支援する会第10回総会兼記念シンポジウム

 「四国88ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会をは2月27日、徳島市藍場町2−14、あわぎんホール(郷土文化会館)5階の小ホールで、第10回総会兼記念シンポジウムを開きました。参加・聴講者は約80人でした。
 最初は総会。森英雄事務局長が2015年の事業報告、会計報告を行いました。この中で、高知県四万十市にヘンロ小屋54号・四万十ができたことを報告しました。幡多信用金庫の出資によるもので、信金の職員や支援する会のメンバーが現地で建設作業を行った小屋です。また歌一洋さんと支援する会がウッドデザイン賞を受賞したことの報告もありました。

↑総会の様子



 総会は10分あまりで、その後は記念シンポジウムに移りました。まず最初は歌さんの講演。徳島県に完成した小屋15棟について、設計の趣旨や、ヘンロ小屋づくりにかける思いを語りました。小屋づくりにかかわった人は1万人を超えたことをつたえ、「みんなで一緒に造っている過程が大事」と強調しました。

↑歌さんの講演



 続いて、徳島市の音楽ユニット「guM」(長田太一さん・秋山裕香さん)の演奏が、「遍路に焦がれて」など3曲を演奏しました。2人は電気工事の仕事仲間で、長田さんがキーボード、秋山さんがボーカル担当です。
 遍路とは不思議な縁で結ばれています。昨年、徳島県阿南市の山口小学校の工事をしたのがきっかけです。教頭の島村孝さんが遍路をテーマにした詩を作り、学校に近いヘンロ小屋3号・阿瀬比に掲示していました。島村さんは長田さんらがユニットを組んで音楽活動をしていることを知り、作曲を頼んだのです。そうしてできたのが「遍路に焦がれて」でした。この曲はCDにもなり、島村さんは「山口蜜柑(みかん)」という作詞者名になっています。
 島村さんがこの詩を作ったのにも、不思議な経緯があります。山口小学校は総合的な学習の時間に地域のことを取り上げ、遍路道が近いことから児童たちは遍路について調べました。ちょうど韓国ソウル市在住の崔象喜さんが、遍路道にハングルの道案内シールを張ったことに対し、中傷する文書がヘンロ小屋などに張られた時期でした。
 児童らは「白い装束をしていればみんな同じなのに」と考え、自分たちで作った4カ国語(日本語、ハングル、英語、中国語)の石の道標を、ヘンロ小屋・阿瀬比のそばに立てました。道標には「応援しています」と4カ国語で書いてあります。この取り組みの中で、島村さんは自分でもいくつかの札所へ歩いて参り、その結果が詩となったのです。

↑guMの演奏



 しめくくりは、シンポジウムでした。テーマは「遍路文化をつなぐ・広げる」。パネリストは▽徳島県板野町、板野西小学校教諭の西川美恵さん▽板野西小6年、高田陽奈さん▽同、齋藤優花さん▽guM・長田太一さん▽guM・秋山裕香さん▽兵庫県加古川市の歩き遍路、胡中晴美さん▽徳島県勝浦町、ふれあいの里さかもと運営委員、加々美清美さん▽歌一洋さんで、司会は梶川伸・「四国88ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会副会長が務めました。
 板野西小学校は2014年度、総合的学習の時間で、児童がお接待の体験をしました。指導した西川さんは、映像を示しながらその経緯を説明しました。お接待は学校に近い5番・地蔵寺で行いましたが、その前に地蔵寺の住職から遍路やお接待について話を聞き、「お接待とボランティアは違う」「お接待は『させていただく』という気持ちで」といったことを教えられたといいます。
 お接待体験は2回あり、押し花のしおりと、塩あめなどをお遍路さんに手渡したそうです。西川さんは「1回目はお接待を断わられた児童もいた。お接待を押し付けたせいかも知れない。2回目は相手を思いやる気持ちが出て、良いお接待となった」と、お接待を通して児童たちが成長したことを報告しました。
 高田さん、齋藤さんは「お接待は相手の心に心を寄せることだと思う」「お接待はする方も、される方も幸せになる」と感想を語りました。お接待体験後、2人はお遍路さんを見かけると、自分の方から声をかかるようになり、外国人のお遍路さんとも心を通わせることができるようになったといいます。
 長田さんは「作曲を頼まれてから、1番・霊山寺に参り、弘法大師に許してもらえたら歌を作ろうと思った」、秋山さんは「『遍路に焦がれて』の歌からなお一層、気持ちを込めて歌うようになった」と体験を述べました。
 胡中さんは歩き遍路をしている時に台風に遭遇し、歩くのを早めに切り上げて泊まった宿で、たまたま遍路が縁で顔見知りになった男性遍路と再会し、それがきっかけで結婚したエピソードを話しました。加々美さんは廃校になった小学校を活用したまち起こしの宿泊施設で、支配人の役割を果たしています。2015年の宿泊者について「2000人ものお遍路さんに利用してもらった」と数字を挙げました。外国人が増えていることにも言及し、「外国語がわからないので、最後はハグで」と言って笑いました。
 全体として、多用な生き方を認め合い、心を通じ合えば、その心が「お接待のおすそ分け」として広がり、つながってがっていくのではないか、といった発言が多かったようです。

↑シンポジウムの様子


戻る