「ちょっと歩き四国遍路・開創1200年満喫編」先達メモ(3)

  

              梶川伸・毎日新聞旅行「ちょっと歩き四国遍路・開創120年満喫編」先達(「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会副会長)

              

   ◆◇ちょっと歩き四国遍路・開創1200年満喫編(3)◇◆
(毎日新聞旅行「ちょっと歩き四国遍路・開創1200年満喫編」の先達メモ)


 毎日新聞旅行の遍路旅「ちょっと歩き四国遍路・開創1200年満喫編」の先達を務めている。毎日新聞旅行の遍路旅の案内人としては7シリーズ目となる。
 2014年は空海が四国八十八カ所を開いて1200年とされる。今回のシリーズは、そのことを意識して行程を組んだ。計16回の予定で、2014年は特別開帳の仏像の拝観もできるだけ組み込んだ。遍路道を少し歩くのは、過去の「ちょっと歩き」シリーズと同様。また1200年の機会に、「お四国さん」という優しい言葉を使う四国という土地、その空気を感じてもらうことを願って、参拝以外のことも加えた。
 遍路旅は毎回1泊2日。午前8時に毎日新聞大阪本社をバスで出発する。霊場を参拝し、歩き、地元の食べ物を味わい、遍路道周辺の四国らしい場所にも寄ってみる。大阪・梅田への帰着は2日目の午後7時から8時となる。
 なお、先達メモの原稿は、梶川伸「ちょっと歩き四国遍路・開創1200年満喫編」(1)として、遍路旅の第1回から第5回まで、(2)として6回から9回までをまとめて収録しています。そのため、この原稿は第10回からの遍路旅を納めています。


   ◆第10回(48番・西林寺〜53番・圓明寺)
    =2015年2月6日〜7日


 前回に続いて、寒が襲来してきた。ところが、それも前日まで。またまた、間一髪で逃れることができた。このシリーズは、本当に運の良い遍路だ。
 参加者は17人。大阪を出る時は結構寒かったが、天候は次第に回復し、初日は日が照れば心地良いほどだった。2日目も曇りと晴れの繰り返し。自宅に着くと、夜中から雨が降り始めた。
【淡路島ハイウェイオアシス】

 前回は12月だったので、メンバー同士は今年初めての出会いとなり、口々に「ちょっと遅いけど、明けましておめでとう」で再会のあいさつをした。出発場所に毎日新聞周辺にはサザンカの生垣があり、赤い花が満開状態で、地面にも花びらがたくさん散っていた。
 いつものように、淡路島ハイウェイオアシスで、最初の休憩をとった。建物の裏の花の谷は冬枯れ状態で、花はない。わずかに、水仙が咲いているだけだった。建物の表には、黄色いユリオプスデイジーが前回と同じように咲き誇っていた。息の長い花だ。


      ↑ハイウェイオアシスのユリオプスデイジー



【昼食】

 昼食は本来、高松の漁師さんがやっている店で、ワカメのしゃぶしゃぶを食べる予定だった。ところが、その店は閉じてしまった。コースはその店に行く前提で組んであり、高松で別の店を見つけた。高松港のシンボルタワーの29階にある和食の店「若竹」で、見晴らしがいい。
 天気が良くなり、海が青い。ノリの養殖場が、海に絣模様をつけている。屋島がくっきりと見える
 食事は1500円だったが、値段以上に豪華だった。▽梅酒▽温かい黒豆豆腐▽タイとハマチの刺し身。刺し身には梅の花の小枝、梅の花に切った大根があしらってあった。煮物は▽タケノコ▽シイタケ▽ニンジン▽コンニャク▽高野豆腐▽フキ。それに▽アンコウの肝▽出し巻が同じ器に盛ってあった。メーンは牛ほお肉のシチュウ。ほかに▽ハクサイと揚げの煮物▽タマネギ豆腐▽ナマコ酢▽チリメン▽コンブ。デザートは紫イモ豆腐だった。タマネギ豆腐など、食べたことのないものもあり、楽しい内容だった。少しずつ、たくさんのものが出てくるので、女性メンバーには大好評だった。最後に、支配人がお接待で、コーヒーを出してくれ、さらに評価が上がった。


      ↑29階から見える瀬戸内


      ↑若竹のランチ



【48番・西林寺】

 四国高速の高松道を西に行き、さらに松山道を走る。車窓からは菜の花が見え、春の訪れが間もないことを知らせる。しかし、石鎚山サービスエリアにバスを停めると、雪をかぶった山が見える。季節は晩冬と早春の間を揺れ動いている。


      ↑石鎚山サービスエリアからは、雪をかぶった山が見えた


 西林寺では、日の光を浴びての参拝だった。般若心経を唱えていると、背中が温かくなってくる。本堂前の松が形よく剪定されている。本堂をのぞくと、奥の方に十一面観音の前仏が見える。大師堂では、結縁の紐が取り付けてあった。
 境内の地蔵の石仏が変わっている。頭の上に屋根がつけてあり、枯死した木をそのまま支柱にしているのだ。納経所の前には、背の低い紅梅の木があり、2、3輪の花をつけていた。ここでも、冬から春への接点が見られた。


      ↑境内の梅は、ほんの少し花を咲かせていた



<【49番・浄土寺】

 浄土寺の大師堂は、竹林を背景にしている。しかも空は青く、スキッとした印象を受ける。空也が修業した寺で、「霜月の空也は骨に生きにける」と刻まれた正岡子規の句碑が立ててあった。
 境内には、椿の木が10本近くある。枝のところどころに、小さな赤いは花、白い花をつけていて、つつましく寺を演出していた。


      ↑大師堂


      ↑境内の椿


【道後温泉】

 宿は道後温泉のホテル八千代。毎日新聞旅行では、いつもこのホテルに泊まる。せっかくの道後温泉なので、少し早めの午後4時半過ぎにはチェックインした、
 温泉に入った後、午後6時から夕食となった。食前酒の梅酒で乾杯。前菜はイカの塩辛、甘エビの塩ゆでなど。刺し身が2種。豚のしゃぶしゃぶ、ポークのシチューがメーンで、シチューにはバゲッドがついている。茶碗蒸し、鯛飯に赤だし、漬け物、デザートのゼリー。豪華な料理といいうわけではないのだが、満腹になる。
 世話をしてくれた仲居さんは、かなりの年配だった。確か、毎日新聞旅行の遍路旅では、前回も、前々回のシリーズでも世話になった記憶がある。年のせいか、お母さんのような物言いで、それが場を和ませる。「ありがとう」をこの地では「だんだん」というといった会話をし、「松山あげを買うなら程野商店のものを」などと、サジェスチョンもしてくれた。


      ↑宿の夕食

 メンバーは午後7時半にロビーに集まり、夜の道後温泉街の散策に出た。「坊ちゃん湯」と呼ばれる道後温泉本館の前を通り、商店街をブラブラ。タルトの六時屋や砥部焼きの店をのぞき、目的地はからくり時計。途中で、「どこからきたのですか?」と声を掛けられ、その男性と一緒に時計まで歩いた。この男性、実はからくり時計の前で説明をする観光ボランティアだった。この日は松山城でも案内をしたそうで、大忙しの1日だったと話していた。


      ↑散策の途中で会った男性は観光ボランティアだった


【道後公園】

 2日目は、道後温泉の散策から始まった。まず、円満寺へ。湯の大地蔵という大きな地蔵が、小さな堂の中に安置されている。
 続いて道後公園を軽く一周。古い湯釜が置いてある。濠に沿って歩くと、紅梅、白梅がそれぞれ数本、花をつけていた。椿もポツポツ咲いていた。朝早いのに、その割には寒くなく、朝のすがすがしさを感じながら、伊予鉄道の道後温泉駅に向かった。


      ↑白梅は池に姿を映していた


【坊ちゃん列車】

 今回の遍路の「四国満喫」は、坊ちゃん列車に乗ることだった。日本初の軽便鉄道という伊予鉄道の初期の列車を復元したものに乗る。復元列車は2つあり、遍路グループが乗ったのは、1907年にミュンヘンで製造されたものだった。機関車と客車が1両ずつ。車掌の話では2億5000万円をかけて造ったそうだ。
 道後温泉駅の引込線に止まっていた列車に、運転士と車掌が乗り込み、駅に動かしてくる。客車に乗り込むと、私たちのメンバーだけでいす席は満杯になった。本物が走っていた当時の汽笛音で発車。一般の伊予鉄道のダイヤの間に入って、松山市駅まで走る。途中で車掌が列車の説明や松山の案内をしてくれるのだが、ガタゴトの音が大きいので、声を張り上げての熱演だった。
 市駅につくと、そこでおしまいではなかった。普通の電車は、前と後に運転席があるが、復元列車の機関車はそうではない。そこで、機関車を人力で回転させる。これもパフォーマンスとして面白かった。


      ↑坊っちゃん列車


      ↑遍路メンバーは坊っちゃん列車を楽しんだ


      ↑松山市駅では、機関車を人力で回転させる


【53番・圓明寺】

 八脚門の山門を入っていく。境内は広くはないのだが、中門もある。鐘楼にそばには、ススキのような背の高い植物が枯れたまま立っていて、これも冬の寺を印象付けていた。大師堂の裏の方に、キリシタン灯篭がある。上の部分はごく短いのだが、十字架の形にも見える。小さな石の構造物には、マリア観音とみられるレリーフが施してあった。


      ↑キリシタン燈籠


【52番・太山寺】

 太山寺は駐車場から少し歩く。参道は木に囲まれ、寺に向かう思いを強くしてくれる。山門の前に石段があり、登り口に手水が設けてある。その周りに石仏がたくさんあり、みんな毛糸の帽子をかぶっていた。寒い冬を暖かく、の思いやりだろう。
 本堂は堂々とした建物で、大きな屋根の瓦が美しい。本堂の前に摩尼車が立ててあり、そこから結縁の紐が本堂と大師堂に伸びていた。摩尼車を回せば、本尊とも大師とも結ばれるという合理的な仕掛けになっていた。


      ↑毛糸の帽子をかぶった石仏


      ↑摩尼車から本堂と大師堂に結縁の紐が伸びていた


【白楊会館】
 昼食は白楊会館の洋食屋カラス。会館は昭和3年、愛媛女子師範が研修会館を造ろうとしたことに始まる。昭和9年に完成した。ところが女子師範は戦争で焼けてなくなり、会館は主なき館になった。それでも、女子師範の卒業生らが守ってきた。そんなストーリーがあるので、昼食場所に選んだ。
 建物は2階建ての洋風建築。レストラン用に外観が少し変えられているのが残念だが、それもやむをえないことだろう。昼食は遍路らしくないが、ハンバーグにした。タマネギのポタージュスープ、サラダ、ハンバーグにグラタンを添えたメーンディッシュ、パンかご飯と続いた。団体客を受け入れる機会がなさそうな店で、店員の女性たちがドタバタしていたが、ハンバーグはボリュームがあり、味も含めて参加者の満足度は高かった。


