をつけて、空に伸びていた。その空は真っ青で、すがすがしい。境内から近くの山肌を見ると、紫のフジの花が上っていた。


      ↑山門とツツジ


【伊佐爾波神社】
 道後温泉に泊まると、お遍路さんを伊佐爾波神社に案内する。135段の石段を登る。拝殿の回廊に向かうのだが、見てもらうのは2つある。1つは、赤穂浪士を描いて奉納された大きな額。説明によると1番古いのは享保12(1727)年のものだという。討ち入りが1703年だから四半世紀後に奉納されたことになる。江戸時代の人にとって、赤穂浪士の引き起こした波紋は大きかったことがうかがえる。
 もう1つは算額と呼ばれるもの。江戸時代の和算の問題を額にして奉納してある。その数22.実物を見ることはできないが、模写したものが展示してある。文政6年4月の日付の入ったものは、半円に近い図形の中の円周が触れ合う5つの円が描かれていて、4つの円の直径が分かっている時、残る1つの直径を求める問題だった。私には全く分からない。


      ↑算額の説明


【51番石手寺】
 石手寺までの道には、ツツジの植栽が続いていた。ここも満開間近。境内にはツツジが数本あり、こちらの方はまだ3分咲きだった。寺に花は多くないが、その代わりサクラソウを植えた鉢が塔の近くを飾っていた。また、本堂の左手の山には、紫の上りフジあり、しっとりと伽藍を飾っている。「3年間、毎日来ている」と話すおばあちゃんにも出会った。


      ↑石手寺への道は、ツツジの植栽が続いていた



      ↑本堂とそのそばの上りフジ


【52番太山寺】
 山門でバスを降り、そこから本堂まで歩く。この参道は高い木立に包まれて、雰囲気が良い。ガラス戸の中に、花をつけたエビネランを飾り、参拝客に見せている家があった。
 石段を登り、2層になった山門をくぐると、正面には鎌倉時代築造の本堂。重要文化財に指定されている。青空を背景に堂々としたたたずまいを見せる。この寺にも数は少ないが、白とピンクのツツジが咲いていた。帰りの参道でオドリコソウを見つけた。

      ↑大師像のそばにも白いツツジが


      ↑参道にはオドリコソウも咲いていた


【53番円明寺】
 円明寺は道路沿いにある。道路は道幅は狭いが、車の通りは結構多い。駐車場にバスを停め、道路を渡って行く。山門は八脚門で、小さいながら堂々としている。境内には樹木が少なく、その意味では少し殺風景だ。山門の近くの石灯籠の回りにツルニチニチソウが生えていて、紫色の花をつけていた。あとは花としては、プランターで育てたものくらいだった。


      ↑ツルニチニチソウが紫の花をつけていた


【昼食】
 昼食は文殊亭鴨川店で松山ずし。散らしずしなのだが、酢飯を作る際に、だしも入れるのが特徴だという。もとはアナゴの骨でだしを取っていたが、最近はアナゴに限らないと、以前この店で聞いたことがある。
 食べ終わると、店の主人がバスまで見送りにきた。聞くと、夫婦で4回お四国を回ったという。すべて日帰りの自動車遍路だったとか。店内の廊下に、各札所の写真が張ってあった。


      ↑松山ずし


【50番繁多寺】
 午後はますます暖かくなった。背中に太陽を浴びてお参りをしていると、汗がにじむ。寺の横の池を渡って、風が吹いてくる。その風がありがたい。
 境内には小さなフジ棚がある。フジの房も風に揺れる。手水のそばにはツツジとカラーが咲いていた。


      ↑繁多寺の境内にはフジ棚があった


【49番浄土寺】
 本堂は若葉の小山を背景に建っている。ジャーマンアイリスの薄い黄色の花が、境内の中心部で咲いていた。納経所に向かい道は、ツツジとバーベナで縁取られていた。花の香りに包まれた遍路の締めくくりだった。


      ↑ジャーマンアイリスが境内に


――――――――――――――――――――――――――――――――――


   ◆第12回(54延命寺〜60番横峰寺)
    ◇テーマの花=シャクナゲ、ツツジ(2013年5月17日〜18日)


