「ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち」の先達メモ(1)▽第1回▽第2回▽第3回

  

              梶川伸・毎日新聞旅行「ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち」先達(「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会副会長)

              

   ◆◇ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち編(1)◇◆
(毎日新聞旅行「ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち」の先達メモ)


 毎日新聞旅行の遍路旅「ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち」の先達を務めている。毎日新聞旅行の遍路旅の案内人としては8シリーズ目となる。
 2016年はうるう年にあたる。うるう年の遍路は逆打ちがいいとされる。このため、今回のシリーズは逆打ちとした。ただし、月に1回の1泊2日の遍路で、計16回だから、今年中には終わらないが。  遍路道を少し歩くのは、過去の「ちょっと歩き」シリーズと同様。また、四国という土地、その空気を感じてもらうことを願って、参拝以外のことも加えた。
 遍路旅は毎回、午前8時に毎日新聞大阪本社をバスで出発する。霊場を参拝し、歩き、地元の食べ物を味わい、遍路道周辺の四国らしい場所にも寄ってみる。大阪・梅田への帰着は2日目の午後7時から8時となる。


   ◆第1回(88番・大窪寺〜81番・白峯寺)
     =2016年1月8日〜9日


 毎日新旅行の新しい遍路旅シリーズ「ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち」が始まった。私が行程を考えたので、先達としてみなさんを案内にした。毎日新聞旅行の先達としては8回目となる。
 今回はうるう年なので、逆打ちにした。基本は1泊2日のバスツアーだが、昔から続き、今でも残っている良い遍路道を中心に歩く。霊場の巡拝だけでなく、せっかく四国に行くのだから、四国の良さを知ってもらうために寄り道もする。昼ご飯もなるべく地元料理を選ぶ。しかもシリーズのタイトル通り、せかせか回らず、のんびりと余裕をもって回る。宿もできるだけ温泉に泊まる。そんな遍路の旅である。
 今回の参加者は11人と少なかった。年明け早々だったのが影響したのだろう。しかし、参加者にとっては、正月ムードの中の遍路で、それは印象に残ったかもしれない。
 暖かい年明けだった。しかし、天気予報ではこの日から寒くなる。そこで、荷物の中に、ダウンやベストや手袋、ネックウォーマーも入れていた。確かに、前日ほどの暖かさはなかったが、寒い過ぎるというわけでもなく、天気が良かったので恵まれた遍路日和だったと言える。


【88番・大窪寺】

 大阪・梅田の毎日新聞社前を午前8時前に、バスでスタートをした。淡路島を通っていく。これまでのシリーズでも、何度となく通った道だ。通常は淡路島に入ってすぐ、淡路島ハイウェイオアシスで1回目の休憩をとる。
 しかし、できれば早めに大窪寺に着きたい。遍路用品を買い求める人がいて、その時間を計算に入れなければいけないし、時間がかかりすぎえると、昼ご飯が遅くなる。だから寺までの休憩を1回にし、その場所は淡路南サービスエリアにした。ここもオアシスと同じように、タマネギスープを売っていて、試飲もさせてくれる。久し振りの四国行きということもあって、当然のように試飲をした。
 引田インターを下りて、大窪寺を目指す。参加者の中に、子どものころにそのルートの近くに住んでいたという人がいて、車窓から眺めていたが、風景がすっかり変わってしまって、どの辺に住んでいたか分からないと話した。
 大窪寺に着いたのは午前11時前。逆打ちのスタート地点になるので、遍路ツアーのバスも多いかと思ったが、案外早かったので、到着時点ではバスは私たちだけだった。
 標高は400メートルほどあるので、空気は冷たい。しかも風が結構強い。天気は良いのだか寒く感じる。本堂の前には、おみくじを結ぶものが設けてある。おみくじは正月だからか、金色の紙も使っているので、たくさんの金の色がきらびやかに見えた。
 大師堂の横には、顔をはめ込んで写真を撮る「顔はめ」が設置してあった。絵はえとのサルの遍路姿だった。これも正月の雰囲気を見せる。
 お参りをすませ、土産物屋さんでくず湯やおたふく甘納豆のお接待を受けていると、団体ツアーのバスが立て続けに到着した。


      ↑金色が目立つおみくじ


      ↑サルの遍路の顔はめ


      ↑ツバキが花を散らしていた



【昼食】

 昼食はさぬき市志度町の海辺の「かき焼きわたなべ」。その名の通り、カキを自分で焼いて食べるスタイルの店。しかし、それでは時間がかかりすぎるので、ランチのセットにした。焼きガキ2個、カキフライ5個、カキの煮物、カキご飯、カキのみそ汁のカキづくし。カキご飯とカキにみそ汁が気に入った・ともかく量が多く、次の日まで腹にこたえる始末。
 天気が良くなり、海が青い。ノリの養殖場が、海に絣模様をつけている。屋島がくっきりと見える
 店のそばに平賀源内の生家跡があり、古い町並みも残っているので、あたりを散策した。古いしょう油屋があって、小瓶を土産に買った。そのしょう油屋が設置した巨大な石灯籠があった。石鎚山の石で造ったと説明にあった。には大好評だった。


