澄禅の足跡たどる――江戸前期の遍路道再現――実践編第1回(2)


  
                        遍路研究家  柴谷宗叔



<焼山寺から恩山寺へ 澄禅特有のコース取る>



 4日目は神山町の中心部を経て府能峠を越え佐那河内村に出る。焼山寺から大日寺に向かわず恩山寺に行く澄禅特有のコースだ。
 焼山寺山麓のなべいわ荘を出発、神山町のコンビニで昼食用の弁当を買い込む。道の駅温泉の里神山で休憩。澄禅が泊まったであろう鬼籠野の集落を抜け、国道438号新府能トンネルの手前から峠道に入る。
 府能峠を越えたら一気に佐那河内村仁井田の谷底に下る。路傍で弁当を食べた。ほどなく下に公民館のベンチがあるのを知らずに残念だった
 真夏日の炎天下、村役場近くのコンビニでかき氷を食べるなど休みながらの遍路。県道33号に出、徳島市八多町との境界近くまで歩き、民宿の車に迎えに来てもらう。


   なすびさんと同行


 小松島市の民宿鮒の里で東日本大震災の被災者を励まそうと寄せ書きを募っている2人連れのお遍路さんに出会った。タレントのなすびさんとカメラスタッフの亀田哲司さんだった。なすびさんは福島県出身。遍路をしながら出会った人から寄せ書きを集めるのだそう。徒歩と車を使い分けながら8月末に無事結願したそうだ。
 5日目は恩山寺から立江寺までなすびさんと一緒に歩いた。我々が高野山から来ていると知って「始めたばかりで正式の勤行を教えてもらえた」と感動されてしまった。少し照れくさい。
 立江寺で先を急ぐなすびさんらと別れ、徒歩で鶴林寺を目指す。途中、美容院から出てきた女性からティッシュ袋、コンビニで客の男性からアイスクリームの接待を受ける。
 鶴林寺山麓の勝浦町生名でお盆の法要のため淡路島の自坊に帰る西原さんと別れ、上辻君、岡野さんと三人になる。鶴林寺を打ち終え、山を下った水井橋近くで車に迎えに来てもらい再び鮒の里へ。


   来春は高知へ


 6日目は水井橋から太龍寺を経て平等寺まで。通常の遍路道を行く。舎心ヶ嶽で学生たちは大師像の前まで行き虚空蔵菩薩の真言を108反唱えた。正式の求聞持法はできないがせめてもの体験である。平等寺門前の山茶花の宿に泊まる。
 7日目は由岐経由の徒歩道を薬王寺まで歩いた。澄禅が海岸べりの遍路道を取っていることから当然のことである。途中、田井の浜海水浴場の海の家で昼食。水着ばかりの中で遍路姿が浮いていた。無事に薬王寺まで歩ききり、門前の薬師会館に泊まった。
 今回はこれで打ち止め。来春は高知へ向け続きを歩く予定である。
                      (柴谷宗叔)
                 ◇
 この内容は月刊紙「へんろ」に掲載しました。(柴谷宗叔)




      ↑東北支援の寄せ書きを持つなすびさん(右)と亀田さん




↑恩山寺を一緒に参拝。右から筆者、なすびさん、岡野さん、上辻さん、西原さんの順




↑舎心ヶ嶽の大師像でポーズをとる学生


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