【吉野川ハイウェイオアシス】
  数日前の天気予報では、2日間とも雨だった。次第に雨が遅れるという予報に変わり、出発時点では2日目の午後から雨に変わっていた。ところが、結局は2日とも好天に恵まれた。
 明石海峡大橋を渡る。淡路島の有料道路の中央分離帯などに、黄花コスモスが咲いている。強い花のようで、高速道理に沿線にはよく咲いている。ハルシャギクなどともいう。鹿児島県・知覧の特攻隊の基地に咲いていたので、「特攻花」とも呼ばれている。名前は容姿からは、思いもよらない花である。ただ、はっきりした黄色の色が、夏を想像させ、その夏は間もなく来る終戦・敗戦の夏を想起させる、そんな悲しい花である。
 今回は愛媛県今治市周辺の霊場を巡る。四国で高速道路は高松道に入るが、いったん一般道に下りて、徳島道に乗り替え、川之江ジャンクションで松山道に入る。高速道路を下りずに、高松道から松山道に入るのより、早いのだという。
 徳島道の吉野川ハイウェイオサシスで休憩した。小さな庭園のようなゾーンがある。せせらぎが造ってあり、そこに黄ショウブが数株、花をつけていた。花びらが薄く、軽い風で花びらが大きく揺れ、ひん曲がる。
 そばに、木のアーチ橋がある。「あいあい橋」と名づけられている。長さ41メートル。暖かくなった日で、川からの風に吹かれていると気持ち良い。


      ↑吉野川ハイウェイ・オアシスに咲くキショウブ


【昼食】
 昼食は四国中央市の「山口里の家」。だんご汁と炊き込みご飯。だんご汁は、いわゆる「すいとん」で、ここでは平べったい円盤状になている。だんごのほか、エビ、カシワ、シメジ、ネギ、ダイコン、ニンジン、コンニャクなどが入っていた。麦みそ仕立てで、みその味が気に入っている。丼に軽く1杯入っているため、それだけでも、おなかが一杯になった。何という事のない料理だが、どこか優しい食べ物と感じる。。


      ↑山口里の家のだんご汁


 【60番横峰寺】
 京屋という遍路宿でバスを降り、横峰寺への専用バスに乗り替えた。大変スピードを出す運転手だった。細い山道を飛ばしていく。速いのだが、乗り心地は良くなかった。
 今回の花のテーマはシャクナゲで、その寺は横峰寺だった。今年はシャクナゲも咲くのが早かった。通常なら横峰寺は良い時期のはずが、事前に添乗員が寺に電話をして様子を聞くと、「終わりかけ」だという。がっくりして寺を訪ねた。
 駐車場から本堂まで歩いて行き、最後のカーブを曲がると、本堂が目に入る、同時にシャクナゲの山も。本堂と大師堂の間の斜面にシャクナゲが密生している。ちょっとした森のようになっていて、そこがシャクナゲの花のピンクに染まっていた。思わず「おー」と声を上げた。


      ↑本堂と大師堂の間のシャクナゲ
 
 近くに寄ると、残念ながら花はかなり痛んでいた。遠めでは気づかなかったが、花の時期は終わりに近づいていた。寺の人がのぼりを片付けている。シャクナゲの時期に、花まつりをし、そのためののぼりだったのだろう。花まつりにちなみ、納経所のそばでは、シャクナゲの花を飾って、寺の人が甘茶のお接待をしていた。この日が最終日だった。運が良いのか、悪いのか、最盛期には間に合わなかったが、最後には間に合ったわけだ。
 シャクナゲのほかにも、境内は花であふれていた。ツツジも種類が多く、ピンクや赤のほか、黄色のツツジもあった。目についたのはオダマキ。石垣の石の間など、いたるところで花をつけている。寺の人に聞くと、「種をまき散らかしておくと、隙間をみつけて生えてくる」そうだ。


      ↑石垣のオダマキ
 
 ほかにクリンソウが赤と白の花をつけていた。六甲高山植物園がクンソウを売り物にしている。昨年は花へんろの第2回目で、徳島県神山町の岳人の森を訪ね、クリンソウを見た。しかし、寺でクリンソウを見るとは思ってもいなかった。スズラン、タイツリソウといった花も咲いていた。


      ↑クリンソウ
 


      ↑黄色いツツジ
 

 参拝の後、奥の院の星が森まで歩いた。本堂は標高750メートル。星が森は820メートル。10分あまりの上り坂。運が良ければ、そこから石鎚山が見える。5分5分の可能性と思ったが、ややもやがかかっていたものの、石鎚の山頂を見ることができた。


      ↑星が森から石鎚山が見えた
 

【59番国分寺】
 高速道路の今治道を行く。このあたりは麦畑が多い。夕方の太陽の光を浴び、穂が金色に輝いている。麦秋が近いことを告げている。
 少し時間ができたので、宿に入る前に、翌日に予定していた国分寺に参拝することにした。境内にはツツジの木があり、きれいに刈り込んであるが、すでに花の盛りは過ぎていた。しかし、土の上に落ちた花はまだ美しさを残していて、ピンクのじゅうたんを演出し、それはそれで風情があった。ツツジのそばには、ヤグルマソウの花が咲いていた。