      ↑カキづくしの昼ご飯


      ↑平賀源内の生家跡



【87番・長尾寺】

 私たちが昼ご飯と散策で時間を取っていたためか、長尾寺では他のバスツアーの団体をかち合った。同時に境内に3団体。混み合った中での参拝となった。しかも、パラパと冷たい小雨が当たる。
 この寺では、静御前が剃髪をして得度した。その碑があり、その横に静御前の顔はめがあった。境内の売店も「静」という名で、名物の甘納豆おはぎを買った。1個90円というリーゾナブルな値段がうれしい。


      ↑静御前の顔はめ



<【86番・志度寺】

 逆打ちを律儀に守って、昼食場所近くまで戻り、志度寺に参拝。山門の前の小さな寺にある平賀源内の墓にもお参りした。
 境内には、椿の木が10本近くある。枝のところどころに、小さな赤いは花、白い花をつけていて、つつましく寺を演出していた。
 志度寺でも、他の2団体が先着していたので、時間待ちのために先に庭を拝観(無料)した。大きな石を配した庭と、白い細かい石を敷き詰めた庭の2つがある。
 境内は花がたくさんあり、寒咲きアヤメも花をつけていた。本堂に向かうと、参拝をすませた団体とすれ違った。その中の1人が「梶川さん」と声をかけてきた。その人は毎日新聞時代の同僚だった。日帰りの遍路ツアーに参加したという。偶然に驚いた。
 この寺は藤原不比等にまつわる海女の伝説がある。その海女の墓とされている場所に行くと、おばあちゃんが手を握ってきた。この墓を守っているようなおばあちゃんで、前回の遍路の時にしばらく話をした。それを覚えていたのかどうか、「元気にしてたか」などと聞き、なかなか手を放してもらえなかった。これも偶然の出会いだった。


      ↑大きな石を配置した庭


      ↑白い石庭


      ↑寒咲きアヤメ



【85番・八栗寺】

 八栗寺へはケーブルカーで登った。上の駅から歩いていくと、本堂の近くには、まだ門松が飾ってあった。また、雨がパラパラ落ちてきた。ただ、傘をさすほどではないのがありがたい。
 帰りは歩いた。山門を出たところにお迎え大師がある。順打ちなら「お迎え」になるのだが、私たちは逆打ちなので、「見送り大師」ということになる。夕暮れが近づき、少し焼けてきた空を背景にした逆光の大師に送られて山を下りた。ケーブルカーの下の駅の手前で、名物の草餅を買って、みんなで1つずつ食べた。これで、さらにお腹が膨れてしまった。


      ↑飾れた門松


      ↑夕焼けを背にしたお迎え大師


【宿】

 宿は庵治観光ホテル・海のやどり。海のしばの温泉で、露天風呂とサウナもついていた。露天風呂はさすがに寒かった。
 夕食は量が多かった。刺し身はハマチ、タイ、イカ、エビ。うどんが鍋になっていて、もう1つ海鮮鍋(ブリ、エビ、ホタテ、カボチャ、ニンジン、シシトウ、タマネギ、大根)もついていた。前菜にゴボウ、エビ、栗、ヤマモモ。さらに天ぷら、しょうゆ豆など。残してしまった。 
 朝は海辺を散歩した。朝日は山の向こう側で見えなかったが、係留されている漁船が何隻もあって、小さな漁港の朝の雰囲気の中にしばらく身を置いた。


      ↑夕ご飯


      ↑朝の庵治の海


【84番・屋島寺】

 朝1番で屋島寺へ。駐車場にバスをとめ、境内に入る。天気は良いが、ひんやりとしている。境内にはサザンカ、ツバキが咲いている。
 やはり正規の山門から入ってお参りすることにし、山門へ歩いていくと、遍路道を走って登ってきた地元のグループに会った。登りはきつい場所もあるのに、ランニングとは。
 ちょっと歩いて、壇ノ浦の古戦場を見下ろす場所まで行った。天気が良いので、小豆島もはっきり見える。途中にも、サザンカの生垣があり、またそれを見ながら駐車場に戻った。


      ↑壇ノ浦の古戦場


【82番・一宮寺】

 小さな寺だが、境内の手入れが行き届いている。山門には門松が飾られ、本堂は五色の幕が張られていた。石庭も設けてある。薬師如来の小さな堂は、顔を突っ込むと、地獄の釜の音がする、と言われ、順番に音を聞いた。風の音ではあるが。