      ↑白楊会館の2階部分の外観


      ↑洋食屋カラスのハンバーグ


【51番・石手寺】

 石手寺はいつも参拝客が多い。本堂で般若心経を唱えたあと、洞窟に入り、暗い中を歩いて大師堂に向かった。本堂と大師堂のそばにそれぞれ、石の丸いリングが新たに設置されていて、茅の輪くぐりのような設定にしてあった。
 境内には戦後70年を意識した言葉がたくさん書かれていた。山門のそばには、「集団的自衛権不用」の看板。鐘楼には「戦後七十年 故人は叫ぶ 二度とこの痛み過ち有るな 平和の鐘がなる」。三重塔のそばにはたくさんの千羽鶴が奉納されていた。はっきりとした意思を示す寺だ。



      ↑新しくお目見えした石の輪


      ↑山門のそばには「集団的自衛権不用」の看板


【50番・繁多寺】

 今回の遍路は繁多寺で打ち止めだった。両側が池になっている参道を行く。
 山門を入ると、本堂まではほとんど何もなく、そのすっきりした空間が良い。鐘楼の天法には、格子のますを利用した絵物語になっていた。太陽が出て気温も少し上がり、池をわたってくる風が穏やかに体を包んでくれた。


      ↑鐘楼は絵物語の天井になっている


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   ◆第11回(53番・延命寺〜59番・国分寺)
    =2015年3月6日〜7日

 遍路の2日目は、1日中雨だった。今回の「開創1200年満喫編」では、初めてのことだった。それほど、天気には恵まれてきた。運が良かったわけだが、ついに22日目で運がつきた。ただ、土砂降りまでいかなかったのが幸いだったと思う。
 今回の参加者は16人。毎回ながら、こぢんまりとした遍路旅だった。少ない人数だからこそ、仲間意識が生まれるのでもあるが。


【昼食】
 今回は、しまなみ海道から四国に入った。いつも通り毎日新聞社前をバスで出発したが、目指すのは淡路島ではなく、広島県尾道市。中国自動車道に入る予定だったが、事故で渋滞。急きょ、阪神高速の池田線を走り、終点から一般道を走って、宝塚から中国道に乗った。あまり通らない道なので、車窓の風景が面白かった。
 天気はいいが冷たい朝で、車には暖房が入れた。休憩はまず竜野西サービスエリア。次は福山サービスエリアだった。「リンゴバター」なるものをあり、家で食べようと買ってみた。サービスエリアや道の駅には、食べたことのないものがあるので、好きな場所だ。福山市はバラを町おこし象徴にしている。サービスエリアの一角には、小さなバラ園があるが、当然ながら木は新芽も出していない。


      ↑サービスエリアの一角にある小さなバラ園。花はおろか、芽も出ていなかった
 しまなみ海道を走る。島の道路沿いは、梅が良い時期で、ツバキも一部残り、菜の花も咲き出していた。橋から見入る海が楽しみだったが、天気は晴れから曇に変わり、海の色がどんよりして残念だった。
 昼食は大三島でとった。大山祇神社の横にある大衆的な店「大漁」の海鮮丼のセット。煮魚などできあいのものも並ぶ食堂スタイルの店で、値段設定が安いため、列ができていた。通常は団体客をとらないようだ。今回は近くの土産物屋の主人に口をきいてもらった。一般客は1階で食べ、私たちは並んでいる人の横を通り、2階へ行った。
 海鮮丼はすし飯を使っていた。上に乗っていたのは、カキ、サーモン、マグロ、ハマチ、イカ、イクラ、タイ。それにカレイのから揚げ、イカの煮つけ、アサリのみそ汁がついていた。みそ汁はお替り自由で、鍋が据えてあった。
 丼は小さ目なのだが、ご飯の量が多く、ぶつ切りの魚も豪快で、満腹になった。ただ、釣り好きの参加者は「瀬戸内海の魚が少ないな」と厳しく指摘していたが。


      ↑大量の昼ご飯は海鮮どんぶりが主役で、魚はぶつ切りで乗っていた


【大山祇神社】
 食事の後、大山祇神社を参拝した。案内役は、大漁に口ききをしてくれた土産物屋の女性だった。境内にある樹齢2600年のクスノキが存在感を見せる。幹の上の方はないが、その太さと横への広がりに、途方もない時間の流れが集約された重みを感じる。


      ↑推定樹齢2600年クスノキ


 宝物館も見学した。ここは、国宝、重文の宝庫である。武具がほとんどで、奉納者の名前に驚く。すべて「伝」ではあるが、歴史上の人物が次から次へと出てくる。巴御前の奉納したなぎなたは、きゃしゃで、そりがあまりない。一方、源義経のなぎなたは先が広がり、大きくそっている。護良親王、後村上天皇、楠木正成を討ち取った大森彦七、山中鹿之介、源頼朝など、知っている名前を見つけることができるで、同じような展示でもあきることがない。参加者の1人が「随分昔、亡くなった主人と来たことがある」と語り、再訪を喜んでいた。
 敷地に「ツバキカンザクラ」と名前が表示してある木があった。ピンクの花で、「カンザクラ」というように、寒さの中でたくさん花をつけていた。


      ↑ツバキカンザクラは満開に近かった


【糸山公園】

 大島を過ぎ、来島海峡大橋の三連橋を通って四国の今治市へ渡る。渡ってきた橋を振り返るために、小高い糸山公園に登った。目の前に大橋。それも目の高さに近い所にある。眺めはいいのだが寒くなってきて、ほとんどの人は無料の橋の資料館に逃げ込んだ。
 参加者の女性が大島を眺めながら語り始めた。「母の実家が大島で、5、6歳のころ何度か行った。キンカンが実をつけていて、井戸水でスイカが冷やしてあったのを覚えている。祖父は来島海峡に釣りに行って亡くなったと、母から聞かされていた」。その女性は遍路が終わって別れ際に、「良い思い出ができた」と語った。


      ↑糸山公園から見た来島海峡大橋


<【65番・南光坊】

 今回の最初のお参りは南光坊。バスで境内の駐車場に入る。バスを降りて山門まで行き、今度は山門くぐって入り直した。山門は2層になっていて、2階部分に鐘がある。下から鐘は見えないが、紐が下がっていて、それを引いて鐘を打つ。
 境内には芭蕉の「ものいへば唇寒し秋の風」の句碑があった。「花尊し」の石碑も。


      ↑芭蕉の句碑と本堂

 寺の横の別宮大山祇神社にも寄った。大三島の大山祇神社の四国の出張所みたいなものだろう。境内の道路に面した場所に桜の木があって、満開だったのが不思議だった。


      ↑別宮大山祇神社の桜は満開だった


【54番・延命寺】

 池のそばを通って行く。池には大賀ハスが咲くと、表示してあった。本堂は改修中で、狭い境内は仮設の塀が張りめぐらされていた。仮り本堂でお参り。塀の横を通って石段を登り、大師堂へ。寒さが増してきた。


      ↑本尊は仮り安置の状態だった


【さいさいきて屋】

 地元の農産物を中心にした大型の商業施設をのぞいてみた。ミカンの種類と量の多さに驚いた。魚も多い。持っていくのは無理なので残念だったが、生ノリなど欲しいものはたくさんあった。ケーキ屋も人気のようで、ミカンの入ったシュークリームなど、ミカンの産地らしいスイーツも並んでいた。


      ↑かんきつ類の多さには驚いた


【鈍川温泉】
 宿は鈍川観光ホテル。今治市の中心部から山に向かっていく場所にある。以前のシリーズで泊まった際、参加した夫婦の奥さんの母親の状態が悪くなったという連絡が入った。夫婦は遍路を切り上げ、大阪に帰ることにした。ところが、夜なので帰る手段がない。そこで女将が「道後温泉から夜行バスが出ている」と言い、自分の車で送っていってくれた。それ以来、このあたりで泊まる時は、このホテルに決めている。
 宿について、女将としばらく話をした。俳画をやっているという。絵、俳句、書が融合したものだから大変だろう。先生が厳しい人だったが、昨年亡くなったそうだ。自身は喜寿までには本を出したいと話していた。部屋に置いてあったあいさつの紙、食事会場の個々のお膳に被せてある紙も、女将の絵と文でできていた。売店では女将の俳画を売っていた。「幼な歩に合わせ辿りぬ花野道」「故郷帰り夫におでん炊き込めり」の俳句が気に入った。


      ↑部屋に置いてあったあいさつのカードも、女将絵と文だった


 夕食はタイのカルパッチョ、マグロとハマチの刺し身、イノブタの鍋、シイタケ、エビ、イカ、ナスをテーブル上の小さな油鍋で揚げてくれる串カツ、茶碗蒸しなど。


      ↑鈍川観光ホテルの夕食


 露天風呂は川のそばにあって、気持ちがいい。せせらぎの音が聞こえる。しかし、とうとう雨が降ってきた。
 男性メンバーの中に、和歌山で買ってきた「貴梅酎」(天水屋酒造)を持って来た人がいた。「梅酒ではないの?」と聞いてみたが、梅酒ではないという。珍しい焼酎らしいので、私の部屋に7人が集まって試飲をしてみることにした。そのためのつまみは、大漁で荒炊きを買って用意していた。店に荒炊きが並んでいて、その中で1番大きいのを選んだ。魚はタイだと思っていた。ところば、釣り好きのメンバーが見て、ブダイだと言う。皮が厚くて箸がささらない。結局、少し食べただけで終わった。夕ご飯で満腹になっていたので、それで構わないのだが、「大きいから得だ」と思ったのは、あさはかだった。
 翌朝、ホテルを出て、川の写真を撮りに行った。小雨だったので、ホテルの男性従業員が玄関にあった笠を持っていくように勧めた。しかし、すぐそばだと思い、傘を持たずに飛び出した。川が見える場所は思いのほか遠い。写真を撮って帰ろうとすると、従業員が笠を持って追いかけてきた。傘を持っていくのを断ったばかりに、かえって迷惑をかけ恐縮した。しかし、これも女将の従業員教育がしっかりしているあかしでもあった。