      ↑刈り込みのツツジの木の下のピンクのじゅうたん
 

【宿】
 宿は鈍川温泉ホテル。今治市の市街地から山の方に入った木地川沿いにある。以前泊まった時に、大変強い印象を受けたので、今回もこのホテルを選んだ。
 遍路のメンバーの中に、唯一夫婦での参加者がいた。宿に着いて、奥さんの親の体調が悪くなったという連絡があり、大阪の家に帰ることになった。ところが遅い時間で、JRは大阪への列車がない。唯一、松山市・道後温泉を午後11時半に出発する高速バスがあった。夫婦が困っていると、宿の女将が車を1時間近く運転して、道後温泉のバス乗り場まで送ってくれたのだ。その印象が強く残っている。
 その夫婦の感謝の気持ちは大きい。花へんろのシリーズは参加していなかったが、この宿に泊まる今回だけ、夫婦で参加していた。女将に礼を言うためだった。ところが到着した日、女将は所用で不在だった。夕食は、イノブタ鍋、タイのカルパッチョなどだった。席には、若女将があいさつにきた。
 翌朝、宿の近くを散策した。木地川を少しさかのぼる。途中、道路から川原に降りる所があった。そこで写真を撮ったが、実は宿の露天風呂からの川の眺めの方が勝っていたような気がする。
 朝の散歩から帰り、朝食の部屋に行くと、女将が部屋に詰めていた。夫婦はここで、改めて感謝の気持ちを伝えた。女将は前回のことを覚えていた。
 この宿の良さは、客に心を込めるところだ。朝食の間、女将が部屋にいたのもそうだし、出発の際には、女将がバスに乗り込んであいさつをする。しかし、最たるものはバスが出発する時の見送りだ。
 宿の前に、そこそこ広い駐車場がある。駐車場には2カ所の出入り口がある。バスは到着時、川の下流側の出入り口から駐車場に入る。出発時は上流側の出入り口から出て、下流側の出入り口の前を通って、今治の街中へ下りていく。
 さて出発。女将をはじめ、宿のスタッフが上流側の出入り口で手を振って見送りをする。バスが道路に出ると、スタッフは懸命に走る。着物姿の若い女性2人も走る。走る先は下流側の出入り口で、そこで前を過ぎるバスの客にもう1度手を振るのだ。この姿には頭が下がる。


      ↑道路から見下ろした木地川


【56番泰山寺】
 この日も雨の気配はなく、青空が広がっている。寺には植物はあまりない。サツキがわずかに花を見せていた。結局、花の写真があきらめ、アカメガシワの中の石仏をカメラに収めた。


      ↑アカメガシワを背景に石仏を撮影


【今治市市民の森・フラワーパーク】
 今回の花のテーマ、ツツジの見所として選んだ場所。今治市市制50周年記念で整備された公園で、広大な面積を誇る。何万株ものツツジの木があり、大きなスケールのツツジの斜面もある。しかし、ツツジはすでに終わり、サツキもチラホラ。本当に今年は花の時期を見極めるのが難しい。


      ↑広いツツジの斜面も、花は終わっていた

 エゴノキが満開だったのが、せめてもの救いだった。ツツジの狙いが滑ったので、長いローラー滑り台で滑って、ダジャレでごまかした。


      ↑エゴノキのも結構あり、こちらは満開だった


【64番延命寺】
 駐車場から山門まで、池のほとりを歩いて行く。山門は2つある。最初の山門のそばには、ツツジがまだ残っていた。2つ目の山門は今治城から移したものだと説明版に書いてあった。


      ↑山門のそばのツツジ


【65番南光坊】
 境内の隅に花壇が設けてある。シャクヤクが咲いている。山門のそばにはシラン。寺の筋向いのケーキ屋「アルム」はシュークリームが人気だというので、買ってみた。固い皮に甘みがあり、甘みを抑えネットリしたシューとの組み合わせがいい。



      ↑境内の隅の花壇にシャクヤク


【糸山公園】
 昼食まで少し時間があるので、来島海峡大橋が見える糸山公園に上った。来島海峡は潮の流れの速い場所だが、この日の水面は穏やかだった。公園の花壇に、ハマナスが咲いていた。


      ↑来島海峡を見下ろす公園のハナナス


【昼食】
 昼食は朝倉ふるさと交流館内の美食倶楽部。朝倉は今治市と合併する前は、朝倉村だった。地域の交流センターにある食堂で、物産の販売店とセットになった、まちおこしの施設。この日はほかの団体も入っていたようで、公民館で使うような長机を動員しての対応で、それが素朴でいい。メニューは海鮮丼。この日の海鮮はカンパチ、甘エビ、サーモン、タイ、マグロ。これが温かいご飯の上に乗っている。しかも、たれはしょうゆにゴマ油を混ぜている。みそ汁、白和え、野菜の天ぷらがついている。
 ここは2度目。前回は、赤ちゃんを背中におんぶした女性が接客をしていた。昭和の雰囲気を味わったような気がして、よく覚えている。その事を話すと、それは自分だと、接客の女性が話した。その女性も前回のことを覚えてくれていた。「今は2歳半になって、保育園にいる」と話して笑顔を見せた。