      ↑本堂には五色の幕が


【田村神社】

 一宮寺は讃岐の一宮、田村神社の神宮寺だった。すぐ隣が田村神社なので、初もうでのつもりで参拝した。日曜日でもあり、初もうで客でにぎわっていた。本殿の横には、大きなサルの絵馬があり、正月の余韻が残っていた。


      ↑サルの大きな絵馬


【栗林公園】
 今回の観光の1つは、高松市の栗林公園だった。江戸時代に高松藩の藩主・松平が100年かけて作った庭園。盆栽の技術を使った松の並木、紫雲山から流れ落ちる人工の滝、美しい掬月亭などを足早に見て回った。
 実は行程表を私が作ったが、1時間ほど間違えていることがわかり、その分を取り戻さないと、1番最後の訪問地が時間切れになる恐れがある。そのために少しでも見学時間を縮めようとした。


      ↑栗林公園の松と掬月亭


【昼食】

 1996年から7年にかけて、高松市で勤務した。えそのころによく世話になった料理屋「活」が、昼食の場所だった。残念ながら世話になった大将は腰痛で入院中だといい、会うことはできなかった。しかし、息子さんがいい年になっていて、後を引き継いでいた。
 和食のメニューで、いろいろなものが少しずつ用意してあった。刺し身はタイ、イカ、ハマチ。天ぷらはエビ、大葉、ナス、カボチャ。煮物はイイダコ、サトイモ、生ふ、ナス、それに郷土料理のマンバのけんちゃん。



      ↑活のランチ


【72番・根香寺】

 バスで五色台を登っていく。天気が良いので海の色が美しい。駐車場から山門をくぐり、いったん石段を下ってからまた上っていく。根香寺も正月の飾りつけで、本堂の入り口には五色の幕が張ってあった。


      ↑本堂の入り口に張られた幕


【81番・白峯寺】
 今回の最後のお参りは白峯寺だった。この日は他の団体バスとかち合っていなかったが、ここでは1つの団体がすでに本堂でお参りをしており、私たちは大師堂から参拝し、あとで本堂に回った。


      ↑白峯寺



<【黒岩水仙郷】

 帰りは淡路島の黒岩水仙郷に寄った。ここの門限は午後5時。同じころに日没がくる。門限と日没に間に合うか。ヒヤヒヤの連続だったが、バスの運転手さんが頑張ってくれて、午後5時半に到着した。
 急な斜面に500万本のスイセンが自生している。咲き具合は3分から5分。「今年は花の月が良くない。つぼみが見えないでしょう」と残念がっていた。


      ↑水仙郷は夕暮れが迫っていた


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   ◆第2回(80番・国分寺〜76番・金倉寺)
     =2016年2月5日〜6日


  毎日新旅行の遍路旅シリーズ「ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち」の第2回で、参加者は11人の少所帯だった。初日は青天、2日目は雲が多めで、時折陽が差す日だった。寒い2日間ではあったが、極端に寒い日の後だったので、ホッとした気持ちもあった。


【ジョージ・ナカシマ記念館】

 お参りだけでなく、四国の良い所も訪ねるのが、この遍路旅のコンセプトになっている。今回の私のお勧めは、高松市の郊外にあるジョージ・ナカシマ記念館だった。ナカシマは日系二世のアメリカ人。森林学、建築学を学んだ建築家だが、のちに家具の専門家になった。香川を拠点にした流政之と親交があり、香川にも来た。そこで家具づくりの桜製作所を知り、製作を任せる。桜製作所はナカシマの死後もデザインを引き継ぎ、同時にナカシマの記念館を設けた。
 記念館の人が丁寧に案内してくれた。2本脚ながら安定しているいすを示し、「建築家として構造学を学んでいた結果だ」と説明した。席についた時に足がじゃまにならないように作られたテーブルを紹介し、「使いやすさとデザインの融合が特徴だ」とも話していた。また、自然が作った木の形を大事にし、切れ目が入ったままテーブルに仕上げた作品、木目を生かした家具を見せてくれた。
 庭には梅の木が2本。どちらも2分咲きほどだった。


      ↑ジョージ・ナカシマ記念館


      ↑家具の展示室



【昼食】

  昼食は高松港のレストラン「ミケイラ」。パスタと野菜サラダ、コーヒーのセットで、少し量が少なく、男性の参加者にはちょっと申し訳ない気がした。船が出入りするのを見ながらの食事となった。天気が良いので、海の色が青くて美しい。外には海をバックにした石のモニュメントや噴水もあり、しゃれた雰囲気を作り出していた。


      ↑ミケイラのランチ


      ↑海を背景にしたモニュメント


      ↑噴水



【70番・国分寺】

 今回の最初のお参りは、70番・国分寺だった。ここは山門から本堂までの参道が風情が良い。奈良時代の大きな礎石が並び、大きな松の木が覆う。塀ぎわには四国88カ所の本尊の石仏が設置され、ミニ霊場がつくられている。
 遍路バスが1台、先着していた。逆打ちをしているのだろう。少し時間差があったので、読経がかち合うことはなかった。大師は納経所が入っている建物の中に安置されている。建物の中での読経はエコーがかかったようで、心地よい。唱え終わると、一瞬の静寂。これもまたいい。建物の中に、小銭の両替機があるのがおもしろい。