      ↑渓谷は雨にけぶっていた

 出発の光景がうれしい。一行はバスに乗る。女将や若女将や従業員たちが見送りに出てくる。バスは駐車場から出ていくと、一斉に手を振る。ここまでは見送る人数の差はあっても、よくある光景である。ここからが違う。
 駐車場には2つの進入路がある。バスは奥側の進入路を出て200メートルほど走り、もう1つの進入路の前を通って、今治の市街地に下りてゆく。女将らはいったん手を振って見送った後、もう1つの進入路まで懸命に走り、スピードを速めて通り過ぎるバスに向かって、また手を振る。女将など着物姿で走る人もいる。この姿を見た時に、また来ようと思う。


【56番・泰山寺】

 2日目は1日中、雨の中だった。この日の最初の札所は泰山寺。雨のうえ、午前8時すぎの参拝なので、手が冷たい。本堂のそばに紅梅、大師堂のそばに白梅が咲いていた。


      ↑境内に咲いていた紅梅


【57番・栄福寺】

 バスから少し歩く。泰山寺ではパラパラだった雨が少し強くなってきた。境内に入ると、奥の右手に新しい鉄筋の建物ができている。本堂には結縁の紐。大師堂の横には、金剛杖がたくさん立てかけてあった。サンシュユの小さな花が咲き、斑入りの椿も満開だった。


      ↑本堂の横に金剛杖がたくさんあった


【58番・仙遊寺】
 仙遊寺は山門から歩いて登る。雨の中を歩く。途中で湧き水があり、1杯飲む。直前に水を手にして下りてきた男性に出会ったが、ここでくんだに違いない。門の前に車が停まっていたのも、この人の車だったのだろう。
 雨で歩きにくいのだが、あたりはモヤモヤとけぶっていて、それが雰囲気を出している。竹林も墨絵の世界を作っていた。道にはツバキが落ちていて、墨絵の世界に赤いポイントをつけていた。
 境内もけぶっていた。線香立てから立ち上る煙と一緒になって、モヤモヤさが増す。本堂に参ると、結縁の紐が堂の中に伸びている。本尊は千手観音。彩色していない像で、見えやすいように安置してあった。大師堂にも結縁の紐が設けてあった。
 帰りはバスで下りた。バスを停めた場所までは、桜が並木を作っている。小さなピンクのつぼみをつけていて、本格的な春が近いことを知らせてくれた。


      ↑白楊会館の2階部分の外観


      ↑参道の竹林はもやにけぶっていた


【59番・国分寺】

 境内に手を差し出した大師像がある。「お大師の握手会」と、笑いながら順番に手を伸ばして握手。参拝に後は、奈良時代の国分寺跡にある大きな礎石を見学した。高さ60メートルの七重塔があったとされ、ちょっとびっくりする。
 駐車場に戻ると、団体の参拝バスが停まっていた。ナンバーを見ると「岩手」。バスに乗り込む人に話しかけた。10日かけて霊場を1周するのだという。3月1日に出発して、1週間たったそうだ。



      ↑弘法大師との握手会みたい


      ↑奈良時代の国分寺の礎石


【タオル美術館】

 昼食はタオ美術館の中にある中華料理の店「王府井」にした。美術館は今治名産のタオルメーカーの施設。4階建ての大きな建物で、各階がタオル製品やギフト製品、四国の土産物の販売施設になっている。4階にレストランと有料の美術館が併設されている。レストランの前は広い庭が広がり、パンジーが植えられ、実のついたレモンの木もあった。駐車場には車がたくさん停まっていたが、十分に楽しめる施設になっているからだろう。


      ↑レストランの前は庭園になっている

 料理は八宝菜、サラダ、スープ、チャーハン、デザート。八宝菜はキノコをたくさん使っていて、味つけはあっさりだった。スープも同じく。


【周ちゃん広場】

 JAが運営している地元産品販売所「周ちゃん広場」に寄った。ここも前日のさいさいきて屋と同じように規模が大きい。農産物が中心で、特にかんきつ類が目立つ。試食コーナーがあって、10種類のミカン類が並んでいた。


      ↑10種類のかんきつ類の試食ができる


【土柱】

 帰りは徳島道を通り、阿波パーキングエリアに車を停めた、そこから土柱という景勝地に歩いていく。歩くとは言っても、片道10分ほどの近さ。
 土柱は山にある土の絶壁のような場所。断層面が縦になっていて、柔らかい土質のため、長い間に雨などで削られ、土の柱が続く景観を造り出している。見るスポットは2つあって、まず上のスポットへ。谷をはさんで土柱の高さの中間くらの高さから眺める。次に下に下りて、見上げる。それほどスケールが大きいわけではないが、あまり見ることがない光景である。参加者の1人の男性が、「新婚のころに2人来たことがある。40年ぶりくらい」と懐かしんでいた。今回は何人もから、遠い昔の思い出を聞く遍路となった。


      ↑雨の中、土柱を見学した


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   ◆第12回(60番・横峰寺〜65番・三角寺)
    =2015年4月3日〜4日

 今回は桜に包まれて遍路だった。1日目は雨だったが、強い降りは免れ、雨や霧で煙った寺も、それはそれで風情があった。17人の参加者の満足度も高いようだった。


【道の駅・源平の里むれ】
 天気予報では両日とも雨だった。毎日新聞社前をバスで出発する時点ではまだ曇り空だったが、お参りするころには雨が降ってくるのが分かっていた。
 出発地点のそばの桜は満開。シャクナゲも咲いている。冬から春へと急転回しているのを再確認する。
 淡路島を走る。高速道の周りには、ソメイヨシノ、オオシマザクラ、ヤマザクラなどの桜が咲き誇っている。青空ではないないのが残念ではあるが、それでも見飽きることはない。レンギョウやユキヤナギも混じる。四国に渡り、高松道を走ると、モモ畑の濃いピンクの色が加わった。
 渋滞にも遭わず、順調に進んだので、予定よりも早めの行程になった。昼食は高松市の松国際ホテルなのだが、ストレートに行けば、午前11時前には着いてしまう。そこで、時間調整も兼ね、高速道路を下りて、高松市に入った場所にある道の駅「源平の里むれ」に寄った。
 庵治石の産出地に近いので、石のオブジェの敷地に置いてある。また一角には、真念庵という休憩所もできている。子ども向け遊具も設置してあり、買い物や休憩の場所としては、うまく造られている気がする。


      ↑道の駅に設けれられた真念庵


【昼食】
 昼食は高松国際ホテルのレストラン「屋島」。少しずついろいろなものが出てくるので、女性が多いこの遍路旅には、うってつけだと考えて選んだ。4つの箱に食べ物が入って出てくる。
 刺し身はサーモンとイカ。天ぷらはエビ、アナゴ、ナス、レンコン、シシトウ。サワラの木の芽焼き、鶏の砂ずり、茶碗蒸し、ジャコ、ズイキ、ニンジンのキンピラ、キュウリとキクラゲの酢の物、サトイモなどの煮物、アサリのみそ汁、豆ご飯。デザートにリンゴのゼリー、クルミ焼き菓子、イチゴ。それにコーヒーか紅茶。種類の多く、うれしくなる。


      ↑屋島のランチ


【60番・横峰寺】

 60番横峰寺は標高700メートルあまりの場所にある。八十八カ所の中では3番目に高い。専用のバスに乗り換えて行く。乗り換える時には、もう雨が降っていた。
 横峰寺の楽しみの1つは、奥の院「星が森」から石鎚山を見ることだ。しかし、雨では見られる可能性は薄い。寺に向かう専用バスの中で、運転手さんが「この雨じゃ見られん。星が森へ行っても、濡れるだけ」とはっきりと言うので、望みは完全に断たれてしまった。
 雨の中の参拝は手間がかかる。先達を務めているので、手をあけておきたい。このため、ポンチョとスパッツ姿でお参りした。ずだ袋はポンチョの下。その中から線香やロウソク、納め札などを取り出すのだが、手探りなのでまどろっこしい。
 参加者は同じようなスタイルか、傘をさしている。傘をさしながら、線香やロウソクに火をつけるのも、難儀な作業である。般若心経を唱えるのも、なるべく雨を避ける場所を選んだ。ところが、経を唱え始めると雷が鳴り、肝を冷やした。大変な空模様の下での参拝となった。
 本堂の後、大師堂に行くと、結縁の紐が伸びていた。ここは雨から逃れるスペースが少なく、雨の中での読経になった。


      ↑横峰寺は雨の中の参拝だった

 のシリーズは、「ちょっと歩き」を唱っている。今回の「ちょっと歩き」の1つに、星が森までの往復を組み込んでいた。運転手さんの「濡れるだけ」の言葉はあったが、「ちょっと歩き」を省くわけにはいかない。ゆるい登り道を15分ほど。道の左側にちょっとした広場がある。広場にたどり着くと展望が開ける。
 見えた、石鎚山が。みんな歓声をあげた。諦めていた分、喜びが多きい。ほんの少し、雲が山頂付近を隠しているが、ほぼ全容が見える。雪も一部残っている。少しもやっているのは、やむをえない。お参りもせず、山を眺め、写真を撮った。
 歩きながら、年配の女性が話し出した。「四国を回り始めたころは、歩くのもままならなかったのに、最近は山道も登れるようになった」。うれいい言葉だった。確かに、別格3番・慈願寺の穴禅定へ向かう急な坂道では、音を上げていたのを覚えている。それに比べると、足取りはしっかりしている。 


      ↑星が森から見えた石鎚山


【64番・前神寺】

 行程の関係で順番を飛ばし、前神寺を先にした。午後5時の納経所が閉まる直前に寺に着いた。雨は少し小降りにはなったが、降り続いている。時間が遅いので、線香、ロウソクは省略した。
 本堂の左右に桜の列がある。本堂の正面はガラス張になっているが、中が暗いので鏡のような役割をはたし、ガラスに外の桜が写って見えた。ここには本尊と結ぶ御手綱がつけてあった。
 境内には桜のほか、椿やシキミの花が咲いていた。しかし、雨の中のうえ、午後5時を過ぎていたので、見ている余裕はなかった。


      ↑本堂のガラスには桜が写る


      ↑本堂に両側の桜は満開だった


【宿】

 宿は今治市・湯の川温泉のホテル・アジュール。桜井総合公園の中にある。
 ここの夕食も、豊富なメニューだった。刺し身はタイ、カンパチ、サワラのたたき。タイや、貝、キャベツの入った「水軍鍋」に、タイの炊き込みご飯。タイは桜そばにも使われていた。天ぷらはエビ、マス、シシトウ、レンコン。タケノコの梅あえ、白魚の吸い物もあった。
 夜も雨はやまない。温泉の風呂に行き、露天風呂にも入ったが、屋根がないので雨が頭に当たり、長い間入っていられない。