      ↑海鮮を温かいご飯に乗せている


【58番仙遊寺】
 2日目の「ちょっと歩き」は仙遊寺。山門から本堂まで、木立の中を約10分登る。途中でお加持水を口に含む。距離は短いのだが、急な坂なので汗だらけになった。境内にはシャクナゲがチラホラと咲いていた。


      ↑石仏の頭上をシャクナゲが飾る


【57番栄福寺】
 大師堂は前がガラス張りになっている。堂の反対側の境内には大師の石仏が安置されている。堂の中が暗いので、背中側にある大師が、ガラスに写って面白い。大師像のそばの小さな石仏を囲むように、シランが咲いていた。


      ↑シランに囲まれた石仏


――――――――――――――――――――――――――――――――――



   ◆第13回(61香園寺〜66番雲辺寺)
    ◇テーマの花=アジサイ(2013年5月21日〜22日)


【吉野川ハイウェイオアシス】
 梅雨の最中なので、花のテーマはアジサイにして計画を組んだ。ところが、台風4号ともろにぶつかってしまった。4号は21日の午後九州に上陸し、四国を横断して近畿に向かうという予報だった。当然、初日は朝から雨。2日とも雨は覚悟していたので、開き直ったつもりではあったが、あまり強い雨は気分がそがれる。土砂降りにならなかったのが、幸いだった。
 雨に向かってバスは走り、いつものように淡路島ハイウェイオアシスで最初の休憩をとった。建物の裏の「花の谷」も、アジサイのゾーンがあるのだが、そこまでは時間がかかるので行くのはあきらめた。建物のそばにも、いくつかのアジサイが咲いていた。プリンスブルー、ユングジュラン、墨田の花火、アジータなどの品種名がつけてあった。アジサイにとって良い時期を選んだものだと自分で納得しながら、今回の花へんろへの期待が広がった。アジサイのほか、ブルーサルビアも写真に収めた。


      ↑花の谷に咲いていたアジサイ


      ↑ブルーサルビア


【かなくま餅福田】
 四国自動車道は高松道を通った。昼食を観音寺しのうどん店「かなくま餅福田」にしていたからだ。主役は「あん餅うどん」。香川県では正月の雑煮に、あん餅を使う。かなくま餅は店の名前かもわかるように、本来は餅屋だ。だから、あん餅雑煮からの発想で、このメニューができたのだろ。力うどんの餅を、あんこの入った餅に変わったようなものである。あん餅雑煮は白みそ仕立てだが、このうどんは、普通のすましの汁。ただし、冬場は白みそを使った「あん餅雑煮うどん」もメニューに加える。
 主役のほかに、おでん2本、赤飯とエビおこわの三角にぎりもついていた。うどんには、あん餅が2つ入っていて、大変なボリューム。大半の女性は、おにぎりをラップに包んでテイクアウトした。


      ↑あん餅のうどんと、エビおこわ、おでん


【66番・雲辺寺】
 アジサイ見物は2つの場所をメーンに考えていた。1つは雲辺寺。ロープウェイで往復する予定だったが、点検修理のために運休。そこで、いったん徳島県三次市に出て、そこからバスで登ることにした。あちこちでアジサイが咲いているのを眺めながら、山道に差しかかった。参道の横にアジサイが植えてある。まだ木は小さいのだが、やがてアジサイの咲き誇る参道にするのだろう。花はというと、登るに従ってまばらになる。だんだん不安になった。
 駐車場から500メートルほど歩く。バスから降りた瞬間、寒いと感じた。さすが標高900メートルである。上着をバスに取りに戻る人もいた。本堂までの境内は、アジサイの木に覆われている。雨は霧雨状態で、霧も少し出ていて、幻想的な雰囲気は、アジサイを鑑賞するには打ってつけとも言える。ウグイスの声も趣を添えた。


      ↑参道のアジサイは、まだ色をつけていなかった

 ところが、花がまだ色をつけていない。何百、何千という株があるのだが、青い色をつけているのは、ほんの数えるほどだった。その壊滅的な状況に、うなだれてしまった。寒さのせいなのだろうか。


      ↑大師堂のそばに、ミヤコワスレが咲いていた

 境内にはこの時期、アジサイ以外の花は少ない。サツキが少し残り、ギボウシ、ミヤコワスレが少し咲いているくらいだった。五百羅漢も楽しみにしていた。アジサイとの組み合わせが良いからだ。しかし、ここも全く色はなかった。



      ↑五百羅漢のそばのアジサイも早かった


【65番・三角寺】
 三角寺も標高430メートルほどある。境内には「これどこそ登りがいあり山桜」の句碑がある。歩いて登れば、結構しんどい寺ではあるが、ここもバスで行った。
 雨は降り続いている。境内にはアジサイがあり、特に白いアジサイが印象的で、清潔な白が寺のくすんだ黒と対照的な組み合わせを見せていた。