      ↑松と石仏



【神谷神社】

 昼食の後は、神谷(かんだに)神社へ。ここもお勧めの場所。小さな神社で、あまり知られていないが、本殿は国宝に指定されている。建保7(1219)年と墨書された棟札が見つかり、建設された年が確定した。建設年がわかっている神社造りの建物としては最古で、それが国宝となっているゆえんだ。
 宮司がわざわざ案内をしてくれた。普段着姿で小さな可愛い犬を連れていたのも、地方の神社らしくていい。三間流れ造りで、今は色を失って木の茶色が見えているが、もとは朱塗りだったという。屋根は檜皮葺き。宮司は当時の建築の傑作だと誇らしげに語る。建物は石積みの上に建ててある。乱組みだが、その方が強いのだとか。垂木は二重になっていて、みんな少し弓なりになっていることを、手のこんだ傑作の例として挙げる。その一方で。裏の柱は粗削りのまま。「見えないところは手を抜いたのかもしれない」と笑った。
 本殿の説明の後、宝蔵もわざわざ開けて見せてくれた。重文の随身立像の阿吽の2体がある。特に、阿像は木目が美しい。ケヤキの一木彫りで、顔の彫りは深い。エルミタージュ美術館、アメリカ、ベルギーの展覧会で出品されたことがあるという。今回の遍路旅はナカシマの作品といい、この立像といい、木目にまつわるもの良いものを見せてもらった。


      ↑神谷神社では犬を抱いた宮司が丁寧に説明してくれた



【79番・天皇寺】

 いつものように、JR八十場(やそば)駅のそばの駐車場にバスを止め、そこから天皇寺まで歩いて行った。平治の乱で敗れた崇徳上皇がこの地に流され、行宮となったという。白峯宮と寺が一緒になっていて、山門は鳥居。それも両側に小さな鳥居がついた形をしている。
 境内は狭い。先着の団体がいて、こちらのグループと少し重なった。本堂と大師堂はすぐ横。スペースが狭いので、通常は同じような場所で、まず本堂に向かって般若心経をあげ、向きを変えて大師堂に向かってまた唱える。2団体で混み合ったので、先着組が本堂への心経を唱え終わるまで、少し待った。今度はこちらが唱えるのだが、先着組は場所を譲ってくれ、10メートルほど離れた場所に下がって、大師堂への心経を唱えてくれた。その心遣いに感謝した。
 寺に隣接する白峯宮の本殿前には、小さな紅白の梅が花をつけていた。こちらは4分から5分咲き。その花を手前にいれて、天皇寺の本堂の写真を撮った。


      ↑梅の花と天皇寺


【78番・郷照寺】

 郷照寺に着いたのは夕方に近く、かなり冷えてきた。本堂は少し高い場所にあり、見晴らしはいいのだが、風が通ってさらに寒く感じる。本堂の前の天井の格子絵を眺める。大師堂への階段には、「厄除け大師」の赤いのぼりが立っていた。帰りは庭園を経由して行く。濃いピンクの梅があでやかに咲いていた。


      ↑郷照寺の庭の梅



【宇多津の町並み】

 この日のちっと歩きは、宇多津の散策だった。郷照寺から下りてきて、大きな閻魔大王を安置した浄泉寺がスタート地点。それから宇多津駅の方向に歩く。古い家もところどころにあって、昔の面影を伝える。その中に、5円玉で人物や城を作って見せている家がある。城などは高さが70〜80センチほどあり、大変な数の5円玉を使っているに違いない。
 石段を登って宇夫階(うぶしな)神社にも参拝した。大きな神社だった。境内の一角に白い土蔵があり、正面に入り口が2つ設けてあり、面白いと思った。桜の木が1本。ピンクの花が3分咲きになっていた。寒さが増してきたので、駅までは行かず、バスに合流した。


      ↑5円玉の衣を着た人形


      ↑宇夫階神社


【宿】

 宿は琴平温泉のホテル八千代。以前、遍路仲間でバスを仕立て、旅行会社を通さずに88カ所を回ったことがある。その際、このホテルに申し込んだ。すると、女将が「お遍路さんですか」と聞いた。「そうです」と答えると、「それなら」と格安の料金にしてくれた。その時の思い出を女将に話すと、「お金持ちよりも、お遍路さんは大事にしないさい。何度も回る人が多いので、また泊まっていただけれる」というのが、先代からの教えだと明かしてくれた。
 夕食は、サーモンとスズキの刺し身、魚の南蛮漬け、うどん鍋、魚のすり身などを使ったがんもどき風のものに大根おろしに手を加えたあんをかけた料理、茶碗蒸し、炊き込みご飯だった。
 風呂は内湯と露天風呂。露天は屋上に設けられ、宿に入ってすぐに行ってみた。風が通るので極めて寒い。湯船から出るに出られないほどだった。それでも、夕食の後、勇気を出して2度目の入浴。オリオン座が寒さの中で輝いていた。
 旅の参加者に聞いてみると、部屋の掃除が行き届いていなかった、という。先代からのモットーが薄れてきているのだろうか。