      ↑ホテル・アジュールの夕食

 翌朝になると、運のいいことに、雨はやんでいた。朝食の前に、桜井総合公園の中を散策した、名前からもわかるように、桜がたくさん植えてある。どこも満開から散り初めといった時期で、見るには1番いい。海の近く、10分あまりで海岸の堤防に出る。展望台があって、見える島の名前が書いてあった。大島、比岐島、四阪島、早市島。
 散歩のおばあちゃんと出会ったので、あいさつをすると、「公園の中もいいけど、海岸沿いを休暇村まで歩くといいですよ」と話す。休暇村とは瀬戸内東予のこと。歩いたら、1時間以上かかるのではでないだろうか。当然無理なので、宿に引きあげた。


      ↑公園は桜が満開だった


【久妙寺】

 今回の「四国満喫」の場所に選んだのは、西条市の久妙寺だった。桜の時期に巡り合わせているので、桜の名所を選んだ。ちょうど散り始めの絶好の時期だった。本堂の周りの境内は、そう広くはない。そこも桜が密集しているが、山門の外の池の周りや、参道をはさんで反対側の広場にも桜が植えられ、その数は300本という。本堂の横から短い坂道があり、それを上ると小さい堂があり、その前から下を見ると、堂宇が桜に覆われていた。


      ↑桜に包まれた久妙寺


【61番・香園寺】

 61番・香園寺の本堂は、大きな長方形のコンクリート造りである。黒っぽい灰色をしている。建物の2階には本尊や大師像をまつってあり、その前には劇場のように備え付けのいすが並んでいる。般若心経はそこであげる。
 本堂の外に桜の木が数本ある。どれも満開で、白い花びらが灰色の建物の色を背景にはえる。小さいながら、枝垂れも1本、ピンクの花をつけていた。寺の周辺は麦畑で、緑濃く伸びた麦が目に優しい。


      ↑本堂の前の桜


      ↑香園寺のそばの麦畑



【62番・宝寿寺】

 香園寺から62番・宝寿寺までは近い。バスで移動すれば、数分で行ける。ここの本堂は以前から工事中で、般若心経は仮本堂の前で唱える。すぐ横に大師堂があり、線香やロウソク立ては2つの堂の共通となっている。
 境内の桜は、葉桜になっていた。赤みのある緑の葉に、花びらがくっついている。雨の水が接着剤の役割をはたしていて、しばらくはがれることはないだろう。


      境内の桜は葉桜になっていた↑


【63番・吉祥寺】

 バスを駐車場に停めて、少し歩いて63番・吉祥寺に行く。水路に沿って寺の白い土塀が続いている。塀の上から白いヤマブキの花がのぞく。ほんの短い山門への道だが、雰囲気がいい。
 境内には花が多い。チューリップ、白いシャクナゲ、大きな赤いツバキ。桜も残っている。桜の中には、緑色の種類もあった。御衣黄か右近かもしれない。鐘楼の横のクスノキは、春の赤い葉をたくさん落としていた。
 成就石という丸い穴のあいた石が置いてある。金剛杖を手前に突き出し。目をつむって歩いていき、杖が穴に入れば、願いがかなうそうだ。まず手本を示すと、参加者が面白がって挑戦していた。


      ↑緑色の桜もあった


      ↑境内にはチューリップも植えてあった


【伊予氷見駅】

 吉祥寺のある西条市は、布団太鼓の祭りで知られる。駐車場の近くに、布団太鼓のミニチュアがあるので見に行った。すぐそばは、JR伊予氷見駅。小さな駅だが、桜の木が周りを囲んでいる。ついでにそれも見に行った。
 ホームに学生がいて、列車を待っている。到着まであと3分と教えてもらい、ローカル列車をみんなで迎えることにした。列車な1両だけのワンマンカーだった。JR四国はアンパンマン列車を走らせているので、ワンマンとひっかけて、「アンパンマン列車と思ったらワンマン列車やった」とだじゃれを飛ばしてみた。すると、列車から降りてきた女性が、こちらの話に乗ってきた。
 「アンパンマン列車は午後3時ごろの1本だけ。その時は、この駅でも、前の駅でも、子どもたちが見に来る」。おしゃべりが始まった。前神寺のそばに住んでいるという。スーパーがないので、列車に乗ってきたそうだ。「民謡をやっていたので、声が大きい」「今は琵琶を弾いている。徳島まで習いに行く。1カ月間インドに行って、祇園精舎でも演奏をした」。75歳の元気な女性だった。


      ↑紀伊氷見駅に入ってくる列車


【昼食】

 いったん高速道路に乗り、昼食場所に向かうと、霧が視界をさえぎる。雨上がりの影響だとう。川之江インターで下りて、昼食場所の「中国菜館成都」へ。3色のシュウマイ、エビのチリソース、トリのから揚げのサラダ、スープとご飯のセット。最後にアンニン豆腐がついていた。

      ↑成都の昼食



【65番・三角寺】

 65番・三角寺の標高は450メートル。行きはバスを使った。霧が深まっていく。寺に着いて、山門までの石段を見上げると、上は方がもやっている。結構霧は深い。境内に入るとなおさらで、山門付近から本堂のあたりは見えない。


      ↑石段の上の山門あたりは見えにくかった

 「是でこそ登りがいありやまざくら」の石碑のそばに、大きくて古いヤマザクラの木がある。まだつぼみの状態ではあるが、霧のために桜を見るどころではない。しかし、灰白色の世界も、そう滅多に見られるものではない。そんな機会を得たことを、むしろ喜んだ。


      ↑ヤマザクラの古木も霧の中


【戸川公園】

 下りは逆打ちの方向に歩く。もやの中を進む。逆打ちは道を間違えやすく、ここも何カ所が迷う地点がある。道しるべが小さいので、仲間と話しながら歩いていると、曲がる場所を通り過ごす恐れがあり、注意しながら進んだ。途中には、普段なら絶景ポイントがあるのだが、今回は何も見えない。
 ミカン畑まで下りてくると、もう霧はない。休憩所がつくってあり、その前はチューリップ畑になっていた。わざわざ休憩所前につくったのではないかもしれないが、お遍路さんにとってはうれしい光景だろう。


      ↑休憩所前にあったチューリップ畑

 若い外国人の男性遍路があえぎながら登ってきた。「テンプル、どのくらい」と聞く。「one hour」と答えると。「テンプル遠い、パリも遠い」と、面白いことを言う。フランス人だとは分かったが、別れ際には「go,go!」と英語で声をかけるメンバーもいて、珍妙な出会いと会話だった。
 バスとの合流場所は、戸川公園だった。公園も桜が満開。数グル―プが花見をしていた。売店まで出ているのにびっくりしたが、忙しいのは夕方からかもしれない。


      ↑戸川公園も満開の桜だった


【加茂の大クス】

 大阪への帰り、徳島県東みよし町の国指定特別天然記念物の加茂の大クスを見に寄った。吉野川から近い平地に立つ。周辺は一応、公園化されていているが、トイレだけがある広い空間になっているので、なお一層目立つ。
 説明板によると、樹齢は1000年以上。根周り20メートル、高さ25メートル、東西46メートル、南北40メートル。支柱が何本も取り付けてあるが、樹勢は衰えていない。大きさに驚くものの、こんもりした形と緑という色のせいかい、威圧感よりも親しみを感じる。


      ↑幅40メートルもある加茂の大クス


【貞光ゆうゆう館】

 大クスの近くの道の駅「貞光ゆうゆう館」(徳島県つるぎ町)で休憩をとった。この遍路旅のシリーズで1度、昼食場所にしたことがある。この時間になって、太陽が出てきた。吉野川のほとりにあり、堤防には枝垂れ桜が並んでいる。太陽を浴びて、ピンクの色を増していた。ここから大阪へ向かったが、最後まで桜づいた遍路だった。


      ↑貞光ゆうゆう館の前の堤防の枝垂れ桜も満開だった


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   ◆第13回(66番・雲辺寺〜70番・本山寺▽72番出釈迦寺〜73番・曼荼羅寺)
    =2015年5月8日〜9日

 この遍路旅のシリーズは、毎月第1金曜日、土曜日を基本にしている。5月は第1週にするとゴールデンウィークとぶつかる。混雑も車の渋滞も予想されたので、あえて第2週した。
 今回は北海道から参加する女性が、久し振りに顔を見せた。2014年12月に参加して以来だという。旧交を暖める遍路旅でもあった。
 季節や良し。天気も良し。バスは快適に梅田を出発した。期待に反して、天気の方は2日目が雨になったが、出発時点では思いもよらなかった。


【津田の松原サービスエリア】
 いつも通りに、淡路島に渡って休憩。阪神高速の神戸線が渋滞が少なく、行程より早く淡路島に入った。ゴールデンウィーク明けだからだろう。淡路島ハイウェイオアシスで休憩するのが通常だが、オープン時刻の午前9時少し前に着いたので、サービスエリアにバスを止めた。
 淡路島を抜け、四国に入って高松道を進む。道路の脇には黄花コスモスが咲き始めている。木はキリやフジなど紫色の花が目立つ。
 津田の松原サービスエリアで休憩。建物の中をウロウロしていると、讃岐弁の一覧表が張ってあった。20年近く前に松に住んでいたので、「まんでがん」(全部)のように代表的な方言はわかるが、一覧表の言葉は知らないものがほとんどだった。


      ↑サービスエリアに張ってあった讃岐弁の一覧表


【昼食】
 今回もお参りの前に昼食となった。選んだ場所は、香川県観音寺市の68番神恵院に近い「かなくま餅福田」。もともとは餅屋さんのようだが、今はうどん屋を営業している。
 あらかじめ選んでいたメニューは、「あん餅うどん」。餅をうどんの上に乗せた力うどんの変形と思ってもらえばいいが、餅にあんこが入っているのが香川県らしいと言えば、そうとも言える。香川県の正月の雑煮は、白みそにあん餅という組み合わせ。知らない人はびっくりする。あん餅うどんは、それをヒントに考えたものだろう。
 みそ仕立てではなくすまし。ただ、正月近くになると、白みそのとあん餅の用意されるが、この時期はすまししかない。
 「昼食はなるべく地元のものを」が、この遍路旅のコンセプトになっている。だから、このメニューを選んだわけで、参加者の驚きぶりを見るのが楽しい。小ぶりだが、あん餅は2つ。そのほかに卵焼き、油揚げ、ワカメが少しずつ乗っている。
餅自身がおいしいし、あんも食べやすい甘さにおさえてある。それに、しょうゆと塩味が加味されて、案外おつな味になる。初めて食べて参加者の評判もまずますだった。
 うどんに、おこわとおでん2つをセットにした。おこわは干しエビを使ったもので、これも珍しいし、人気がある。讃岐のうどん屋のおでんは、みそをつけて食べる。これも普通の人には珍しいかもしれない。