      ↑境内の白いアジサイ

 三角寺からは遍路道を3キロほど歩いて下った。今回の「ちっと歩き」のハイライトと位置付けていた。寺からは心地良い道が続く雨は相変わらず降っているが、それが土に湿り気を与え、足に優しい道を演出していた。やがて山道は終わり、ミカン畑の中を下りていく。ミカンの実はまだ、キンカンほどの大きさで、色も深い緑のままだった。
 途中、お遍路さんのための休憩所が設けてあった。「ひびき休憩所」と書かれた表示が立っていて、小さなソーラーパネルが取り付けいてあった。竹で組んだベンチが用意してある。その上には、日よけのパラソル。うれしいのは、水道が設けてあることだ。私たちは逆打ちの下りだが、暑い日の登りのお遍路さんにとっては、ありがたい施設だろう。四国中央市川之江の戸川公園で、バスと合流した。


      ↑三角寺からの下り道にもアジサイが咲いていた


【宿】
 宿泊は愛媛県西条市の「しこくや」。遍路専門のような宿で、その分、お遍路さんへの応対は慣れている。
 夕食は、サザエ、フグの鍋、タコ飯がメーンだった。刺し身はタイ、サーモン、カンパチ。ほかにもナス、小さなキビナゴの酢の物、天ぷら、茶わん蒸しなどがついていた。デザートには河内バンカンが出た。愛媛県では土地の名前がついて売っていて、この宿のものは御荘柑(ミショウカン)だと、宿の人が説明した。
 2日目の朝は早起きして、朝焼けを見た後、宿の回りを散歩した。幸いなことに、雨は止んでいた。台風は九州に上陸した後、低気圧に変わり、勢力を失っていた。運が良い。梅の収穫期に当たっていたようで、早くから作業をしている人もいた。木の下にはビニールシートが張られ、その上に落ちている実を拾う。目の前で、ポトリという音をたてて、シートに落ちた実もあった。


      ↑宿のそばの梅は実は色づき始めているものもあった

 田は前日の雨のせいか、水を満々とたたえていた。その水が鏡をなって、雲や山の景色を映していた。トラクターで田へ向かう人がいた。犬を散歩させいる男性に声をかけられた。「お遍路さん?」。四国のひとは、遍路に親しみを込めて、「お」と「さん」をつけた「お四国さん」と呼ぶ。「今日は横峰(60番・横峰寺、標高750メートル)かね?」と尋ねられた。横峰は前回参拝している。そう告げると、「今日は楽やな」と言う。平地が多いのでその通りではあるが、その男性は私が歩き遍路であると思っているようなので、気遣ってもらって恐縮し、バスで回っているとは、言いづらい雰囲気だった。中山川の堤防沿いの道を行くと、河川敷に50メートルほどの陸上競技のトラックのようなものが見えた。看板が立っていて、そのトラックは模型飛行機専用飛行場が書かれていた。看板の設置者は今治ラジコンクラブとなっていた。


      ↑田の稲は背が伸びてきていた

 朝食のご飯は、タイ茶漬けだった。ご飯のタイの刺し身を乗せ、ワサビも添えて、そのうえから熱いだしをかけて食べた。


      ↑田のそばには、ヒマワリも咲いていた


【61番・香園寺】
 西条市には札所が密集している。宿から香園寺までも近い。本堂は鉄筋コンクリートの巨大な四角の建物で、2階に上がり、靴を脱いで本堂に入る。中には椅子が並べられ、映画館のような印象を与える。
 境内には花が多くはない。手水の背景に、アジサイが植えてあったが、花の数は少ない。子安地蔵の堂の前にはセンダンの大きな木があった。先月の花へんろの際にセンダンの花をあちこちで見ていたので、すげに花の時期は終わり、葉が生い茂っているだけだった。


      ↑センダンの白い花


【62番・番宝寿寺】
 境内は狭い。本堂は長い間、工事の準備をしているようで、そのためにさらに狭くなっている。境内に花は少なく、かろうじてナンテンの花を撮ることができたくらいだった。山門の外に、古い道標が4基並べて立ててある。横峰、香園寺、吉祥寺などの文字が読める。


      ↑境内のナンテンの花


【63番・吉祥寺】
 塀の外に水の流れがある。山門をくぐると、右手のタイサンボクの木。大きな白い花をポツポツとつけていた。境内には鉢植えのアジサイが並べてあった。
 境内には成就石なるものが置いてある。石の丸い穴が開いていて、何かの成就を願う人は、石から少し離れた場所で目をつぶり、金剛杖を前方に突き出して歩き、杖が穴に入れば願いが成就するそうで、参加者の何人かも挑戦して、「もっと左」などの掛け声でにぎやかだった。