      ↑夕食


【金毘羅宮】

 2日目は宿を出ると、まずちょっと歩き。最初に金毘羅宮の下の鞘橋へ。この橋は、金毘羅宮の例祭の時にしか使わない。それは年に3回だけ、神様が渡る橋となっている。
 宮への石段を上る。メンバーの年齢が高いので、ゆっくりと休みながら785段を登った。本殿に参拝して、景色をながめ、みんなで記念撮影。お守りやお札などを売っている場所に並んだ若い巫女さんが、先輩の巫女さんに髪を結んでもらっていて、とても可愛い光景だった。
 帰りは途中から石段をそれ、山道を通った。葉を落とした木々の間を下りて行った。下り切ると、商店街を通って琴平電鉄琴平駅へ。その横にある江戸時代の高灯篭を見学した。高さ27メートル。船の航行を助けるため、この地に人たちが何年もかけて作ったものだ。
 見学の後のお楽しみは食べ物。浪花堂餅店で五色餅を買い、平岡精肉店ではコロッケを頼み、5分ほど待って、アツアツを食べながらバスに戻った。


      ↑鞘橋


      ↑金毘羅宮の本殿


      ↑高灯篭


【満濃池】
 日本最大の池、満濃池を訪ねた。これも遍路から外れた見学地。しかし、空海が改修作業をしたという関係もある。この日は曇で、池を渡る風が冷たい。水面を眺めたあと、堤防を下り、池の水を受ける川沿いの遊歩道を歩き、ここでもちょっと歩き。


      ↑満濃池


【昼食】

 2日目の昼食は、満濃池に近いうどん屋「小縣家」のしょうゆうどんを選んだ。店の名物メニューで、ほとんどの客が食べる。
 注文すると、大根とおろし金が運ばれてくる。うどんが出来上がるまで、客はひたすら大根おろしを作る。うどんは丼に入った冷たいタイプで、大根おろしと、しょうゆ、スダチをかけて食べる。テーブルの上には、刻みネギ、ショウガ、ゴマなどの薬味が用意してある。
 うどんだけでは物足りないので、好きなおでんを3本ずつ取ることにしていた。ただし、そこまでは食べられない人もいた。



      ↑うどんが来るまで、大根をすりおろす


【77番・道隆寺】

 食後はバスに乗って道隆寺へ。道に沿った田の麦が、もう10センチほどに伸びている。寺の本堂の周りにはたくさんハトがいた。般若心経を唱えていると、集団で飛び立っていき、気を取られてしまう。やっと太陽が出てきて、寒いながらも背中はポカポカした。


      ↑ハトがたくさん遊んでいた


【76番・金倉寺】
 今回の打ち止めは金倉寺だった。境内の駐車場のバスを止めたが、1度山門を出て入り直し。境内には大きなクスノキがあって、参拝者がカメラに収めていた。私も見習って写真撮影。
 本堂へ行くと、すぐ後に別の団体がきた。そのグループの先達は、こちらのグループに本堂の縁側部分での読経を勧め、自分たちは下でお参りをすると告げた。そのうえで、こちらの般若心経のお唱えが終わるまで待ってくれた。ここでも心遣いに感謝した。


      ↑金倉寺



【倉敷】

 大阪への帰りは、瀬戸大橋経由にした。明石海峡大橋経由の方が早いのだが、88カ所を1周する間に本四架橋のすべてのルートを通ることにしている。
 与島にいったん下りてサービスエリアで休憩した後、岡山県に入った。せっかくこのルートを通るので、倉敷市の美観地区で1時間の散策を、行程に組み込んだ。バスはアイビースクエアの駐車場に止めた。アイビースクエアの中を通ってから、川沿いの通りへ。寒い日だというのに、観光客が多い。白壁、黒い格子の建物の道を歩きながら、時折店に入って試食や買い物。参加者の一部は、アイビースクエアでコーヒーを飲んで優雅に自由時間を楽しんでいた。


      ↑アイビースクエアの内側からの光景


      ↑美観地区の通り




◆ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち第3回の案内◆
2016年3月4日(金)〜5日(土)=3万3800円
75番・善通寺〜66番雲辺寺
 宿泊は空海が生まれたとされる善通寺です。宿坊は温泉で、朝はお勤めに参加します。66番雲辺寺は札所の中で最も高い場所にある寺です。参拝のほか、寛永通宝の砂絵のある琴弾公園、豊稔池を訪ねます。昼食は、香川名物の骨付鶏とさぬきうどんを用意しています。 問い合わせは毎日新聞旅行06−6346−8800