      ↑あん餅うどん、干しエビのおこわ、おでん


【68番・神恵院】

 お参りの最初は68番神恵院。69番観音寺と同じ境内にある。
 神恵院の本堂は新しい、エントランスがコンクリートの建物になっている。その中を通って段を上ると、本堂に前に出る。周りはコンクリートの壁で囲まれたような構造で、そこで般若心経を唱えると、エコーがきいて心地よい。
 本堂の横から庭園に向かうツツジがたくさん剪定して配置されているが、まだ咲き始めだった。オオデマリが咲いていた。
 大師堂に回る。ここには、御手綱が堂の中へと延びていた。堂の横の木に、セッコクが白い花を咲かせていた。


      ↑本堂へのエントランス


      ↑ツツジを配置した庭園


【69番・観音寺】

 すぐ横の観音寺へ。境内の中央に大きなクスノキがある。根の周りがこぶのようになって地上に張り出している。観音寺にも、結縁の紐が取り付けてあった。境内の売店のそばに、オガタマの木があって、花をつけていた。香りが強い花だった。


      ↑大きなクスノキと本堂


      ↑回向柱が建てられ、御手綱がつけてある



【琴弾公園】

 観音寺から山を少し登る。これも今回のちょっと歩きの一環。琴弾公園の巨大な寛永通宝の砂絵を上から見ることができる展望台に出る。天気が良く、海が青い。沖には、イリコの産地として知られる伊吹島が浮かんでいる。


      ↑海の青さと砂絵のコントラストが良い


【観音寺チャンスセンター】

 寛永通宝の砂絵を見てバスに戻り、運転手さんに頼んでバスを街中へと走らせてもらった。目的地は観音寺チャンスセンター。宝くじ売り場である。
 実は昨年、このチャンスセンターで、ロト7の8億円が1日に2本も出たそうだ。それ以来、砂絵にお願いをしてからこのセンターで宝くじを買うといい、というのがうわさになった。そこで遊び感覚で、参加者にたからくじを1枚ずつプレゼントするこにした。
 参加者は女性外多く、年齢も高い。宝くじに縁のない人が多い。だから、1人たった1枚100円の宝くじでも、けっこう盛り上がった。1等は2000万円。


      ↑観音寺チャンスセンター


【66番・雲辺寺】  雲辺寺は標高900メートルで、四国霊場の中では1番高い場所にある。徳島県と香川県にまたがって寺はあり、本堂の所在地は徳島県だが、札所の参拝順では、香川県の涅槃の道場に組み込まれる。
 雲辺寺へはロープウェイで行った。下の駅でロープウェイの時間待ちをしている間、自転車遍路の男性としがらく話した。千葉からだという。野宿ばかりだというので、ヘンロ小屋のことを話題に出すと、宿毛の小屋で泊まったといって、小屋を撮った写真を見せてくれた。
山上の駅に着くと、気温が16度と表示されていた。ロープウェイのガイドの女性が「下より7度低い」と話していた。ちょっとひんやりする。
 本堂に向かって歩き始めると、徳島と香川の県境が地面に書いてあった。さらに行くと、五百羅漢の石像が並んでいる。おもしろい表情、形のもが多く、傑作なのは孫の手で背中をかいているポーズだ。
 本堂が新しくなっている。中をのぞくと、新しい石仏の千手観音が安置してあった。本堂の横に、おたのみなす。なすのベンチがあって、それに座って願ごとをするとかなうとか。「宝くじがあたりますように、当たってもみんなにバレませんように」と冗談を飛ばす人もいた。
 少し時間に余裕があったので、毘沙門天の展望台にも登った。雲辺寺には10回行っているが、展望台に登ったのは3回目だった。周囲が一望できるが、海の方はかすんでいた。ロープウェイの駅にいくと、気温は17度と1度上がっていた。


      ↑雲辺寺境内の県境


      ↑ユーモラスな五百羅漢


      ↑毘沙門天の展望台


【豊稔ダム】

 毎回、四国の良い場所を行程に組み込んでいるが、今回加えたものの1つは豊稔ダムだった。雲辺寺の下の方にあり、宿に入る前に寄ることができるからだ。
 コンクリートブロックの「マルチプルアーチ式ダム。大正15年に着工して、昭和4年に完成しいたと説明板にあった。建設費は51万9000円で、みんなが冗談で「宝くじの1等があたれば創ろう」と言ってはしゃいだ。
 まずダムの上から見た。たまった水が緑色で、周囲の山の溶け込んで美しい。次にアーチを見ながら下り、下から眺め上げる。古くなって黒みを帯び、それが産業遺産のような貫禄を見せる。


      ↑豊稔ダム


【宿】

 宿は、かんぽの宿観音寺。到着するころから雲行きが怪しくなった。
 夕食のメーンは、イカの陶板焼き。刺し身は、サワラ、タイ。サワラは香川県の人が珍重する春の魚で、たたきも出た。エビの酸味のある料理、タイの荒だき。変わったところで、からしレンコンんを餅で包み、あんをかけたもの、タマネギの漬け物もあった。
 ふろは温泉。母柿(はがみ)温泉という名前がついている。夜遅くに入った時には気づかなかったが、朝ぶろの時点では、雨になっていた。そう強い雨ではないので、宿の傘を借りて朝の散歩した。麦畑があり、茎も穂も金色になっている。もしばらくすると、本当の麦秋となるが、そうなると茶色くなり、金色の時期の方が美しいと思う。
 宿の向けて帰る際、運動公園の中を通った。野球場に観音寺中央高校の選手が3人。雨の中の練習に自転車できたようだ。3人はバラバラの場所にいて、その前を通るたびに次々と帽子を取り、「おはようございます」とあいさつをしてくれた。四国では、あいさつをする子どもたちが多い。今回も細い道をバスでゆっくり走っていると、自転車から降りて、あいさつをしてくれた少年の2人組がいた。こちらが遍路バスだと分かったからかもしれないが、バスに向かってあいさつをするとは。


      ↑夕食


      ↑金色の麦畑



【67番・大興寺】

 2日目のお参りは、雨の中で始まった。しかし、パラパラ程度なので助かった。
 山門をくぐると、樹齢1200年のカヤと、大きなクスノキが迎えてくれる。大木に触れて力をもらい、石段を登っていく。石段の上を覆う青もみじも清々しい。本堂と大師堂の間に、三鈷松があり、縁起物として持ち帰り用に葉が置いてある。四国出身の女性がいて、この松葉について「赤ちゃんが生まれた時には赤いだんごをつけ、不幸があった時には、白いだんごをつける」と、土地の風習を語った。
 庫裏への門の横にククロウのおりがあった。フクロウを眺めていると、寺の女性が庫裏の庭に入って見てもいい、と誘ってくれた。参加者がぞろぞろを庫裏への門をくぐった。庭がきれいに整備されていたのが、印象に残った。

       ↑樹齢1200年のカヤ


【70番・本山寺】

 本山寺は山門で、本堂は国宝に指定されている。本堂は背が低く、横への広がりがに伸びやかで良い。鎌倉時代の建造で、黒くすすけたしとみ戸が安定感を与える。
   五重塔は解体修理をするらしい。いたるところに、協力金を呼びかける看板が立っていた。境内には石仏が多く、赤い毛糸の帽子を被ってものもある。


      ↑五重塔


【フラワーパーク浦島】

 本山寺に続いて71番・弥谷寺へと続く続くkはずだが、開創1200年の特別公開の大師像を見るため、先に訪れている。そのため、参拝の時間分だけ時間に余裕ができた。そこで、荘内半島に海のそばにあるフラワーパーク浦島を訪ねた。「ちょっと歩き」と「四国の良い所」を組み合わせた企画だった。
 海に面した斜面のマーガレットが売り物となっている。現地に着くと、思ったほどの規模ではなかったが、一面の花畑の雰囲気はある。花はキンセンカと、白と淡いピンクの2種類のマーガレット。
 小さなテントが設けられ、そこにいた女性に話をしてみた。そもそも、3つの小学校の体験学習で花を植えているのだという。だから、観光用ではない。花が咲いたあとは、和紙にすき込んだ「花和紙」を小学生に作らせる残りの花は日を決めて、有料で訪れた人に摘んだでもらう。それが翌日で、すでに駐車場が設けられていた。

      ↑薄いピンクのマーガレット畑


【昼食】

 昼食は三豊市仁尾町の「海鮮夢太郎」。親が海産物の販売をし、息子が隣で食べ物屋をやっている。料理は和定食。ここでも、サワラが中心だった。サワラ、タイ、イカの刺し身、サワラのたたき、ゆでたエビ、クルミの佃煮、タコワサビが少しずつ乗った皿、エビ、サワラ、カボチャなどの天ぷらなど。  隣の海産物の店で土産を買う人がいた。私はワタリガニを2匹買って、持って帰った。


      ↑魚中心の昼ご飯



【73番・出釈迦寺】

 出釈迦寺では、ほとんど雨は止んでいた。きれいに剪定された背の低い松林が参道に並んでいる。「七ヶ所まいり」の青いのぼりが立っている。雨の後なので、山がけぶっていて、幼い空海が飛び降りたと伝えれれる捨身ヶ嶽の堂がよく見えない。


      ↑参道の松の並木


【73番・曼荼羅寺】

 出釈迦寺から歩いて下りてくる。寺の横にあった遍路宿が壊され、駐車場に変わっていた。
 境内に入ると、ソラマメを1袋200円で売っていた。無人の販売所だが、ソラマメは珍しい気がする。大師堂には、御手綱がむすんであった。


      ↑境内にあったソラマメの無人販売所


【三谷製糖】

 大阪への帰路、香川県・引田の三谷製糖を訪ねた。和三盆の製造・販売所になっている。このあたりから徳島県にかけて、サトウキビを栽培している。それを絞ってrつくるのが和三盆。大変上品な味がする。和三盆を固めただけにお菓子もある。時期に応じた形にし、この時期はあやめだった。試食用も用意してある、これおもアヤメに見立てていて、見た目も上品だった。