      ↑山門のそばにタイサンボク


【石鎚神社】
 2日目の「ちょっと歩き」として、吉祥寺から64番前神寺まで歩いた。国道からは1本入って道で、それほど車は通らないが、街中の道なので、山道のような快適さはない。前神寺の手前で、石鎚神社の方に道を折れた。山門を見た。寺では仁王像が安置される場所に、大天狗、小天狗の木造が配置されていた。境内は広く、本殿まで行く時間の余裕はなかった。


      ↑石鎚神社の大きな山門


【64番・前神寺】
 この寺も、花は少なかった。大師堂から少し離れた手水のあたりに、アジサイが赤紫や青紫、薄い青の花をつけていた。数はすくないのだが、色のない寺には貴重な彩りになっていた。サツキもわずかに残っていた。


      ↑境内に咲くアジサイ


【光明寺】
 昼食場所に近い理由というもあり、安藤忠雄さん設計の光明寺に寄った。水を張った池の中に本堂を造っている。堂は細めの角材を縦に並べたデザインで、水にもそれが映り、なかなか美しい。西条は水が豊富で、地下水をくみ上げるのを打ち抜きと言い、街のあちこちに打ち抜きの水を使った公園やスポットが設けられている。光明寺のすぐ前にも、実が流れ続けているポンプの形をあしらった水道があった。


      ↑木組みが印象的な光明寺


【昼食】
 昼食は西条市の「ホテルひうち」にあるレストラン「こむこもかふぇ」の和ランチにした。弁当形式で、天ぷら(白身魚、イカ、シシトウ、長イモ)やトリのソテー、エビの煮たもに、ゴボウの肉巻き、野菜の煮物などがぎっしり詰まっていた。


      ↑こむこもかふぇの昼食



【あじさいの里】
1泊2日の花へんろの最後は、四国中央市新宮町の「あじさいの里」で締めくくった。前日の雲辺寺が早すぎたので、心配だった。
 松山自動車から高知自動車道に入り、新宮インターで下りる。そこから6キロあまりだが、山あいの集落を目指すので道路は次第の狭くなり、車がすれ違えない部分も多かった。
 あじさいの里は公園ではない。人の生活がある道路沿いの斜面一面が、アジサイで覆われていて、圧巻だった。駐車場はないが道路の広くなった場所に車を止めて、斜面を登りながらアジサイを鑑賞する人も結構いた。途中にワラぶきの東屋があり、それを入れて写真を撮った。


      ↑山の斜面に広がるアジサイ

 斜面には農産物運搬用を改造したようなモノレールがあり、斜面の下と上を結んでいた。レールは車両の下にある、乗客は簡単な椅子にまたいで座る。1度8の人しか乗れず、下の乗車場には列ができていたので、歩いて登った。上の乗車場に着くと、モノレールがちょうど到着をした。下りるために乗る人はほとんどなく、幸いのことに私たちの6人が1度にのることができた。1部、急斜面があり、前のめりになりながらも、カメラで写真を撮り続けた。
 道路わきには茶店も出ていたが、アジサイの時期以外に来る人は少ないだろう。40分ほどアジサイを楽しんだ。1日目の当てあて外れを何とか取り戻したが、今度は好天なりすぎて、「少し雨が降ってくれれば、アジサイもしっとりするのに」と、わがままなものである。


      ↑アジサイ園の中を、超小型のモノレールが走っている


――――――――――――――――――――――――――――――――――


◆第14回(75善通寺〜80番国分寺)
    ◇テーマの花=ハス、ジニア(2013年7月19日〜2お日)


【栗林公園】
 暑い盛りの遍路となった。2日とも好天で、最高気温は35度。時折吹く風は「極楽のあまり風」で、参加した16人も一瞬の涼やかさに、ありがたさを感じる遍路だった。  夏なので、寺の花は期待できない。そこで、寺以外の花を楽しむことにした。最初は高松市の栗林公園だった。公園の中心は、掬月亭のある南側の南湖だが、今回の散策の中心は北側の芙蓉沼である。ハス池ではあるが、芙蓉の名前をつけているのが面白い。仏教と縁のある花といえばハスで、それに近いものとしてモクレンやフヨウ、ムクゲも寺の花となる。この池の名前は、その関係を逆転させたような感じがする。
 池は結構大きいのだが、ハスが覆っている。みんな茎が伸びて、背が高かった。写真を撮ろうにも、カメラを持つ手がなかなか花の上に出ないほどだ。花の数はまだ、それほど多くない。その代り、つぼみは赤みを帯びたピンクに染まり、葉の間から伸びている。無数の蓮華合掌が並んでいるように感じる。暑い日差しを浴びているのだが、柔らかい緑の葉の波と上品なピンクが、その暑さを和らげている。


      ↑栗林公園のハス

 芙蓉沼のそばに咲いていたスイレンを眺めた後、公園の南半分も回った。盆栽のように枝を曲げた松の並木を通る。高松市国分寺町が松の盆栽の産地で、その技術が使われてきたのだろう。江戸時代には人力でくみ上げて水を流していた人工の滝「桶樋滝」のそばの水辺で、ノカンゾウが花をつけていた。鮮やかなオレンジの花。水の流れとの対比が良い。