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   ◆第3回(75番・善通寺〜66番・雲辺寺)
     =2016年3月4日〜5日


  毎日新旅行の遍路旅シリーズ「ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち」の第3回で、参加者は前回同様11人の少数だった。会社としては少人数で苦しいだろうが、参加者は気心が知れた者同士の楽しさがあって、和気あいあいの遍路だった。天気には恵まれた。しかし、気温差の大きい2日間だった。


【昼食】

 3月にはなったが、朝は冷え込む。家を出る時は、ヒートテックのシャツ、首のあるTシャツ、厚めの作務衣だった。バスに乗ってしまえば、寒さはなく、昼間は暖房はいらないほどだった。
 今回のお参りは香川県の西部なので、瀬戸大橋経由で四国に入った。天気はいいので、青い瀬戸内海を期待したのだが、なぜかもやがかかったようになっていて、視界が悪く、残念だった。
 昼食は丸亀市、一鶴の骨付き鳥。遍路旅の毎シリーズで、必ずコースに入れる。香辛料と塩をきかした鶏の骨付きのもも肉を焼いたもので、なかなかインパクトがある。ただ、鶏が嫌いな人は結構いる。だから普通のバスツアーではなかなか組み込みにくい。しかし、この遍路のコンセプトは、しっかりとお参りをしたうえで、四国の良い所を体感してもらい、地元の食べ物を食べるというもの。だから、あえて、一鶴も組み込む。
 現実は参加者の1人が、鶏を食べたことがないという。骨付き鳥以外にはほとんどメニューがない店なので、豆腐など酒のつまみのようなおかずでおにぎりを食べてもらい、気の毒だった。
 私を含め、ほかの人は鶏に骨付き鳥にかぶりつき、キャベツとおにぎりを、鳥から出た油につけて食べた。塩分が気になるが、骨付き鳥の魅力の方が勝っていた。


      ↑一鶴の骨付き鳥



【75番・善通寺】

 逆打ちなので、今回の参拝は75番・善通寺から。この日は善通寺の宿坊に泊まるため、順番を入れ替えて夕方に参ってもいいにだが、逆打ちの原則に従った
 善通寺は境内が広い。東西の伽藍に分かれ、間には道路が通っている。まず金堂(本堂)へ。大きな薬師如来の前で般若心経を唱える。如来は舟形光背を持ち、光背には仏像がデザインされている。
 太陽が出て、暖かくなってきた。五重塔を見上げる。京都の東寺、奈良の興福寺の五重塔に次ぐ高さの塔で、どっしりとしているが、バランスがとれて姿がいい。巨大なクスノキ、五百羅漢を見る。参加者の1人が五百羅漢を見ながら、「お父さんに似た羅漢を探しなさい、と言われた」と話していた。
 大師堂に行くには、細い道路を横断する。その道路沿いに熊岡菓子店がある。固いせんべい「固パン」が名物。家族に頼まれている人もいて、みんなで店に寄った。私はエビせんせんべいを買った。100グラム200円。200グラムを頼むと、店の女性がガラスのふたを開け、平べったい容器からスコップですくい、はかりにかけてくれた。夕食の後、何人かが私の部屋に集まって話すのが恒例になっている。その時のつまみができた。
  


      ↑善通寺の五重塔

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【74番・甲山寺】

 善通寺からバスで3分ほどで着く。境内はあまり広くない。山門をくぐって手水へ行き、次に中門を通る。本堂の近くにツバキの木があり、赤い花をつけていた。ツバキ越しに、修行大師像の写真を撮る。この寺ではほかの団体バスも来ていて、そのグループの後をついて回るような参拝だった。
 大師堂の横に毘沙門堂があり、洞窟の中に造ってある。空海が石で毘沙門天像を彫って安置したのがこの寺の始まりという。空海が満濃池修築の別当となり、洞窟で修法をすると、数万人が工事に駆けつけたという言い伝えもある。毘沙門堂はそれらの言い伝えにちなんでいる。


      ↑甲山寺の本堂



【73番・出釈迦寺】

 ここも甲山寺からは近い。バスの駐車場から歩いて行くと、参道に干支にちなむ石仏が並んでいる。まだ新しい。ハッサクを置いている無人の販売所がある。それらを見ながら境内に入る。ここでも、ほかの団体と一緒になり、本堂と大師堂に分かれてお参りをした。
 この寺の裏は捨身ヶ嶽。若き空海が仏道を志し、自分が必要な人間なら飛び降りても救ってもらえると、身を投じた山だという。空海は天女に抱きかかえられた。伝えられている、その山を参加者で眺めて、次の寺に向かう。