      ↑試食用も、アヤメを表現した上品はあしらいだった


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   ◆第14回(74番・甲山寺〜79番番・天皇寺)
    =2015年6月5日〜6日


 梅雨に入って早々の遍路で、雨は覚悟していた。その通り、1日目はお参りを始めてからずっと雨。そのお返しか、2日目は好天で、雨が空気中の汚れを流したのだろう、視界の良い遍路旅となった。今回の参加は14人だった


【昼食】
 淡路島をバスで走る。まだ天気はもっている。しかし、東の空が不気味に見える。海に近い雲の間から薄日が漏れているが、朝日のような色合いに見える。中央分離帯にキョウチクトウが植えてある。赤と白だが、赤も濃い赤とやや柔らかい赤の2種類あり、結局は3種類の色のキョウチクトウが延々と続く。
 四国に入って高松道を走る。途中の津田の松原サービスエリアで休憩をした。その際、参加メンバーの1人がバッグをトイレに忘れてしまった。再びバスが走り出して間もなく。それに気づいた。添乗員がサービスエリアに電話をかけると、落し物として届いていた。中には現金やカード類が入っていたそうで、いい人に拾われたものだ。忘れたのはトイレという密室。現金やカードだけ抜きとっても、気がつかれる可能性は少ないかもしれないのに。バッグは自宅に送ってもらうことになった。ちょっといい話だった。
 昼食は香川県丸亀市の「茶芸館夢回廊」。住宅街にある民家を使った飲茶の店だ。とはいっても、住宅をあまり改造せずに使っているので、住宅そのものと言ってもいいくらいだ。おかゆと6種類のシュウマイが中心で、そのほかに小鉢がついていた。店内では、中国のシルク製品などを販売している。
 店の主人に聞くと、もともと中国との貿易をしていたので、飲茶の店を開いたそうだ。遍路旅の参加者は商品を見ていたが、1人の女性が「安い」と言って、黒いシルクの服を買っていた。


      ↑夢回廊の昼食


【78番郷照寺】
 今回の最初の参拝は、宇多津町の郷照寺だった。駐車場は寺から少し離れている。雨はついに降ってきた。強い降りではないので、簡単なカッパを着た。本格的なポンチョも持ってはいるが、暑い時期なので、それは家に置いてきた。それがやがて裏目に出る。
 寺の下の店「地蔵餅」でだんごを買った。人気のある店で、午後になると売り切れていることもある。昼食のすぐあとなので、後でバスの中で食べることにした。
 雨の中の参拝となった。本堂の軒下に身を寄せて、天井絵の下で般若心経を唱えた。本来なら、境内から下の眺めが良いのだが、少し煙っていて、見晴らしは悪い。大師堂に移動しても、雨脚は弱まらない。地下になっている観音堂に入って少し時間をつぶすが、効果はない。
 境内には池を中心にした庭園があって、それを見に行くが、雨のため長居はできない。手前にサツキ、池の反対側にアヤメなのかハンショウブなのか、紫の花が咲いていて風情がいい。だが、じっくり楽しめなかったのが残念だった。


      ↑地蔵餅のだんご


      ↑本堂の天井絵


      ↑郷照寺の庭園


【西光寺】

 1日目のちょっと歩きは、郷照寺からヘンロ小屋42号「宇多津・蛭田池」までの1.5キロだった。宇多津の街中は、結構古い建物があって、本来なら歩いていて楽しい。あいにくの雨だが、予定通り歩くことにした。明るいベージュ色の壁の品のいい料理屋がある。しばらく行くと、元酒蔵がある。今は別の場所に移ってしまったという。20年近く前、高松に住んでいたころ、何人かで訪ねたことがある。酒よりも、酒を使った化粧品の方が売れている、という社長の言葉が印象に残っている。


      ↑宇多津町の町並み

 この道を歩く理由の1つは、元酒蔵の前にある西光寺に寄ることだった。境内に舟屋形茶室があるからだ、江戸時代の御座船の館部分をそのまま使っている。説明によると、分かっているのは、ほかに熊本と姫路にあるだけだという。写真を撮るが、雨がレンズにあたる。


      ↑西光寺の舟屋形茶室


【ヘンロ小屋42号宇多津・蛭田池】

 西光寺を出ると、自転車に乗った中学生と次々と出会う。下校途中だが、それにしては早すぎるような気がする。試験期間中でもあるのだろうか。その中学生らが、あいさつをして走り過ぎていく。こちらも人数が多いので、「こんにちは」の声が続いた。それは気持ちのいい声だった。
 雨はさらに強くなり、カッパを通して雨がしみてきて、着ていた作務衣が濡れる。実はこの夜、作務衣をハンガーに掛けておいたが、朝になってもまだ濡れていた。
 ヘンロ小屋に着いて一休み。小屋は公園の一角にある。小屋から少し離れた場所には、ハナショウブが咲いていた。ここでバスと合流した。


      ↑ヘンロ小屋「宇多津・蛭田池」



【79番・天皇寺】

 天皇寺も駐車場から5分ほど歩く。神社と合体した寺で、入り口は鳥居になっている。しかも、メーンの鳥居の横に子どもの鳥居がついている不思議な形をしている。納経所に行くのは、ちょっとした門をくぐっていく。この門の作りが洋風でおもしろい。


      ↑天皇寺


【八十場のトコトテン】

 天皇寺と同じ境内にある白峯神社に参拝する。そばには大きなクスノキがある。それをみなが境内を裏側に出て、さらに進むと、名物のトコロテンの店がある。清水屋だが、ほとんどの人が地名をとって「八十場(やそば)のトコロテンと呼ぶ。
 湧き水のそばに小屋をつくり、テーブルなどを並べている。ちょっとした木立に囲まれ、夏でも

      ↑八十場のトコロテン


【74番・甲山寺】  雨は降りやまない。甲山寺の手水のそばには、アジサイが咲いていて、雨には合う。しかし雨が降ると、傘をさしながらやカッパ姿でロウソクや線香に火をつけるのはやっかいで、早く止んでほしいと願う。境内の松の姿がいい。その前で手早くお参りをすませた。。


      ↑手水のそばのアジサイ


【75番・善通寺】

 初日のお参りの最後は、75番善通寺だった。最後まで雨の中あるの遍路だった。
 この日の宿は善通寺の宿坊で、まず荷物を置いた。寺は本堂の境内と、御影堂(大師堂)のある境内に分かれ、その間に道が通っている。その道に名物「かたぱん」を売っている熊岡商店がある。友人からかたぱん頼まれている人がいた。時刻が遅くなると売り切れるので、お参りの前に買い物をした。かたぱんとは、固いせんべいで、枚数で売ってくれる。ほかにも、えびせんが人気を集めているので、夜食用に買った。
 本堂に入る。雨の夕方なので、参拝客はほとんどいない。そこで、般若心経は中で唱えさせてもらった。御影堂では、私たちの直前まで、寺のお勤めの声が聞こえていた。
 宿坊は温泉。風呂に入ったあと、夕食をとった。サワラみそ焼き、ヒロウス、鶏なんばん、サトイモの煮物、豆腐、温泉卵。茶碗蒸し、そば、白あえのメニューだった。昼食場所で服を買ったメンバーが、さっそく着ていたのがおもしろかった。
 朝は午前5時半から、お勤めに参加した。御影堂の中に入って座る。いすが用意してあり、みんなで並べて座った。「弘法」の額が頭の上にかかっている。樫原禅澄管長ら9人の僧が入ってきた。まず、館長の法話から始まった。「ジャータカ物語」の動物説話を引き合いにし、利他の心を説明した内容だった。障子ごしに鳥の鳴き声が聞こえ、朝の清々しさを実感する。
 お勤めの後は、御影堂の下にある戒壇めぐり。真っ暗の中を、左手を壁に触れながら進んでいく。戒壇を抜けると、そのまま食堂に行き、朝食をすませて出発した。


      ↑かたぱんの店、熊岡商店BR>


      ↑宿坊の夕食で、昼に買った服を着た人もいたBR>


      ↑善通寺の五百羅漢とアジサイBR>


【金毘羅宮】

 夜は雨が続いていたが、朝にはあがってよかった。2日目のちょっと歩きは、金毘羅さんの参拝だった。本殿まで785段の石段を登っていく。朝が早いので、やや肌寒い。しかし、石段のぼりは結構ハードで、歩いているうちに体が熱くなる。ただ、汗をダラダラとかくほどではなく、金毘羅参りには良い加減だった。
 本殿に着く。曇り空だが、境内からの眺めはいい。この日はとりわけ良かった。讃岐冨士の飯野山をくっきり見える。写真に撮っても、きれいに映る。雨で空気中の汚れを落としたのだろうか。


      ↑金毘羅さんの石段


      ↑金毘羅さんからの眺め



【76番・金倉寺】

 2日目の最初のお参りは、76番・金倉寺だった。曇り空から時々、晴れ間が見えるまでに天気は回復していた。バスを境内にある駐車場に停める。それでも、山門まで行き、山門をくぐってもう1度、境内に入ることにした。

 鐘楼は小さいし簡素な造りである。しかも、柱は細めで、きゃしゃに見える。乃木将軍がここに住んでいたころ、東京から妻が訪ねてきたが、女人禁制だと言って会わなかったという話が残っている。それにちなんだ「妻返しの松」が境内にあり、この寺の見ものの1つになっている。
 本堂には大きな数珠が吊り下げてある。それを引っ張ると、数珠玉がカラカラカラカラと落ちてくる。開創1200年の記念行事は5月いっぱいだったが、大師堂には回向柱が残っていた。境内にはランタナが花をつけていた。駐車場の横に、四国八十八カ所のお砂踏みが出来る建物があって、みんなでお砂踏みをしてからバスに乗った。



       ↑大師堂には回向柱が残っていた


【77番・道隆寺】

 77番・道隆寺は、境内にブロンズの小さな観音像が並んでいる。暑くなってきた。この寺はプランターに花を植えて、たくさん並べている。ビオラ、パンジー、アジサイ、ペチュニアと、一般的な花ばかりだが、美しい。本堂の屋根のてっぺんにハトが数羽止まっていて、クククと鳴いていた。
 

      ↑境内には観音像が並んでいる


【昼食】

 昼食は丸亀市の和食の店「魚よし」。メーンは蒸しご飯「鯛のわっぱ飯」。サワラのたたき、タイの湯びき、エビ、カボチャ、ナス、大葉の天ぷらにアサリの吸い物がついている。タイの湯びきに下に、黄色い細いものが敷いてあった。何か分からず、女将に聞くと、答が素晴らしかった。「今は大根がよくないので、カボチャにしました。細く切って、しばらく水につけました」。大根の悪い時期だから、別のものを考えたという心遣いにうれしくなった。