      ↑水辺に咲いていたノカンゾウ

 掬月亭は四方正面の数寄屋造りの建物で、暑さ中でもすがすがしい。南湖に面している。対岸までの間で、木々が途切れた場所から、水の向こうに見る掬月亭が、絶好の写真スポットだ。


      ↑池を隔てて見る掬月亭

公園を周り終わったあと、売店に寄った。国分寺町の人たちが、アンズのマカロンを売っていた。アンズが国分寺町の特産で、まちおこしでマカロンを考案したという。製造は「パティスリー・スミダ」と書いてあった。


      ↑アンズのマカロン


【昼食】
 栗林公園から高松市の田町の商店街を歩いて、昼食場所の「活」へ行った。1996年から97年にかけて、1年5カ月ほど高松に住んだ。その時に親しくしてもらった小料理屋さんで、お願いをして昼食を用意してもらったのだ。
 タイとカツオの刺し身、ハモ、エビやナス、ズッキーニなどの天ぷら、煮物は2種類でトリ、カボチャ、サヤインゲンの組み合わせ、サトイモ、魚の卵、サトイモ、ナスなどの組み合わせ。手間がかかるのに、たくさんの種類を少しずつ盛り合わせてくれて、ありがたい限り。


      ↑活の昼食


【80番・国分寺】
 山門から本堂までは、松の並木が続く。昔の伽藍の礎石が、松林の間に保存してある。境内に花ほほとんどない、ただ、本堂の前や、並べられた石仏の前など、仏へのお供えの花はオニユリに統一されていた。境内のどこかで咲いているものを切り花にしたのかもしれない。
 本堂の裏は、昔の国分寺跡を、簡単な公園にしてある。当時の伽藍配置を10分の1の縮尺で、石造りで再現してある。塔は七重塔で、ミニチュアながら、堂々として見える。その周囲にハルシャギクが咲いていて、彩りをそえていたが、ともかく暑いので、そうそうにバスに乗り込んだ。


      ↑本堂に備えられたオニユリ


      ↑七重塔の模型とハルシャギク


【79番・天皇寺】
 天皇寺は、白峰宮と同じ敷地にある。白峰宮は、保元の乱で流された崇徳上皇の行在所だったとされる。敷地への入り口は鳥居で、真ん中の鳥居の左右に、小さな鳥居が半分ずつついている形式になっている。
 寺の境内は狭い。本堂と大師堂も接近している。そのためか、線香立ては両方の堂の前に設けてあるが、ロウソク立ては1つだけだ。境内に、色のついた花はない。モミジの木が緑を増して、堂に趣きを添えているくらいだった。宮の方はその役割を、樹齢500年のクスノキが果たしていた。


      ↑夏の緑のモミジ

 天皇寺に参拝した後には、お楽しみがある。すぐ近くにある清水屋のトコロテンである。「八十場(やそば)のトコロテン」として人気がある。夏場だけ、湧き水のそばに店を開く。ちょっとした木立ちに囲まれ、夏でも涼しい場所。そこで、冷えたトコロテンを食べて、遍路の疲れを癒す。この日も猛烈な暑さではあったが、いつの間にか、汗は引いていた。


      ↑トコロテンを食べる参加者


【75番・善通寺】
 善通寺には夕方着いた。まずお参り。本堂と御影堂の間にある水路に、スイレンの鉢が据その水路に沿った熊岡菓子店で、名物の堅パンを売っている。堅いせんべいで、何枚と頼んで買う。オーソドックなタイプは1枚15円。昔懐かしいような紙袋に入れてくれる。え付けられている。小さな紫の花が、1つの鉢に数輪咲いていた。
 宿泊は善通寺の宿坊にした。「ちょっと歩き花へんろ」のシリーズは、ゆっくりと休むために、宿は温泉にしている。善通寺の宿坊も温泉である。
 宿泊は善通寺の宿坊にした。「ちょっと歩き花へんろ」のシリーズは、ゆっくりと休むために、宿は温泉にしている。善通寺の宿坊も温泉である。
 朝は午前5時半から本堂でお勤めがあった。本堂の赤いじゅうたんの上に座る。樫原禅澄管長がまず加持をする。その後、樫原管長の話が30分ほどあった。紫の法衣、オレンジのけさの姿。「お四国には、宗教宗派を超えてお参りをする。争わない、平和な姿がお四国参りにはある」。そのことを、エピソードを交えて話した。
 内陣には、樫原管長のほか、外陣の私たちから見て左側に8人、右側に1人の僧が並んで座っていた。紫の法衣の僧と、黒い法衣の僧がいる。樫原管長の話の後は、僧が理趣経を唱え、続いてみんなで般若心経を唱えた。黒い法衣の僧は概して若い。読経の間、経本は目の高さまであげ、合掌した手は口元の高さを続けていた。
 お勤めの間、朝の清々しい空気に包まれていた。その時間帯はまだ暑いほどではない。しかし、涼しいわけではない。僧侶の1人は何度が顔の汗をぬぐっていた。
 本堂の障子は、1つおきに開けてある。そこから風が入ってくる。夏とはいえ、朝の風は涼しい。堂内には、外の音も入ってくる。鳥のさえずり、セミの声。不思議なことに、読経が始まると、その声はおさまった。読経が終わると再開した。
 お勤めの後は、御影堂の下に作られた戒壇巡り。空海が生まれた場所されているので、戒壇は母の胎内と連想できる。それを周ることで、生まれ直す、生き直すという意味を持つのではないだろうか。