      ↑出釈迦寺から捨身ヶ嶽を望む



【72番・曼荼羅寺】

 曼荼羅寺までは歩いて行く。それでも10分もかからない。畑が広がり、緩い下り坂をノンビリと下りていく。曼荼羅寺の横にあった遍路宿は取り壊され、駐車場に変わっている。
 この寺の名物は、背が低く横に広がった松だった。私が最初に遍路で参拝した時(1997年)は、まだ元気だったが、やがて枯れてしまい、今は枯れた木で作った「笠松大師」がまつってある。
 境内では、無人でハッサクを売っている。山門のそばには梅が咲き残っていた。大師堂の横では、ヒマラヤユキノシタが花をつけていた。


      ↑笠松大師


【71番・弥谷寺】

 バスで弥谷寺へ移動する。途中で鳥坂峠を通る。その頂上部の交差点を曲がるのだが、そこに名物の鳥坂まんじゅうがある。歩き遍路では通らないので、バス遍路ならではの楽しみ。ここを通る際には、必ずバスを停めて、まんじゅうを買う。店の中に入ると、奥の方でまんじゅうを蒸す湯気が上がっている。小さなまんじゅうで、15個500円、30個1000円だから買いやすい。
 ふれあいパーク三間の駐車場にバスを止める。ここから弥谷寺へは15分ほど山道を登る。みんなでストレッチ体操をしてから出発した。長い距離ではないのだが、上りばかりなので汗が出てくる。朝の寒さとは、えらい違いになった。
 参道にはヤブツバキが咲いている。白いサザンカも花をつけている。花を見ながら歩くが、階段が多いので、結構しんどい。標高は200メートルほどにすぎないのだが。


      ↑鳥坂まんじゅう


      ↑弥谷寺



【善通寺宿坊】

 夜は善通寺の宿坊に泊まった。ここでも三十数人の団体と一緒で、春の遍路シーズンの到来を知る。夕食は午後6時からが普通だが、三十数人のグループと一緒になるのを避けて、午後6時半からにした。料理は鶏やハクサイ、キノコの入ったうどん鍋、ゴマ豆腐、サワラのみそ煮、魚、ニンジン、サトイモ、ブロッコリーの煮物、干し大根の酢の物などだった。参加者の1人が、ワカメの茎のつくだ煮を作って持ってきてくれた。みんなに回して、おいしくいただいた。
 宿坊のハイライトは朝のお勤めだろう。午前6時から御影堂であった。この期間はまだ冷える。ヒートテックの下着も着込み、暖かい身支度でお勤めに参列した。堂の中は暗い。ぼんぼり型のあかりがともり、天井からは灯ろうの火が淡く照らしている。外とを隔てる障子は、夜が明けていくにしたがって白く明るくなっていく。その一方で、時間がたつにつれて背中が冷えてくる。
 読経の前に、樫原禅澄館長の法話があった。うるう年の逆打ちのことに触れ、「逆打ちのような特別のことをする時には、特別なことをしなければいけない。例えば酒やたばこを断つとか。遍路の最中を携帯電話でしょっちゅう家に連絡している人がいるが、携帯を使わないだとか」。わかりやすい話だったが、酒やたぼこは私のことを見透かして言っているのかと思ってしまった。前夜も夕食の後、何人かで私の部屋で、エビせんをあてにして、善通寺の金堂と御影堂の間にある酒屋で買ってきた日本酒を飲んでいたからだ。
 お勤めの後、戒壇巡りをした。これも恒例となっている。その後で朝食を食べて出発した。天気がいい。


      ↑善通寺の宿坊の夕食


      ↑参加者からのお接待の茎ワカメのつくだ煮


【70番・本山寺】

 本山寺に参拝すると、スズメがにぎやかだった。五重塔は修築工事中で、周りに足場が組まれ、塔を見ることができずに残念だった。塔を解体したことから、相輪と宝珠、風鐸が展示してあった。間近で見る機会がないものなので、これは得をした。


      ↑展示されていた相輪と宝珠


      ↑修築中の五重塔


【69番観音・観音寺、68番・神恵院】

 観音寺と神恵院は同じ境内に並んでいる。仁王門をくぐると、千羽鶴がたくさんつるしてあった。色がなくなっている仁王と鮮やかな色紙の対比がおもしろい。天気が本格的に良くなり、暖かさが増してきた。今度は、風が心地よく感じる。
 境内の真ん中に大きなクスノキ。根が土から出て広がっていて、いるもこの木の力を感じる。の木の根の異様な形を手前に引っ掛けて、観音寺の本堂を移す。本堂と大師堂の間に石段があって、その上に薬師堂がある。その石段と堂の組み合わせも美しい。
 神恵院の本堂は、コンクリート打ちっ放しの建物の石段を登っていく。帰りは階段を使わず、庭を見ながら下りて行った。サツキの刈り込みが庭を形作っている。もちろん、この時期は花がないが、手入れは行き届いているように思う。大師堂で般若心経を唱えていると、カラスがにぎやかに鳴いていた。