      ↑鯛のわっぱ飯御膳


【東山魁夷せとうち美術館】

 今回の四国の良いとこ見学は、東山魁夷せとうち美術館にした。瀬戸大橋の下にある。県立だが、小さな美術館だ。東山魁夷の祖父が瀬戸大橋の櫃石島の人で、その縁でリトグラフを中心にした作品を香川県に寄贈したのだそうだ。青と緑の独特の色合い森の作品などがある。
 品鑑賞も良いが、もう1つ良かったのは、美術館のカフェからの海と瀬戸大橋の眺めだった。太陽を浴びて、海が青い。前日は雨で大変だったが、それを帳消しにするような風景だっ


      ↑カフェからの眺めがよかった

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   ◆第15回(80番・国分寺〜85番・八栗寺)
    =2015年7月3日〜4日


 今回も雨が影響した。初日の未明は雨。ところが、朝早く家を出る時には雨は上がっていた。毎日新聞社前に集合した時も、雨は降っていない。ただ蒸し暑い。ムクゲやアガパンサスに送られて、雨の不安とともにバスは出発した。今回の参加者は16人。


【昼食】
 川県といえばうどん。昼食は讃岐うどんブームの象徴の店の1つ「山越」(香川県綾川町)にした。セルフサービスの店。基本的には、かけうどん(すうどん)を大・中・小で選び、丼に入れてもらうとともに、自分でトッピングを選ぶ。それで会計をし、後からつゆを自分で注ぎ、空いている席を見つけて座り、薬味を選んで乗せ、食べる。
 この店はもう1つ、「かまたま」発祥の店として知られる。うどんと生卵を混ぜたメニューで、卵かけご飯のうどん版と言っていい。こちらも大・中・小で頼むと、卵とうどんの入った丼をもらい、しょうゆをかけて食べる。
 「かけ」か「かまたま」か、大か中か小か、トッピングは何が好みか、メンバーそれぞれによって違い、添乗員がまとめて支払う方式にした。料金がみんな違うという、ちょっと変わった昼食。これがこの遍路旅のおもしろいところだ。とはいっても、讃岐うどんは安い。1番たくさん食べた人でも、600円か700円だっただろう。
 私自身はかまたまの中に、香川独特の細長い練り物「平天」の赤い色のもの「エビ天」と、イカの天ぷらを選んだ。薬味はショウガ。これで600円ほど。満腹になった。


      ↑かまたまと天ぷら

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      ↑山越うどんを食べるメンバー

BR> 【80番・国分寺】
 今回のお参りは、80番・国分寺から始まった。境内の大きな礎石が、奈良時代の創建当時をしのばせる。その横にミニ88カ所の石仏が並んでいる。石仏には、ヒメヒオウギの花などが供えてある。本堂のお参りをすませ、竜のように見える枯れた木の根を見て、大師堂に向かう。
 大師堂は納経所と一緒になった建物の中にある。入ると、納経所にいた僧が、「お参りの後、2分ほど時間がいただけないか」と聞いてきた。オーケーを出すと、般若心経を唱えているうちに、僧が納経所から出てきた。「人間の血液は3升あると言われています。ところ弘法大師は3升5合あったそうです。だから、南無大師三升五合と唱えるのです」。「南無大師遍照金剛」に引っかけた、しょうもないダジャレから話は始まった。何を話すのかと思ったら、結局は空海ゆかりの大日如来を新たに造るので、寄付金のお願いだった。まあ、話を聞かしてもらったので、私が代表して、1000円のピンバッジを買った。
 参拝の後は、寺の裏側の旧国分寺跡の公園へ。一部、塀と僧坊が復元されている。10分の1のスケールで作られた石の旧国分寺の復元模型も見学した。


      ↑参加者に話をする僧


      ↑ピンバッジ


【神谷神社】

 この遍路のシリーズは「満喫編」と銘打ち、四国霊場に加えて四国の良い所を見てもらうことにしている。今回の「良い所」は、坂出市の国宝・神谷(かんだに)神社だった。
 狭い道を行くので、バスを途中で停め、5分ほど歩いて行った。連絡をとっていたので、宮司が普段着姿で説明してくれた。小さな本殿だが、檜皮葺きの流れ造り屋根が美しい。
 宮司によると、建物の軒下から「建保七年(1219年)」の年号を書いたものが見つかっていている。建造年がはっきりしている神社で現存のものでは最も古いそうだ。世界遺産になった京都府宇治市の宇治上神社は世界遺産だが、建物の形式から建造年代を推定し、神谷神社よりも古いかもしれない、となっているらしい。
 宮司は「観光の神社ではないので、あまり参拝客は多くない」と話し、気さくに説明を続けた。「当時の建物としては、傑作ができたのだと思う。後の柱は荒削りに朱が塗ってあった。後側は屋根が伸びてないので、雨があたる。荒削りの方が痛まない。傑作を長持ちさせるための工夫だったのではないか。前の柱は細い。垂木は曲線のものを使っているが、これは珍しい」
 「氏子は150人しかいない。屋根の葺き替えは平成12年にやっていて、次は32年の予定。うちのように何も事業をしていない神社の場合、国が8割を出し、残りを県、市、地元が出す」。そんな雑談も交えても説明だった。


      ↑宮司の説明を受ける


【81番・白峯寺】

 五色台に登る遍路道は急で、ここも「遍路ころがし」の異名がある。私たちはバスで白峯寺に行った。寺までの参道は、アジサイの道で、ちょうど良い時期だった。
 境内もアジサイが満開だった。手水の周り、本堂へ向かう石段、鐘楼のそばもそうだった。石段ではなく、本堂や大師堂に登る別の道が特にアジサイの道だったが、時間の関係でその道は通らず。上から眺めるだけにした。
 その代わり、崇徳上皇の廟の遥拝所に寄った。「松山や浪に流れてこし船のやがて空しくなりにけるかも」の上皇の歌に、西行が「よしや君昔の玉の床とてもかからん後の何にかはせん」と贈ったことが説明してある。


      ↑アジサイと鐘楼



【82番・根香寺】

 白峯寺からは根香寺までの途中の足尾大明神まで、遍路道を歩いた。今回のちょっと歩きのハイライトだった。瀬戸内海公園の一部なので、行政などによってよく維持・整備されている。遍路道では20番・鶴林寺と21番太龍寺の周辺とともに、史跡に指定されている。
 山の中の良い道。雨がやんでよかった、と思った。歩くと心地良い。そう思ったのだが、坂道になると、夜のうちの雨のため、泥んこの道になっていた。これは歩きにくいし、滑って転びそうになる。歩く距離は3キロほどだったが、慎重に歩き、途中で休みをとり、おおむね3カ所の登りを行き、2時間近くかけて足尾大明神にたどり着いた。遍路道には、宝塚北高校の文字があるみちしるべが取り付けてあった。
 足尾大明神は足の神様だから、ちゃんとお参りをしたかったのだが、時刻は午後4時40分になっている。納経は午後5時までなので、すぐにバスに乗って、根香寺に急いだ。
 本堂の参拝は午後5時の寸前だった。ロウソク、線香はやめ、般若心経を唱えるだけにした。大師堂も同様。堂のそばには、キキョウとハギが咲いていた。
 参拝をすませ、バスに戻る。駐車場との間には、ちょっとした谷がある。そこは緑に木に包まれている。納経所の人と一緒に、石段を下り、また登りながら話をする。「紅葉の時期は、写真を撮る人でいっぱいですよ」。秋の紅葉の時期に行ったこともあるが、この時期の青紅葉も十分に美しい。


      ↑根香寺への遍路道


      ↑宝塚北高校のみちしるべ


      ↑青紅葉の谷


【宿】

 宿は高松市の「花樹海」にした。松ではいい旅館。この遍路旅では四国で泊まる最後の夜になるので、ちょっとランクアップした。小高い場所にあり、窓からの眺めがいい。あいにく、今にも降りそうな曇り空なので、海の色が鈍く、残念だった。
 温泉に入って、夕食の広間へ。ガラス張りの部屋で、食べている最中に弱い赤紫の空の色になり、あわててカメラに収めた。
 夕食は、鯛の塩釜焼きという余興を兼ねたメーン料理が用意されていた。すでに焼きあがっていて、仲間のうちの2人が、木づちでたたいて塩釜を割る。固くてなかなか割れないこともあって、みんなが入れ替わり木づちを振り下ろした。客を喜ばすテクニックを心得ている。鯛は切り分けて、みんなの席に配られた。
 鯛のほか、豚の鍋、ゴマ豆腐、蒸し鶏のサラダ、鯛や甘エビ、イカの刺し身、ママカリの甘酢、エビと野菜の天ぷら、讃岐うどんなどだった。
 宿には、日本むかし話の絵を描いた池原昭治さんの絵がたくさん飾ってあった。香川県の人で、私が松から大阪に異動になった際、知り合いの画廊の女性から餞別に小品を1つもらったことがある。「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会の総会を善通寺で開いた時には、池原さんの兄弟が作品を並べて販売した。何かと縁がある。
 翌朝、付近を散歩した。西方寺という寺があり、参道に石仏が並んでいた。法然上人二十五霊場のミニ版で、安政六年の年号が彫られた石仏もあった。


      ↑塩釜を割る


      ↑みんなに配られた塩釜焼きの鯛


      ↑赤紫の空


      ↑西方寺参道の石仏


【83番・一宮寺】  2日目の最初の参拝は一宮寺だった。駐車場の前に剣道場があり、子どもたちの掛け声が聞こえる。境内に入ると、ついに雨がポツポツと落ちてきた。
 狭い境内だが、よく手入れされている。石庭のような一角があり、ここもきれいにしてある。地獄の釜の音が聞こえるというほこらがあり、みんなが交代で頭を突っ込み、音を聞いた。「ウォーン」という音がしていた。


      ↑地獄の釜の音を聞く


【田村神社】

 一宮寺は田村神社の隣にある。つまり、神社を守る神宮寺としての位置づけだった。田村神社は讃岐の一宮で、だから一宮寺なのである。
 一宮寺のすぐ隣なので、田村神社にも参拝した。赤い鳥居の列がある。金色の布袋さんがある。神様のデパートのようなところで、それはそれで面白い。社務所の前ではヒョウタンを育てていた。茅の輪くぐりの大きな輪も設けてあった。