      ↑善通寺の通路に咲くスイレン


【金毘羅宮】
 今回の寄り道の1つは、金毘羅参りだった。785段の石段を登って、本殿に参拝した。石段を登り始めたのは午前8時ごろだが、すでに陽射しは強くなっている。石段を登るごとに汗が噴き出してくる。年齢の高い男性2人は、かごに乗った。とはいっても、本殿までの半分ほどまでしか運んでもらえない。それで5000円ほどするので、高い乗り物だ。ただ、かごは空で20キロあるというので、運ぶ方の大変を考えると、値段としてはそんなものかもしれない。


      ↑参加者の中には、かごで上る人もいた


【国営まんのう公園】
 花を求めて、国営まんのう公園へ。ジニア、サンパチェンス、オミナエシ、咲き残っていたアジサイなどがあちこちにあったが、日陰の少ない公園で、これはさすがに暑く、花をじっくり眺める余裕はなかった。人工の滝のそばで見たサンパチェンスが、唯一涼しい光景だったが、それも滝のしぶきのせいなのだろう。


      ↑人工の滝とサンパチェンス


【昼食】
 香川県の遍路なので、前回に続いて、さぬきうどんの店を昼食場所に選んだ。満濃池、まんのう公園から近い小縣家。しょうゆうどんが有名な店だ。しょうゆうどんはうどんの玉にしょうゆをかけて食べるもので、他の店にもある。この店が有名なのは、大きな大根が先に出てきて、うどんが届くまでに自分で大根おろしを使ってすりおろし、うどんにかけた上でしょうゆをかけるという方式だからだ。その参加方式がうけるのだろう。


      ↑大きなダイコンを自分ですりおろすしょうゆうどん


【76番・金倉寺】
 この日の最初のお参りは午後の1番で金倉寺だった。花は斑入りの葉のキョウチクトウ、ランタナなど。イチョウの木は早くも実をつけていた。まだ緑のままだったが。


      ↑境内のイチョウは、実をつけていた。まだ緑色ではあったが


【77番・道隆寺】
 この寺は小さなブロンズの観音像がズラリと並んでいる。そのそばに、ジュランタ・タカラヅカが植えてある。直植えはそのくらいだが、プランターがいくつも並べられ、ペチュニア、トレニア、ランタナなどが鮮やかな色の花をつけていた。
 汗をにじませながら、般若心経を唱える。すると、風か吹いてくる。弱い風ではあるが、猛暑の中でホッとする。以前、奈良県明日香村の橘寺の住職が、暑い日に吹く風を「極楽のあまり風」と言ったが、その意味合いがよくわかる。「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会の辰濃和男会長が講演の際に「暑い日に歩き遍路をしていると、吹いてきた風に感謝し、手を合わす」と話す。これも、よくわかる。
 参拝の後、門前の土産物屋に寄った。井戸水の蛇口をひねり、顔を洗うように勧められた。冷たくてスッとする。「水質検査もしている」というので、飲み水としてペットボトルを満たした。
 店の女性と話す。当然のように暑さのことになる。すると女性は、「いつも午後1時になると、大師堂の前のベンチで、昼ご飯をたべるんですよ。そこは風が吹いて涼しいので」と言った。私たちが風を受けた場所だった。


      ↑境内に咲いていたヂュランタ


【78番・郷照寺】
 今回のお参りの最後は郷照寺だった。街中だが、小高い場所にある。海もそう遠くはない。暑いのだが、海からの風が時折吹いてくる。ここでも、極楽のあまり風に救われた。花はサルスベリくらいだった。そこで、本堂の格子天井の花のレリーフも、「花」つながりでカメラに収めた。しゃれのようなものではあるが。


      ↑石仏の後のサルスベリは、光背のようだった


      ↑格子天井の花のレリーフ






●●「ちょっと歩き花へんろ」の15回目は、2013年9月20日(金)〜21日(土)。花のテーマはコスモス、ハギ、ヒガンバナ。札所は67番大興寺〜74甲山寺。問い合わせ、申し込みは毎日新聞旅行へ(06−6346−8800)。



――――――――――――――――――――――――――――――――――