澄禅の足跡たどる――江戸前期の遍路道再現(4)



                        遍路研究家  柴谷宗叔



<山浜越えての難路行く 『辺路札所ノ日記』購入>



 8月1日に参拝した平等寺(二十二番、阿南市新野町秋山)は「在家の様な寺」と記している。前を流れている桑野川を渡って川辺の民家(同市新野町馬場)に泊まった。 2日、山と海の上り下りを繰り返し、川を三瀬(木岐川、北河内谷川、日和佐川か)渡って、ヒワサ(美波町の旧日和佐町)まで28キロ。澄禅の記述では海辺に出ているので現在の国道55号沿いの遍路道でなく由岐(美波町の旧由岐町)経由のルートをとったと考えられる。阿南市福井町から県道25号と離合しながら日和佐に至る旧土佐街道。現在でも海辺と山越えが繰り返される難路である。
 薬王寺(二十三番、美波町奥河内寺前)の本堂は焼失して仮設小屋となっていた。本堂の焼失は寛永16年(1639)、再建は寛文2年(1662)なので、澄禅の参詣時(1653)はまだこのような状態であった。一方、庫裏は再興して立派だった。
 「右の道」を4キロほど行って民家に泊まり、3日は20キロほど行って浅河(海陽町浅川)に至る。「右の道」とは、薬王寺の山門を出て右であれば国道55号沿いの土佐街道かと思われる。しかし、泊まった場所と距離の関係から見ていくと、進行方向(室戸)に向かって右、つまり日和佐川に沿っていくもうひとつの土佐街道、美波町西河内経由の道とみられる。泊まったのも西河内の集落であろう。両道の合流点である同町山河内には徳島藩の駅路寺である打越寺があったのだが、その記述がないことからも、手前で宿泊したことがうかがえるからである。
 3日は「難所を上下して」とある。牟岐町から海陽町にかけての「八坂八浜」のことを指すとみられる。現在も、浜と山の繰り返しが8回ある難所である。国道はトンネルと橋で抜けるが、所々旧道が残されている。途中、鯖大師(海陽町浅川鯖瀬)の記述はない。浅河(海陽町浅川稲)の地蔵寺(廃寺、稲の観音堂に併合)に泊まった。吉祥院という本山衆の山伏が住持していた。
 4日、寺から4キロほどの海部ノ大師堂(弘法寺、海陽町四方原)という辺路屋で納札。ここで『辺路札所ノ日記』を購入した。この記述から澄禅以前に既に遍路日記があり、ガイド本として販売されていたことがわかる。発見されれば遍路研究が進むことは間違いないが、現在のところどのような書物であったかを知ることはできない。
 海部川を渡り海部(海陽町の旧海部町)に至る。海部には真言寺が3か寺あったと記されている。観音寺(廃寺、海陽町奥浦)、藥師院(薬師寺、海陽町鞆浦)、唱満院(万照寺=同町鞆浦=か)である。
 浦伝いに廉喰(海陽町の旧宍喰町)に至る。辺路屋(円頓寺=廃寺、海陽町宍喰浦)に宿泊を断わられる。円頓寺は駅路寺の一つで、明治維新後も存続したが、昭和21年の南海地震で被災し、同地の大日寺に合併された。
 宍喰川を渡り、阿波土佐両国境の関所で廻り手形を出して通る。坂を越え神浦(高知県東洋町甲浦)へ。千光寺(廃寺)に泊まった。手足の不自由な新任僧が住持していた。現地調査で甲浦の千光寺谷という地区に寺の址を見つけることができた。地蔵を祀る祠があり、裏山には墓場もある。
 5日、雨で正午に出、8キロほど行って野根(東洋町野根)に至る。野根ノ大師堂(東洋大師明徳寺、同町野根)という辺路屋で泊まった。道心者が住持。暴風雨で一睡もせず。
 野根ノ大師堂の手前で、「大河増水して幡多(同県幡多郡)の辺路衆らと急ぎ渡る」との記述がある。明徳寺の手前であれば相間川ということになるが、大河とはいいがたい川である。明徳寺の先には大河と言うにふさわしい野根川がある。川の先の辺路屋で泊まったとすれば、野根川南岸にある庚申堂(同町野根)が該当するかもしれないが、住持するような堂ではない。その先は澄禅も「難所の土州飛石ハ子石」と記している、東洋町から室戸市にかけての「飛び石跳ね石ごろごろ石」という難所である。12キロほどの間は東は海、西は山で民家一軒も無い所である。
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 筆者の文献研究と現地調査結果を元に澄禅の遍路ルートを推測しました。もし異なるルート等のご指摘がいただけるなら有り難く承ります。史料の出自、在り処等がわかればお教え頂きたいです。各位のご意見、ご指摘をお待ちしております。なお、この内容は月刊紙「へんろ」に毎月連載しております。(柴谷宗叔)


「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会
e-mail:henrogoya@arrow.ocn.ne.jp







      ↑澄禅が『辺路札所ノ日記』を購入し「海部ノ大師堂」と記した弘法寺




↑東洋町甲浦千光寺谷にあった千光寺址の地蔵を祀る祠




↑野根の大師堂と思われる東洋大師明徳寺


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