      ↑赤い鳥居の列


      ↑ひょうたんを栽培していた


【栗林公園】

 2日目の観光は、高松市の栗林公園で、「ちょっと歩き」も兼ねた。松藩の別邸で、ぜいたくな造りになっている。盆栽仕立ての松が並んでいる。1300本もある。ガイドの説明では、14人の庭師が1本に3日かけて世話しているという。茶室、掬月亭のそばにあるソテツは、島津藩から送られたことも教えてもらった。
 池ではハスが咲き始めていた。茎が長く伸び、下は大きな葉が水面を覆っている。花は大きく、緑の中に浮いているように見える。


      ↑ハスが咲き始めていた


【昼食】

 栗林公園から歩いて昼食場所の店「活」へ。松のメーンの商店街を歩いていく。活は松で仕事をしている時、よく世話になった店だ。実は前日の昼食場所だった山越は、活の大将に初めて連れていってもらった因縁がある。ランチはハマチ、鯛、タコの刺し身、ハモの湯びき、エビ

       ↑活の昼食


【84番・屋島寺】

 屋島寺にもアジサイが咲いていた。挿し木で増やしているようで、高さがわずか10センチほどなのに、赤い花をつけている株もあった。大師堂には、赤と白の紙を使った小さな千羽鶴が奉納されていた。病気平癒と書いてある。病気回復のお礼参りに違いない。
 

      ↑赤と白の千羽鶴


【85番・八栗寺】

 八栗寺へはケーブルカーで登った。上の駅の周辺はアジサイの参道になっていた。とうとう雨が強くなってきた。傘が必要になる。
 下りは歩きで、傘をさしながらの遍路となった。ここの楽しみは、途中で売っている草餅。よくしゃべる女将がいて、「今朝摘んできたヨモギで作った」と言いながら、あんを餅に包んでくれた。


      ↑八栗寺は雨の中の参拝だった


      ↑草餅は寅さんも食べたという


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   ◆第16回(86番・志度寺〜88番・大窪寺、高野山)
    =2015年9月11日〜12日


 今回は「ちょっと歩き四国遍路―開創1200年満喫編」の最終回だった。8月は暑いので休み、参加メンバーとは2カ月ぶりの再会となった。
 ゆったりと四国を回り、参拝だけではなく、四国の良いところにも立ち寄るのが、今回の「満喫編」シリーズの特徴だ。だから結願までには、月に1回の1泊2日の行程で16回も要した。そのうち、暑い夏と冬は休んだので、1年6カ月かかってしまった。
 最終回の参加者は13人とこじんまりしたグループになった。年齢の高い人が多いせいか、この夏の暑さが影響したのか、出発を控えた時期に3人がキャンセルしてしたので、さらに人数は減った。


【吉野川ハイウェイオアシス】
 暑い夏が終わり、心地良い秋晴れの下の遍路だった。しかし、2日前に台風18号が愛知県に上陸して日本海に抜けていた。予想はもう少し遅いはずだったが、スピードをあげたために、私たちの遍路には影響はなかった。しかし、台風が熱帯性低気圧に変わったあとで、降水帯が関東地方にかかり、鬼怒川がはんらんして大変な被害が出ていた。
 淡路ハイウェイオアシスで休憩をとった。いつものように、建物の裏の「花の谷」に出てみる。メキシカンセージが花盛りで、バックに噴水が見えて、すがすがしい庭になっていた。


      ↑花の谷のメキシカンセージ


【昼食】
 淡路島から四国に渡り、高松道を走る。自動車道の上から見下ろすと、稲が大分黄色に変わっている。ポツポツとヒガンバナの赤が見える。
 昼食は三木インターのすぐ近くにある和楽。友人に教えてもらってから行程に組み込むようになり、今回で4回目か5回目になる。
 メーンは黒米で作った麵。冷たいのと暖かいのと、どちらかが選べる。秋とはいっても、夏の暑さの名残があるので、私は冷たい方を食べた。ほかに、ミョウガの田舎ずしがついている。おかずは色々なものが少しずつ出る。天ぷらはエビ、ピーマン、ミョウガ、ナス、エリンギ。もう2皿あって、1つはサワラをあぶった刺し身。もう1つは煮ものなどで、おからの卵巻き、ナスの田楽、ニンジン、高野豆腐、コンニャク、空芯菜の和えもの、ワカメの酢の物。それに茶碗蒸しもついていた。満腹になった。
 


      ↑輪楽の料理。このほかに黒米の麺


【86番・志度寺】

 天気が良いので、気温が上がってきた。志度寺の駐車場のバスを止める。山門に回り、その途中にある平賀源内の墓に参った。墓の横に簡単な木の案内板が立っていて、「源内さんお墓」と書いてあった。


      ↑平賀源内の墓

 志度寺の境内に入る。五重塔を見上げると、その前にイチョウの木があって、葉が黄色を帯びてきている。黄色、塔の朱色、青空。秋の良い日の寺だ。本堂、大師堂にお参りをする。蚊がたくさん寄ってきて、私も参加者もかまれ、般若心経に集中できなかったのが残念だった。


      ↑志度寺の五重塔

 境内にある「海女の墓」を見に行った。藤原不比等にまつわる逸話に基づく。おばあちゃんが手を合わせていた。私たちが行くと、参拝することを喜んでくれ、「弘法大師より200年も古い」「お墓が文化財になるのは珍しい」など、本人なりの説明をしてくれた。別れ際に88歳だと教えてくれ、88カ所にちなむので、みんなで「お元気で」と声をかけて、バスに向かった。


      ↑海女の墓の前で出会った88歳の女性


【87番・長尾寺】

 長尾寺の参拝の時も、青空が広がっていた。お参りの後、境内の静御前の剃髪塚を見学する。静はこの地区の出身で、義経が亡くなった後、ふるさとに戻り、長尾寺で髪を落としたのだという。塚のそばに、静御前の絵のボードがあり、顔がくり抜いてある。メンバーの女性が静御前になり、記念写真を撮っていた。


      ↑晴天の長尾寺


      ↑静御前の剃髪塚



【おへんろ交流サロン】

 最後の大窪寺に参る前に、女体山越えの遍路道の手前、前山ダムのそばにあるあるおへんろ交流サロンに寄った。ここは歩いて回ったと申請した人に、遍路大使の“任命書”を渡している。昨年の人数を聞くと、3000人を超えていた。昨年は四国八十八ヶ所開創1200年の年だったので、多かったのだという。一昨年は2000人台だった。一時期4000人という時期があったが、歩き遍路は減っているのだろうか。
 メンバーの1人が、ここに古い四国霊場の地図を寄贈したという。祖父が持っていたものが見つかり、資料として贈ったそうだ。展示品の中にそれを見つけ、喜んでいた。地図には「昭和17年3月」の文字があった。この年号を見て、「同じ地図のように思うが、送った時には年月の記憶がない」と語り、少し疑問が出てきたが、地図と一緒に写真に収まった。


      ↑地図と参加者


【88番・大窪寺】

 「ちょっと歩き」の遍路旅だから、毎回の歩く距離は長くはない。大窪寺へのしんどい女体山越えはパスした。それでも最後は歩いて結願することにし、寺の2キロ手前から自動車の走る道からそれて、のんびりとした田舎道を歩いた。刈り取りのすんだ田を見たり、栗の実、ワレモコウ、ニラの花、秋海棠を見たり、秋を感じながら歩いて結願寺に入った。


      ↑歩いて大窪寺へ


      ↑遍路道沿いの田はすでに刈り取った所もあった

 好天の下で結願。奉納された杖を見ながら、82歳の女性のメンバーが話し始めた。「ほとんど専業主婦の生活だったので、あまり出かけたことがなかった。友人に誘われてこの遍路に来たが、最初は最後まで行ける自信がなかった。階段など、休み休みしか登れなかった。しかし、今では階段や山道も大丈夫になった。これもお遍路のおかげ。誘ってくれた友人と、この旅で一緒だった仲間のおかげ」。その女性は別格3番慈眼寺の穴禅定に行く山道はダウン寸前だったが、次第に歩く自信ができたようだった。


      ↑結願の寺、大窪寺


【宿】  宿は淡路島の休暇村南淡路。翌日は高野山にお礼参りなので、少しでも近づいておくためだ。
 人気の宿で、この日もほぼ満室だという。夕食はバイキングで、込み合うといけないので、午後5時半からと7時半からとの2部制になっていた。私たちのグループは早い方にしたが、一風呂浴びてから夕食にすることにし、そのためスタートは午後5時50分からにしてもらった。淡路島らしく、タマネギ焼酎、タマネギジュースもあった。


      ↑タマネギジュースもあった
 
 夕食の後のお楽しみは、天体望遠鏡を使った星の観測と、星の話だった。昼間の好天が夜まで続き、星を煎るには恵まれていた。望遠鏡で土星を見て、肉眼での観察では、ベガ、デネブ、アルタイルという夏の大三角形などの説明を受けた。
 宿では、大変得をした。兵庫県のキャンペーン「温泉地おみやげ購入券」の期間中にあたり、この宿も温泉だったので、何と1人あたり2000円の商品券をもらえたからだ。
 さっそく、宿の売店で使った。まず最初に買ったのは、淡路島のブランド・タマネギ「甘玉」だった。直径が10センチもある。値段は1つ300円近くし、かなりの高級品といえる。それ以外、イチジクのお菓子、ご当地カレーなど、2000円分をお土産にした。


      ↑2000分の商品券がもらえた


【昼食】

 2日目はひたすら高野山を目指す。淡路サービスエリアで休憩し、阪神高速湾岸線を走り、大阪市からは南下して泉大津サービスエリアの展望台で休憩。泉南市で高速を下り、和歌山県に入って道の駅「根来さくらの里」でも休憩した。
 昼食は岩出市の結婚式場のレストラン「ピエ・モンターニュ」。まずチーズを包んだプチ・シュークリーム。続いてカニの前菜。スープはキノコをつかったポタージュで、パイでふたをしてあった。メーンはサーモンと貝柱のポアレ。添えてあったカブの味が良かった。


      ↑ピエ・モンターニュのメーン料理


【高野山】

 高野山は人が多かった。外国人も目立つ。それなのに、奥の院の弘法大師の廟の前は、それほど混雑していなかったのが不思議だった。ここで般若心経を3回唱えてお礼参りとし、このシリーズの遍路をしめくくった。


      ↑奥の院の杉並木
 金剛峯寺、檀上伽藍を散策した。六角経堂では、みんなで1つずつ取っ手を持って、堂の下の部分を、まに車のように回した。帰りは京奈和自動車道を走り、奈良から南阪奈道で大阪に入った。


       ↑檀上伽藍の建物

◆終わり◆