梶川伸「私の篤志面接委員活動『体験談に思いを託して』」(公益財団法人全国篤志面接委員連盟「私の指導事例集」=2021年3発行=に掲載)

  

              梶川伸・大阪刑務所篤志面接委員(「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会会長)

              

   ◆体験談に思いを託して◆(写真・中見出しを追加しました)



◇伝えることの難しさ


 「もう刑務所には来ないでください」。これだけを伝えるのが、何と難しいことか。

 迷いの中で受刑者のみなさんと接し、分かってきたことがあります。体験に基づく訴えは、心に入り込むことができるかもしれないということです。

 私が大阪刑務所の篤志面接委員になったのは2007年です。主に1カ月に1度、釈放前指導の一コマを担当してきました。小一時間の話で、多い時は15人前後、少ない時は2人と向き合います。合計回数は140回に達しました。

 私の話は2部構成です。メーンテーマは、「再び罪を犯して、刑務所の入ることがないように」ということ。サブテーマは社会で生活するうえでの、私なりのサジェスチョンです。

 メーンテーマは、言うのは簡単ですが、再犯の多さを考えると、実は簡単なことではない気がします。では、どう訴えればいいのでしょうか。



◇「出る」ではなく「戻る」


 私は「出所」という言葉を使わないようにしています。初めての篤面の機会に、ある刑務官に教えられました。「受刑者にとって『出る』ではなく、『戻る』と考えてほしい」。正にそうだと思いました。ですから、釈前指導では、「間もなく社会に戻りますが、その社会こそがみなさんが生きていく場所です」と強調します。

 「犯罪を起こして入る場所だから、刑務所に入ってはいけない」のは当然ですが、その説明だけで納得してもらえるのかが問題です。私は若い友人への介助の体験を語ります。

 友人は進行性筋ジストロフィーでした、幼い時には家で過ごし、やがて国立の専門病院に入りました。しかし、20歳を超えてから、障碍者用の公営住宅に1人で住みました。「人間は社会動物なので、社会の中で暮らしてこそ人間」との思いからでした。



◇社会の中で生きてこそ人間


 公営住宅に転居したころ、友人の握力は100グラム単位まで落ちていました。日常生活のほとんどの面で、介助が必要でした。私も介助メンバーに加わり、月に2回程度、泊まり込みました。料理を作り、ふろに入れ、トイレの世話しを、寝返りを打たせるのです。

 受刑者のみなさんには、このような体験を語り、友人の決意「社会の中で生きてこそ人間」に触れます。病院の方が治療、看護、介助の体制が整っていますが、それでも社会で暮らすことを選んだのです。友人は30歳で亡くなりましたが、最後の10年間こそが、人間として生きた時間だったのではないでしょうか。私は訴えます。「社会で生きるのが人間の本来の姿です。刑務所は生活する場所ではありません」



◇利己と利他


 サブテーマは、利己と利他についてです。「人間は支え合って生きています。99%は自分のため(利己)でいいのですが、残り1%は他人や社会のため(利他)を考えて行動してください」と話します。そうすればトラブルは抑えられ、犯罪からも遠ざかると思うからです。

 私は遍路体験を引き合いに出します。四国霊場を自分で回るととともに、先達(案内人)もし、お遍路さんのための休憩所を作る活動にも参加しているからです。



◇お接待の真髄


 よく取り上げるのは、お遍路さんをもてなすお接待という文化です。高知県でお世話になった善根宿のことも例にあげます。善根宿とは、お遍路さんに提供する寝る場所のことです。私が泊めていただいたのは、農家の納屋を改造した部屋でした。

 善根宿のご主人にとって、私はたまたま通りかかっただけの見ず知らずの遍路です。泊めてもらうだけでもありがたいのに、1番にお風呂に入れてもらい、家族と一緒に夕食をごちそうになりました。恐縮していると、ご主人は「農家なので、米や野菜はあります。家族4人の夕食を、5で割ればいいだけ」と、事も無げに言うのです。

 朝ご飯もいただき、出発の際には、奥さんが昼ご飯のおにぎり2つを持たせてくれました。利他の最たるものでしょう。お接待という利他の心は四国では普通にあり、私は「遍路道には心の共同体がある」と感じています。

 泊めてもらった部屋には、宿泊者が名前を残すノートが置いてありました。表紙に書いてあったのは、「本日家族 増員名簿」の文字。お接待の真髄です。

 体験談は具体的なので、聞いてもらえるのではないでしょうか。ただ、一方的に話しているだけでは、なかなか話の中に入ってきてもらえません。そこで、「遍路を知っていますか」「四国生まれの人はいますか」といったやりとりも、織り交ぜていきます。


      ↑歩き遍路の際にお世話になった高知県のお遍路さんの休憩所



◇身近な家族の話も


 利他の大切さについては、母親の話も出します。母親は少しずつ認知症が進み、最後のころは私が息子だと分かってなかったかもしれません。介護は手間のかかることでしたが、好きなものを口に運ぶと、「おいしいねえ」「ありがとう」の言葉が返ってきました。その時に、介護が報われたと感じ、うれしくなったのです。

 五木寛之さんの著書「青い鳥のゆくえ」に、次のようなくだりがあります。

 ――病気の子どもの手を母親が握る。そうすると、握られた子どもは安心して免疫力が上がる。これは昔から言われていた。NHKの番組で、手を握っていた方の免疫力も上がることを知った

 利他の行為は免疫力を上げ、結局は自分のためだということでしょう。私が感じた「うれしさ」も、その現れだったに違いありません。母親という身近な人を登場させて具体的に語りますが、家族の話は耳を傾けてもらえるような気がします。



◇押し花を例に


 しかし、社会に戻る受刑者のみなさんには、厳しい現実が待ち構えています。実体験に根ざした話であっても、説得力があるかと考えると、そんな甘いものではないような気がします。現に、私の話を聞いたのは2度目だという人もいました。無力感に襲われます。

 私は野の花で押し花をし、紙にあしらって100円ショップの額に入れて楽しんでいます。ほとんど費用がいらないのが利点です。社会に戻る受刑者のみなさんに趣味を持つことを勧め、一例として野の花の押し花を挙げ、自作を見せることもあります。

 ある時、話が終わって部屋から出る際、わざわざ追いかけてきて、「家に戻ったら、息子とやってみます」と伝えた人がいました。そんなことがまたあってほしい。これが篤志面接委員を続ける力になっています。




      ↑お年寄りの施設に併設された休憩所




      ↑コンクリート造りの休憩所