      ↑仁王門の千羽鶴


      ↑クスノキと観音寺の本堂


      ↑神恵院本堂への階段


庭       ↑神恵院の手入れされている庭
【琴弾公園】
 寺から5〜6分歩いて坂道を上ると、琴弾公園を上から見る展望台に出る。公園には直径100メートルもある寛永通宝の砂絵がある。それを眺めるのだが、前日同様、天気はいいのに視界がよくない。海の色もよくなかった。砂絵がぼんやりしていた。
 少し時間があったので、今度は山を下りて砂絵の砂浜に行ってみた。松林の中を歩いて行く。風のせいか、枝がうねっている。砂絵に着くと、大きすぎて寛永通宝の絵はわからない。砂絵を一周し、海を眺めてバスに戻った。


      ↑そばから見た砂絵


【昼食】

 ちょっと早いが、後の行程のこともあり、昼食は寺から近いうどん屋「かなくま餅福田」を選んだ。店名からもわかるように元は餅屋だった。
 ここの名物は餡(あん)餅うどん。讃岐を正月の雑煮は、白みそと餡餅の組み合わせで、それにヒントを得たのかもしれない。いわゆる「力うどん」の餅が、餡餅に変わっていると思えばいい。つゆはイリコ中心のだし。餅は本職だからおいしく、餡は甘味を抑えてあるから、違和感はない。それに干しエビのおこわ、おでん2本。満腹になってしまった。


      ↑餡餅うどん


【67番・大興寺】

 大興寺は山門をくぐって、石段を上る。登り口に樹齢1200年のカヤと大きなクスノキがそびえている。本堂と大師堂には、ナノハナが備えてあった。ナノハナは境内の仏像の前にも。冬の花のツバキと、春の花のジンチョウゲ、アシビが境内を彩っていた。金魚の泳ぐ池がある。フクロウを飼っている。楽しい寺でもあった。


      ↑ナノハナが備えてあった


      ↑樹齢1200年といわれるカヤ


【66番・雲辺寺】

 雲辺寺へはロープウェイで上った。だいぶ暖かくなり、ロープウェイの下の駅の電光表示で気温は12度だった。ロープウェイは定員100人あまりだが、ほぼ満員の盛況。下の駅の前には、「閏(うるう)年は逆打ち参拝」と書かれたのぼりが何本も立っていた。客の多さは、閏年のせいだろうが、こんなに多いのは初めてだ。雲辺寺の横にはスキー場があって、その客も運んでいるので、さらに混み合っている。
 上の駅に着くと、気温は12度だった。あまりにも人が多く、参拝の際の混雑を避けるため、まず毘沙門天像の展望台に上って、時間調整をした。展望台からは、隣のスキー場が見える。雪はわずかで、草山の中に帯のように伸びている。帰りのロープウェイでスノーボードを持った人に話しかけ、「雪はたくさんあるのですか?」と聞いてみた。「かき氷ですよ」が答だった。氷を砕いてまいているのだという。
 だいぶ時間がたったので、本堂に向かった。ところが、まだ別の団体が般若心経を唱える準備をしていた。そこで、本堂の横の「お頼みナス」へ。ナスの形をした石に腰をおろし、願い事をすると、かなうとの言い伝えがある。1人ひとり座って、思い思いの願い事をした。
 人の流れも落ち着き、本堂、大師堂を参拝し、境内の五百羅漢を少し見てから、ロープウェイで下りた。下りてしばらく走ると、気温20度の表示が出ていた。ヒートテックのシャツを着ていたが、熱くなって脱がざるを得なかった。



      ↑雲辺寺の本堂


      ↑雲辺寺の横のスキー場



【豊稔池】

 今回の遍路旅の最後は観光で、豊稔池を訪ねた。大正末から4年をかけて造った石積み式のダム。この形式では日本最古級らしい。まず上から湖水を眺める。残念ながら水が少なく、湖面と木々の緑の組み合わせの美しさが今回は不足している。堤防のアーチも、最大水深の時の跡が水面上のかなり高い所についている。
 次はアーチの下へ。ダムからの水が流れる川があるが、水は流れていない。構造物としての堤防が、黒ずんだ色でそびえている。この眺めは迫力があった。




◆ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち第4回の案内◆
2016年4月1日(金)〜2日(土)=3万6800円
65番・三角寺〜60番横峰寺
 1日目は標高500メートル三角峰寺、2日目は700メートルの横峰寺と、2つの山の寺に参拝しっます。横峰寺では奥の院「星ヶ森」あmで足を延ばし、好天なら正面なら石鎚山を望むことができます。昼食は初日が焼き肉、2日目はナポリタンと、ほかの遍路ツアーではお目にかかれない食事を用意しました。 問い合わせは毎日新聞旅行06−6346−8800